第7話

こんなに緊張するのは久しぶりだ。



珠華は慣れない寝間着に着替えて、皇帝陛下の隣にいた。



「もう少しこちらに来い」



寝台の隅に座り硬直している珠華に向かい、皇帝陛下…緑琉凰がため息とともに声をかけた。




珠華はぎこちない動きで彼の方へと近づいた。しかし、まだ一メートルほど離れている。



「……まだ、遠い。これでは夜が明けてしまう」



琉凰がうんざりしたようにつぶやいて、自ら彼女の横に座った。



「陛下…っ」



慣れていない彼女は頬を赤らめ、恥ずかしさに絞り出すように呟いた。



珠華に触れようとした彼は一瞬動きを止めて、どこか困惑した様子で彼女を見つめた。



「何故そうも緊張するのだ?今日のそなたはいつもより違うな」




その言葉にハッとした。



いけない。このままでは怪しまれてしまう。



こういう経験がない珠華には、夜、男性と寝室を共にするだけで緊張してしまう。しかし、彼女は今、珠華ではなく珠麗だ。



それも姫ではなく一国の主の妃だ。彼を支えなければならない。



生娘のように、恥ずかしがっている場合ではないのだ。



(これは義務、これは義務、これは義務)




呪文のように心の中で何度も自分に言い聞かせてから真剣な表情で両手を握りしめ、覚悟を決めた。



困惑したようにこちらを見る琉凰の方に身を寄せ、覗き込むように上目遣いに彼を見つめた。



「陛下、申し訳ありません。緊張しているように見えたのなら、久しぶりに二人っきりになったからです」



そう恥らうように呟いて、自分からそっと彼の腕に触れた。




一瞬ぴくりと彼が身動ぎしたが、すぐに真剣な表情を見せて、触れてきた彼女の手首を掴んだ。



「いや…そうか。そうだな。あの日以来か」



珠華の言葉を信じたのか、わかったように頷くと、最後は自分に言い聞かせるように呟いた。



途端、琉凰の顔つきが変わる。



慣れた動作で彼女の腰に手を回して軽く抱きしめると、そのまま寝台に彼女を押し倒した。



突然寝台に仰向けに押し倒された珠華は驚きに目を見開き、真正面にこちらを見つめる熱い彼の視線にごくっと息をのむ。



「今宵から、そなただけを愛そう。余に、その身を任せよ」



そう囁いた彼はいつもの無表情だったが、その声は優しく、彼女を労っていた。




ふっと、緊張していた珠華の体から力が抜けた。



安堵とは違うが、何故か少しだけ心に余裕が生まれた。



珠華は彼に任せようと信じてみることにした。



頷いて、ゆっくりと目を閉じた。



……しかし、珠華の頭の中には、昼に会った琉凰の顔がちらつく。



ぎしっと寝台が動き、彼がゆっくりとこちらに顔を近づける気配がした。




(大丈夫。今は完璧珠麗だもん。気づかれないわ)




そう心の中で呟くと、ふっと彼の吐息がして、唇に柔らかいモノが優しく触れた。




身を強張らせたが、大丈夫だと信じてそのまま動かずにいる。




唇はゆっくりと離れ、代わりに太ももに彼の手が触れた。滑るように太ももから服の中に入って、直に指が触れた。




「ーーっ」



ぴくりと身体を震わせ、声が漏れないように唇を噛む。



「大丈夫だ。このままじっとしてろ」



ボソリと琉凰が小さく耳元で囁いた。



その言葉にうっすらと目を開けてみると、彼は何故かこちらを見ていなかった。顔を背け、周りに鋭く視線を走らせていた。



(なに…?なんで、こっちを見ないの?)



違和感を感じた。



手つきは行為の続きをして珠華の服を脱がそうとしているが、珠華の様子を見る事なく他に気になる事があるのか、周りに気を張っている。



(なに…?なんで、そんなに気にしてる?)




琉凰が自分を見ていないことをいいことに、訝しげに眉を寄せ、彼に疑惑の眼差しを向けた。



まるで、心ここに在らずだ。



(行為の最中でも、この態度なの?)



いつもそうだったのかな?



そう思って、嫌な気持ちになった。



–−−刹那、近くで殺意を感じた。




ギョッとして身を強張らせると、同時に彼も上体を起こし、寝室の奥の方に冷たい視線を投げた。




(なに、この気配。なにが起きて……!)



