第2話

披露した後は、皆と同じように他の舞を見物する事に。



待機室を出て舞台裏からこっそりと見ていると、同じ年頃の女が舞う姿に、珠麗の顔が重なった。



ズキン!と胸が痛み、それを振り払うように目を閉じて、彼女を喪った悲しみを心の奥にしまい閉じ込めた。



「…身体に支障はないのか」



ふと、後ろから声が聞こえた。



どきりとして、珠華は振り返った。




漆黒の髪に少し翳りのある翡翠の瞳。




いつの間にか近くに人がいた。見たことのある男性だ。



だが、彼のそれは珠華に言ったことなのか分からない。



視線は他を向いていた。




「…ええっと…私、ですか?」



誰だろうと、首を傾げながら珠華が聞き返すと、彼はようやくこちらに視線を向ける。



無表情に無機質な眼。感情の読めない視線に、戸惑う。



「即位式後は大変だったな」



即位式後とは、珠麗暗殺事件のことだ。



あまりのショックに、珠麗は後宮の奥で寝込んでいたことになっていた。



だが、その事件は、関係者以外は知らされていないはず。



「…あの、何故それを?」



警戒するように問うと、彼は小さく首を傾げた。



「わからないのか…?琉凰だ」



途端、珠華は驚愕する。



「なっ…!なんであなた様が…っ!?」



思わず指を差して素っ頓狂な声を上げると、彼は軽く眉を寄せ、訝しげに呟いた。



「何を驚く…?祝舞祭は出れないと言っていたはずだが?」



「え…っ?いや、でも、あそこには陛下がっ?」



皇帝陛下の席を指差すと、そこにはきちんと皇帝陛下らしく着飾る男がいる。



「あれは影武者。それでどうなんだ。舞を舞ったのだから、大事ないはずだが…」



ポカンとして、珠華は答えれない。



頭が追いついていかない。



(影武者って何よ?これは陛下の為の祝い事でしょ?それに今更、心配する振りってなに!?)



だんだん、腹が立ってきた。



「…おい、どうした?珠−−」



「ああっ、ごめんなさい!陛下に会うのが、とても恥ずかしくて…。あれしきのことで熱が出て寝込んでしまうなんて。陛下の方こそお疲れでしょう?犯人を捜していると聞きました」



彼の言葉をわざと遮り、珠華は恥じらうように、また彼を心配する振りを装って、大袈裟な身振りで答えた。


皇帝陛下、琉凰は軽く目を見張った。



「いや…余は疲れてはいないが、犯人は未だ絞れていない状態だ。また同じことが起きないように、警備の数を増やす事にした」



(はぁ?警備を増やすぅ?随分チンタラしてんのね。警備を強化しても犯人は捕まらない)



余計に警戒させちゃって、逆に犯人を捜す時間が長引きそうだ。




「…それは、助かりますわ。私、あれから不安で不安で夜が眠れませんの。なんでもあのとき、死者が出たとか。早く犯人が見つかればいいのですが…」




珠華は『死者』という言葉を強調し、嫌味を込めて言った。




すると皇帝陛下は眉をひそめ、少し考える素振りを見せた。




「死者が出たことは、余がいたらなかったせいだな。怖い思いをさせてすまなかった。それだけ言いたかったのだ」



拍子抜けだ。



自分の配慮が足らなかったことを詫びてくるなんて思っていなかった。



寝込んでいたとき見舞いも来ない陛下に幻滅したが、こうしてお忍びで目の前に現れ声をかけてきてくれた。少しは心配してくれたのかもしれない。



「そんな、それは陛下のせいではないでしょうっ!?」



気づくと、思わず強く否定していた。



ハッとして慌てて口を押さえると、陛下は驚いた様子で珠華を見て、肩をすくめた。




「確かに、余のせいとまではいかないな。しかし、犯人を見つけられないのは事実だ。この祭事が終わったら、本格的に犯人探しをする事にする」



話はそれだけだ、と彼はまた視線を舞台に向けた。



珠華はそんな陛下に頭を下げて、



「ありがとうございます」



感謝の言葉を込めた。




それからは二人並んで、舞台裏でこっそりと披露する舞を見物した。



そして祝舞祭が終わると、陛下は現れた同様、いつの間にか消えていた。



執務に戻ったのかもしれない。



結局、陛下と話したのはその事件のことだけだった。



再び待機室に戻ると、侍女達がいて動きやすい服に着替えさせてくれた。




「貴妃様。陽が沈むまでは後宮の自室へとお戻りください。今宵は、陛下がいらっしゃいます」




一人の侍女の言葉にキョトンとした。



はて?夜に陛下が何故?




