第5話
李将軍、
年齢は三十代前半。精悍な顔つきに、真面目な性格。だが、見た目が派手で淡い栗色に鳶色の目をしているため、色男に見える。よく女官からの熱い視線を受けていた。
珠華と慧影が珠麗の昔馴染みというだけで護衛していたことが気にくわないのか、よく睨みつけてくる。
言葉は交わさないが、視線だけで相手が自分をどう思っているのかわかるほどに。
また慧影とはどうやら犬猿の仲だと聞く。
李将軍の鋭い眼差しを受け、珠華は凍りついた。
今の今まで彼の存在を忘れていた。
珠華は珠麗となるその前に何度も彼に会っている。
機転の効く李雷辰が、いつからそこにいたかわからない。慧影が態度を変えたのは、すぐに彼が近くにいたことに気づき、護衛らしく務めたのだ。
慧影はすぐにその場から消えてもういない。
雷辰の横を通り過ぎたとき、視線がかち合い、火花を散らしたが、それもほんの一瞬だ。
雷辰の珠華を見る目は、前より和らいでいるが、やはり冷たい。
というよりか、何か探るような居心地の悪い目つきで見るため、珠華は冷や汗を浮かべた。
(ど、どうしよう!下手に声をかけるのも変だし…無視するのもどうかと…)
李将軍は先代の皇帝からその地位を頂いて、そのままの地位にいる。ほとんどの重臣がそうだが。
今代の皇帝とは昔馴染みの関係で皇帝から絶対的信頼を得ている。
色々と、やばい。
護衛の時は覆面で顔を見られていなかったが、一度ヘマをしてそのとき彼に素顔を見られていた。
これはピンチである。
その場を一歩動いたら、李雷辰に
「…………………………」
お互い、長い沈黙。
動けない彼女を彼はどう思ったか。
雷辰は軽く眉を顰め、そして、その場で頭を垂れた。
(……あれ?え?あ、ららら?)
なんとも拍子抜け。
珠華がぽかんとしていると、雷辰は顔を上げて、珠華を再び見て、今度ははっきりと訝しげに眉を顰めた。
「……このような場所で、何をされているのですか?」
近づき、どこか不思議そうな怪訝そうな声。
珠華に近づき問いかけてきた彼に、どうリアクションをしていいかわからなかった。
なんとも言えない顔で彼を見つめる。
(ば、バレてはいないのかしら?)
そちらが気がかりで、下手に口を開けない。
だが、彼は近づいてきても珠華のことがわからないみたいだ。
「……貴妃様ですよね?このような場所で何をされておいでか。しかもそのような服を着て、まるで賊のようですよ?」
雷辰の言葉にはっとして、自分の服を見ては顔をしかめる。
(しまった!この格好!剣とか持ってますます怪しいじゃん!というか慧影!機転を利かせたようだが、今は逆効果じゃない!?)
こんな親衛隊の格好で剣まで持っていたら、珠華の顔を知っている雷辰に自分は珠麗の代わりをしている珠華だと疑ってくれと言っているようなものだ。
咄嗟に貴妃に対する対応で臣下のフリをしたのはいいが、今の格好の虹家の姫君ではさすがにヤバイだろう。
(……いや、ちょっと違うか。李将軍が現れ咄嗟に臣下のフリをしたんじゃなく、内心では珠麗を亡くして動揺しているのかも。私と同じ…)
いきなりの展開だ。
完璧に見えて、彼も意外に天然なところがある。
珠華は仕方ない、とため息をついて、動揺していることがバレないように平然を装い、珠麗になりきる。
「少し気分転換に、護衛の者に頼み散策していただけです。この格好は、そのためです」
やっと答えた返答にしてはいいのではないか?