混乱する珠華の前で、ふと寝台の周りに人の気配がした。



右横から一人、足元に二人と計三人の刺客。




「へ、陛下…」



「どうしましたか?」と、何も気付いていない風を装って、突然行為をやめた琉凰は声をかけると、彼は珠華の耳元に唇を寄せた。



「いや…何でもない。余に、身を任せろ」



その台詞はさっきも聞いた言葉であるが、彼は行為の最中だと案じている素振りを見せた。



突然現れた刺客にそう思わせるために、気づかれないように告げたのだろう。



珠華もこれがどういう状況であるかちゃんと理解していた。



(なるほど。気付いたのだと気づかれないように、芝居をすればいいわけか…)



だが、珠麗として、陛下にも芝居をしていると気づかれないように行動しなければならない。



「陛下…早く、きてください」



珠華は腕を広げると、とびっきり甘い声で彼を誘った。


出来るだけ、行為の最中であることを周りにいる刺客にわからせるため。



彼は一瞬だけ目を見開くが、すぐにふっと微かに笑う。



「今日は大胆だな。…愛い奴よ」



そして、腕を広げる珠華の胸元に顔を寄せて、肩から服を脱がす。




「ああ…陛下」



珠華が身じろぎして恥らうように呟くと、彼は露わになった鎖骨に自分の唇を強く押し当てた。



「んっ…」



珠華の口から吐息がもれる。



琉凰はそのまま彼女を抱きしめた。



すると、周りにいる刺客からより強い殺気が洩れた。




「ふっ…来るか」



琉凰がボソリと呟くと同時に、寝台の足元にいる二人が動く気配がした。



「虹珠麗っ!覚悟っ!」



刺客の一人が叫び、寝台で抱き合う二人に襲いかかる。



「あ…っ、きゃあ!?」



琉凰に咄嗟に突き飛ばされた珠華は悲鳴を上げた。




「あまい…!」



彼は背中に隠していた剣を取り出し叫ぶと、襲いかかってきた二人の刺客の攻撃をその剣で受け止め、弾いた。



ガキン!キーン!!




鉄のぶつかり合う音が室内に響く。



珠華は慌てて彼らから距離を取った。



(わわ!?もう、こんなときに武器が!)




何か、自分にも戦える武器がないか探していると、右横にいた刺客が躍り出てきて「虹家めっ!」と叫びながら、珠華に向けて剣を振り下ろした。



(しまった!!)



背後がガラ空きだったと、珠華は自分の行動に後悔した。



「珠麗っ!!」



すると、今まさに二人を斬りつけて返討ちにした琉凰が、咄嗟に彼女の方に持っていた剣を投げつけた。



「なっ!?」



剣は刺客の足元をかすめ、床に転がる。



その攻撃にバランスを崩し大きくよろめいた刺客を見て、珠華はチャンスとばかりに「きゃあああ!」とわざと悲鳴を上げながら、思い切り鳩尾を蹴りつけた。




「ぐはぁ!?」



蹴りを受けた刺客は体をくの字に曲げて腹部を押さえ、ベッドの下に転がり落ちた。



刺客は床の上で悶え苦しむ。



珠華は悲鳴を上げながら、寝台の横の棚に置いてあった壺を取り、トドメとばかりにそれを頭に向かって投げつけた。



ゴン!と大きな音がして、刺客の動きが止まる。



(やった!倒せたわ!)



心の中で喜びながら怯えるフリをして琉凰の方に顔を向けると、彼が青ざめた表情で寝台に飛び込み、珠華の目の前で膝をついた。



「珠麗!怪我はないか!?」



「へ、陛下!?」



いきなり目の前に現れた彼に驚く珠華の右手首を掴んで引き寄せると、慌てた様子で腕や肘、肩や背中と体のあちこちに触れてきた。



思わずギョッとして彼から逃れようと身をよじると、「動くな!」と叱咤されて、強引に顎を上に向かされた。



真っ正面から、怖い顔をしてまじまじと見つめる。



珠華は気圧され、彼のすることなすことに圧倒されたが、彼女の身体にどこにも怪我がなかったのがわかった琉凰はホッとしたように小さく息をつく。



「よかった…」



その聞こえるか聞こえないかの声に、珠華は目を見開いた。



初めて見る心配している姿に、微かに戸惑った。



「陛下…?」



(なんで、あんたがそんな顔をするのよ)



本気で自分を案じているような錯覚に陥った。



途端に琉凰の顔から表情がなくなる。



いつもの、冷たい皇帝陛下の顔だ。



「何もなければいい」



それだけ素っ気なく答えると、彼は部屋の外ではなく何故か寝室の奥に向かっていく。



てっきり兵を呼ぶのかと思っていた珠華は彼の行動に訝しげに眉を寄せた。



「陛下…?」



珠華が声をかけると、突然、壁掛けの後ろから勢い良く誰かが中へと飛び込んできた。



「陛下!!」



その人物が声を張り上げる。



「騒ぐな洸縁。大事ない」



それを迷惑そうな顔で、琉凰は答えた。



壁掛けの後ろは仕掛け扉になっていた。



驚く珠華の前に突然現れたのは、琉凰の側近であり、昔馴染みの張洸縁チョウ コウエンだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る