「陽が暮れてから、まだなにかあるのですか?」



さきほど、話をしていたばかりだ。



思わず聞き返すと、その侍女が驚いたように目を見張る。



周りにいる他の侍女達は頬を染めて、チラチラとお互いに視線を投げつけていた。



そこにはなんとも言えない妙な雰囲気が漂い、本気で分からなかった珠華は居心地悪そうに眉を寄せた。




「なにを申されるのですか。陛下がいらっしゃるのですよ。大事な務めがあります。皇帝を支えて下さい」



大事な、務め…?まさか、それは…!



何をしなければならないのかようやく分かった。



途端に顔を真っ赤にする。




「そ、そうでしたわね!ごっほん。それで、今宵は来てくださるのでしたね」



「そうです。私共が参りますので、それまでには自室へお戻りください」



それを告げると侍女達は、珠華の世話をする侍女頭だけ残りその場を出て行った。




珠麗姫付きの侍女であり責任者の侍女頭は、司侑鈴シ ユウリンと呼ぶ。



彼女は珠麗と共に後宮入りした虹家の侍女だった。




お風呂や着替えの時に珠麗の体を見るわけだが、そのとき珠麗にはない傷が、珠華の身体にはあった。



別人だと知られてしまったが、侑鈴は聡明で賢い。おまけに珠麗を子供の頃から支えては仕えた人なので、彼女が虹家の姫を裏切ることはなかった。



信頼できると知って、珠華は侑鈴に本当のことを話した。



侑鈴とともに自室へ向かう。



衣裳を脱いで、赤と黄色の軽装な服に着替える。




誰の目もないことに、やっと解放された。



寝台に上がり、思わず寝転がる。




「んんっ!珠麗様っ!はしたないですよ」



侑鈴の指摘に、珠華はブスっとして起き上がった。




「しょうがないじゃない。あの長ったらしい舞が終わったのよ!疲れたのよ。なんであんな衣装を着て、恥ずかしいったらないわ」



文句をつける珠華を見て、彼女は飽きれたようにため息をつく。



「なにを申されますか。それは姫君の務めです。それで、どうされますか?夜まで時間があります」



「あ、そうよね。覚悟はしていたけど、夜の務めって、まだ早いでしょ?やっぱりしないといけないのかしら」



出来ればしなくない。



花嫁の大事な務めではあるが、変わり身の花嫁なわけだし、こういうことは本当に嫁いだ相手が、好きな人がいい。



なんて、恥ずかしそうに珠華は不満をもらす。



「後宮の姫君は誰もが陛下の物です。逆らえば死刑です。花嫁ともなるお方が自分の感情だけで中止など出来ませんよ」



後宮には只今、皇帝陛下の花嫁にと選ばれた妃が四人いた。



皇帝自ら迎え入れたのは珠麗だけだが。



確かに、すでに後宮に入ったので、自分はもう皇帝のモノ。



務めは最後まで果たさなければ意味が無い。



「うううーー。嫌だぁ!待ちたくない」



だが、心は拒絶しそれが言葉となって表に出た。



「嫌だ、とはまったく。皇后陛下となる方のお言葉ですか」



「そうだけどさ、他にもいるじゃん候補者がっ!嫌なものは嫌なのよ。自信がないの。その、そっち方面は私、疎い方だし、なにをすればいいのか…」



「あなたは、なにもしなくていいのですよ。殿方がするものなので、あなたは身を任せればいいのです」



ごほん、と恥ずかしそうに少し頬を染めて言う姿が可愛らしい。



「その口調からするとやっぱり経験者か」



珠華がボソリと呟くと侑鈴は顔を真っ赤に染めた。


「珠華様!!」



動揺で思わず珠華の名を叫ぶ。



その恥じらう態度が新鮮で珠華は笑った。



「そうだね。まぁ、今回も流れに任せれば、大丈夫だろうな」



そう自分に言い聞かせ、珠華は寝台から飛び起きた。




「よしっ!決めた!」



拳を握り、不安を振り払うように大声を上げた。



突然の大声に侑鈴は驚いたようだ。



「姫様、突然の奇声はどうしたものかと…」



「侑鈴!時間潰しに行ってくるわ!」



侑鈴の言葉を遮り元気に声を上げると、寝台の下に隠していた護身用の剣を手にする。



「え?珠華様!?何をなさるのです!?」



侑鈴は剣を取り出した彼女にギョッとして、青ざめて止めに入る。



「大丈夫大丈夫!ちょっくら素振りしてくるわ!」



だが、珠華は止める彼女をするりとかわして、扉に向かう。



「だ、駄目です!誰かに見つかったら…っ」



真っ青になって慌てて止める侑鈴を無視して、扉の前に来た緑華は後ろを振り向いてにっこりと笑った。



「すぐに戻るから!じゃ!」




それだけを言い残し、その場から逃げるように珠華は自室を後にした。



「シュ、珠華様あああああーーーっ!!」



侑鈴の情けない声が、一人残された室内に響き渡った。


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