疑っているのか分からないが、ジロジロとこちらを見つめる視線に顔がひきつる。
「散策、ですか?しかしその格好は…。ああ、そういえば、あなたの護衛には影武者がいましたね」
ぎくっとした。
影武者、と示す言葉、それは珠華本人のこと。
一度、雷辰が面と向かって、珠麗に珠華が似ていることを尋ねてきたことがあった。
そのとき珠麗は、珠華を影武者として雷辰に紹介していたのを思い出す。
「えっ、ああ、そうですね」
これは利用しない手はない。
「…やはり、ではあなたは影武者の方か。…だが、関心しないな。今は貴妃様から離れない方がよろしいのでは?」
痛いところを突く。だが、もう珠麗はいないし、珠華は自分が亡くなったことにしている。
さて、どうしたものか……。
珠華はどう答えていいか窮していると、雷辰がふと先ほど消えて行った慧影の方向に視線を向けた。
「それにしてもあの者…相変わらず貴妃様と仲がいいな」
ぼそりと雷辰が呟く。
眼を見張る珠華の前で、雷辰の眼差しが冷たくなる。侮蔑の込めた視線に蒼ざめた。
そういえば、雷辰は前から珠麗と慧影の仲を疑っていることがあった。
親衛隊隊長として珠麗を守ってきた慧影と珠麗が二人だけでいるのを見ている。
女官たちの間でも噂はあった。
慧影と珠麗がお互いを想い合っているのではないかと。
珠華にしてみれば、馬鹿馬鹿しい話だ。
慧影はいつも一緒にいて護衛しているが、後宮内にも入って行ける男はまずいない。
考えれば分かる事。
後宮入りの妃嬪に虫がつくのはご法度。
護衛者は皆、宦官である。
それに、珠麗が本気で愛していたのは、あの皇帝陛下なのだから…。
珠華はまだそのことを疑っている雷辰の言葉にため息をつき、ホッとした。
(ああ、話がズレてよかった。肝が冷えたよ)
胸をなで下ろす珠華に、雷辰はガン見してきた。
その視線や言葉は、影の貴妃に向けるには少々無礼な態度である。
珠華はある考えを思いつき、心の中でにやりと笑った。
「……李将軍。今の発言やその態度は無礼じゃないですか?前からあの者と貴妃様の仲を疑っているようですが、顔に似て行動も根も葉もない噂を信じる妄信者のようだ」
皮肉を込めて、クスッと嘲笑う。
「なっ!!」
途端、見る見るうちに雷辰の顔が真っ赤になった。
彼がもっとも人から言われて嫌な思いをするのは、自身の外見だ。
外見にコンプレックスを持つため、少しでも茶化されたり侮辱されたりすると激怒していた。
だがらこの場合もすぐに怒鳴りつけてくるかと思ったが、彼は拳を握りこちらを睨むだけで、怒鳴りつけたりはしなかった。
珠華はその姿に少し優越感を感じた。
心の中でふふんっと笑い、まだ言い足りなかった彼女は厳しい表情をして話を続けた。
「…はぁ…。陛下の片腕と呼ばれるあなたが聞いて呆れます。無闇に疑うなど、これでは陛下の名に傷がつきますよ」
(どうだ!ここまで言えばもう何も言えまい!)
貴妃の影武者を利用し、今まで強く言えなかったことを言ってみせると、雷辰は顔を強張らせ蒼ざめた。
『陛下』という言葉で自分の失態に気づいたようだ。
「…その様子からして、己の失言に気づいたようですね。二度と戯言を口走らないようにして下さい」
何も言い返さず屈辱に耐えている彼にさらに冷たく言い放ち、釘を刺した。
「…もういいでしょう。先に行って下さい」
そして最後にしっしっと虫を払うように冷たい眼差しを向けて邪険に扱うと、雷辰はぐっときつく唇を噛み、キッと睨み返した。
「影武者だからといって、いい気になるなよ」
そう捨て台詞を吐いて、静かにその場から離れていった。
「……まるで悪役の台詞だな」
遠ざかる雷辰の後ろ姿を見ながら珠華は腕を組み、軽くため息をついた。
「あの様子からしてまた絡んできそう。それにしてもあいつのあの変わりよう。ホント、笑っちゃうな。珠麗の影武者でも、頭下がらないみたいね」
微かに苦笑して、珠華はふぅと息をついた。
「これで慧影と珠麗の名誉も多少、戻ったかな。珠麗もきっと『よく言った』って褒めてくれるわ。…ねぇ、そう思うでしょ?慧影」
最後に斜め右方向に立つ巨木に顔を向けて、珠華はそう尋ねた。
すると、ガサッと音を立て巨木から人が降りてきた。それはいなくなったはずの慧影だった。
「−−−やだな姫。気づいてたんですか」
慧影は苦笑して、静かに珠華の元に近づいた。
「やめてよねその癖。あんな殺気立って、バレるんじゃないかって思ったわよ」
