第3話

悩みがあるときはこれに限る。



バレればやばいが、流石に疲れた。



それに頭を使うよりも身体を動かした方がいい。



剣術馬鹿なのが珠華だ。



彼女は誰にも内緒で空いている部屋に入ると、目立たない黒服に着替える。



水色から白銀の髪に戻し束ね、黒い布巾で覆い隠す。



これは親衛隊の時に覆面として貴妃の周りを探っていた時の変装だ。



後宮内は侑鈴が探しに来ることは目に見えていたので、覆面時代のように後宮から出て、離れた皇子達の宮殿に向かった。



普段は宮殿には警備がいて許されたものしか入れない。だが宮殿の中に入るわけではなく、反対の奥の雑木林に行きたいのだ。




ぐるりと周って、その雑木林まで来た。



しかし、珠華は来て後悔した。



(なんで、こんなところに皇帝陛下がっ!?)



そこにいたのは、私服を着た皇帝陛下、緑琉凰だった。




「風に吹かれて樹々が騒めき、ふと誰かの気配がした」




彼の手には書物がある。



「振り返るとまるで天女の化身のように、それはそれは美しく、月のような銀の髪をした少女がいた」




(なんだろう?朗読している…?)




美しい声を出して、書物を読む彼。




その姿に、緊張して強張っていた身体がふっと軽くなった。



「天女は言った。『貴方に、会いに来たのです』」




その書物はひと昔に有名だった恋愛モノで、宮廷で働く娘と貴族の子息の悲恋物語。




琉凰は地面に腰掛けた。



さらりと滑らかな漆黒の髪が風に吹かれなびく。いつもならきちんと髪をまとめている。




「はぁ…。これのどこに憧れるのか…」



小さなため息をついて、パタンと書物を閉じると、だらんと両手を地面に投げ、空を仰いだ。



(憧れ…?えっ?誰がっ!?)



いつもの無表情と違い、空を仰ぐ横顔に憂いを感じる。



あの悲恋物語の『身分の恋』を、この男が口に出して読むとは…。



(いけないもの見ちゃった気分。鍛錬しに来た場合じゃないな)



はぁ、とため息をつく。



(仕方ない。他の所に行くか)



どこかあったかな、と珠華は回れ右した。



その瞬間、パキリと地面に落ちていた枝を踏みつける。



(げっ!しまったっ!)



考えていたら足を疎かにしていた。後悔するが、既に遅し。



「…!誰だっ!」



琉凰がハッとしたように立ち上がり、鋭く冷たい声で叫ぶ。



バレてしまった緑華は舌打ちして、正体がわからないように懐から布を取り出し口元を隠すと、恐る恐る隠れていた樹々の間から姿を現した。




「…っ!?」



だが、予想以上に彼は言葉を失うほど驚いた顔をする。



「まさか…っ、いや、ただの賊か」



琉凰は珠華を賊だと思い込んだようだ。



珠華は貴妃の親衛隊とは言えず、答えなかった。



途端、琉凰は険しい表情を浮かべ、カチリと剣を鳴らす。




「何故ここに…?どうやって入ってきた?」



冷たく睨む目に、ギクッ!とした。



「皇帝陛下…!私は、刺客じゃない」



思わず珠華がそう答えると、彼は目を丸くして、微かに失笑した。



「刺客じゃない?賊でもなく、か?では、ここの護衛官か何かか?…ふっ。どっちにせよ、よくもまぁ余の前でそんなことが言えたものだ」



(うっ…ダメだっ。これじゃあ、本当の事なんて言えない。言っても後宮から抜け出したと処罰される)



それはさすがに避けたい。



それに珠麗の護衛だと白状したらしたで、彼女の汚名にかかわる!



どのみち、本当の事は言えなかった。



「ふっ…なるほど。やはり、あなたを騙す事は出来ないようだ。私は、貴様を狙う刺客だ」




悩んだ末、珠華は『刺客』の振りをした。




(ああああ!とうとう言っちゃったよ!本当は本当に違うのに!)



珠華は態度を変えて刺客らしくそう宣言したが、皇帝である琉凰を騙した事で身体の震えが止まらなかった。



「なんだ、やけにあっさりだな。…つまらんな」



すると、何故か琉凰は鼻を鳴らして、ボソリと本当につまらなさそうに言った。




「え…?」



その意外な反応に珠華が目を見張ると、彼は鞘を掴んでいた手を離して再び後ろの木にもたれかけ寛ぎ、先ほど読んでいた書物に目を通す。



「はっ?」



その態度に、さすがの珠華も呆気にとられた。



ここは普通、刺客である珠華に慌てるとか、襲われる前に斬りかかるとか、何か対抗するはず。



「ん…?なんだ、来ないのか?」



すると、琉凰は書物から顔を上げ、動かない珠華を不思議そうに見つめた。



どうやら彼は、珠華が襲いに来るのを待っているようだ。



(何よ、この人?なんなの?いつもこうなの?)



自分が襲われるというのに、淡々としているというか、成り行きに身を任せているような、無頓着さがある。



(ますます、訳がわからないわ。自分の命が惜しくないのかな…?それとも、刺客なんて慣れっこで、斬り付けられても驚かないとか…)



まるで襲ってくれ、と言っているようなものだ。



珠華はどう反応すればいいのかわからず、迷った。



「おい…?どうした?余を殺しに来たのだろう?さっさとすればいい」



あまりに長いこと迷う珠華に対し、彼は焦れたのか、ただ早く終わらせたかったのか、面倒くさそうな顔で言った。




これには、何もしないでいる方が怪しまれる。



珠華は仕方なく、懐に隠し持っていた短剣を取り出した。



「…なんだかわからないけれど…。貴様がそのつもりなら、すぐにしてやろう…っ」



(こうなったら、やけくそだ!)



軽い処罰どころではない。



だが、珠華は琉凰のお望み通り、彼に襲いかかった。



(伊達に専属護衛なんてやっていないわ!)



そう心の中で叫び、木にもたれている彼に短剣を向けた。



(ああ、どうしよう!本当に私、この人を…!)




それは本気じゃない彼女の迷い。



琉凰は目の前に迫った珠華を見て、僅かに口元を吊り上げた。




「遅いな」



ボソッと呟いた彼の言葉は、彼が抜いた剣と珠華の短剣がぶつかり合う音でかき消えた。



「なっ…!?」



いつのまにか目の前で剣を抜いた琉凰に、弾き返された珠華は驚き、その反動で後ろによろめいた。



「本当に刺客か…?」



続けて突いた琉凰の剣先が、よろめいた珠華の髪を、その隠した布巾を引き裂いた。




「あっ!」



思わず珠華が声をあげる。



裂かれた布巾から、はらりと綺麗な白銀の髪が露わになる。



「な…っ!?」



目の前に零れ落ちた髪色に琉凰はピタリと動きを止め、驚愕した。




(やばい…!)



この髪の色には意味がある。



珠麗の珍しい髪の色と同じで、真珠国の者に稀に銀髪で生まれる子供がいた。



慌てて地面に落ちた布巾を取って、琉凰から距離を取ると素早くそれを頭に巻き直した。



「そなた…その色は…」



琉凰が呆けたように呟く。



ハッとして顔を強張らせた珠華は彼に背を向け、その場を駆け出した。




「あっ…!待て!」




後ろから鋭く呼び止める琉凰の声と、追いかける足音。




それを振り切るように、珠華は全速力で走り、彼から逃げ出した。

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