珠華が諌めると、慧影はフッと冷たく嗤った。
「——雷辰が悪い。貴女と珠麗様を侮蔑した。あんな者、いなくなればいい」
ゾクッとした。
(あの目、あの表情…慧影ならやりかねないわ)
そこまで雷辰が嫌いなのか、豹変する彼に珠華の顔が引きつった。
「あんたが言うとシャレにならないわよ。いつかやりかねない。それにしても、全然気づかなかったけど、あれで陛下のお守りはできるのかしら?」
頭に血が上っていたとはいえ、さっきの慧影の殺気に気づかないなんて。
心配する珠華に、慧影は鼻を鳴らした。
「あいつ、甘ちゃんなんですよ。いつも外見を気にして…まるで女みたいだ」
「お、女?それは言いすぎ」
そう非難しても、口元は笑っていた。
「確かに外見ばかり気にして損してるわ。顔は良いからさ、もっと性格をどうにかしないとね」
そうおかしそうに呟くと、慧影が驚いたように目を見張る。
「……今、なんて言いました?」
「えっ?えっと、ただあの人、外見ばかり気にして損してるなぁって思って。周りが見えてないって言ったんだけど、変なこと言ったかな?」
慧影が何故そこで驚いたのか分からない。
逆に聞き返されたことに、珠華は疑問に思いながら答えた。
すると慧影がどこかホッとしたように、「ああ、そういうことね」と一人で納得したように呟く。
珠華には全く意味がわからなかった。
眉をひそめて、首を傾げた。
「なに?なんか一人で納得しちゃってるみたいだけどさ、ちゃんと話してくれないとこっちが気になっちゃうよ」
自分だけ分かったような顔をされては、気にならないほうがおかしい。
「いえいえ、話すようなことではないので気になさらないで下さい。そんなことよりも、姫。自覚して下さいよ。あなた、勝手に色んな場所を出歩いてはいけません」
追求する彼女の注意を違う方へ引きつけようと、慧影は口調を強め話題を変えた。
強引にも自室から逃げてきた珠華は後ろめたい気持ちがあり、その話にうっと言葉を詰まらせた。
「そ、それはその…!さすがにまずかったかなって思ってるわ!あそこで陛下に会ったし…っ。だけど、朝からずっと人が近くにいて、緊張していたから気分転換したかったのよ。それで体でも動かそうと、人のいない場所に来たの」
皇帝陛下のせいで行きたかった場所から離れてしまったが。
しどろもどろだがなんとか答えると、慧影は呆れたように深いため息をついた。
「あのですね、姫。貴女はもうこの国の大事な花嫁なんですよ?あの事件もありますし、そう簡単に一人で行動してはいけないことくらいわかってるでしょ」
ああ、と嘆かわしいと頭を抱える。
わざとらしいが、彼の説教が始まった。
珠華はウンザリとため息をついた。
「もう、慧影!説教はいいから!私が悪かったわよ、反省してますっ」
こんなところで長々と説教をされてはたまったもんじゃない。
偶然だが雷辰に遭遇したことで気持ちが焦っていた。
早めに切り替えるためにも、珠華は強い口調で訴えた。
珠華の非難の声に、慧影は少し悲しそうに目を伏せた。
「…ですが、姫。前も何度かありましたよね。そのたびに注意をする私の身にもなって下さい。心配しているんですよ。今日は無事に誤魔化すことができましたが、陛下の反対派やその取り巻きの者だったらそうはいきません。弱みを自分からさらけ出す様なものです。それに宮中で姫を守るにも限度があるんですから」
心配事が絶えない彼女の存在にいつも慧影はやきもきしている。
もう珠華は自由に動き回れる立場ではないのだ。
珠麗になった以上、彼女に成りきり、この宮殿の仕来りにそって花嫁らしく振る舞わないといけない。
「う…っ。わ、わかってる!自分だって軽率だったと思ったもの」
反省していることを告げると、彗影は珠華の目の前に立ち、彼女の顔を覗き込むようににっこりと笑った。
「そうですか。では、今すぐ自室に戻って下さいね」
その笑みに有無を言わさない迫力を感じて、たじろいた珠華は「はい。わかりました」と素直に頷いた。
結局鍛錬できなかったな、と残念な気持ちでため息をついて、落胆しながら今度こそ誰にも見つからない様に自室へと戻った。
その後、彗影とともに自室に戻った珠華は、今度はお怒りの様子で彼女を待っていた侑鈴に陽が暮れるまでガミガミと説教されたのだった。
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