第一章 偽の貴妃様誕生

第1話

満開に咲く薄紅色の小さな花びらがひらひらと風に吹かれて舞う。




新春を迎え、世はまさに新しき季節を前に喜びを感じている時期。



即位式を迎えたばかりの翠国では新しい皇帝を前に喜びと困惑に包まれていた。




その渦中にいる即位された新しい皇帝陛下は、先代から寵愛を受けていた女から産まれた庶子だった。



先代皇后陛下は第一皇子に第三皇子を産み、他の妃から第二、第五、第六皇子が産まれた。



そのとき他国に出向いた先代は平凡な暮らしで町娘だった蓮香レンカを見初めた。



蓮香はかの有名な傾国の美女の言い伝えのように、絶世の美女だった。



皇帝陛下に見初められ無理矢理拐かされ、子を授けた。それが現皇帝陛下、第四皇子だった緑琉凰リョク ルオウだった。



宮殿の奥の後宮にずっと閉じ込められた彼女は、好きでもない男との間に子まで授かったことに耐えきれなくなり精神が壊れ狂ってしまった。



狂ってしまった彼女は、全ての憎しみを我が子に向けた。毎日の折檻に時折見せる母親からの異常な愛情。それを見かねた先代は蓮香の監視のない他国へ琉凰を養子にさせた。




だが、彼はそこでも酷い仕打ちを受けていたようだ。





琉凰は宮殿から離れていたが、先代が病で倒れると、 彼を呼びつけ、何故か次期皇帝陛下に選んだ。



それからすぐに先代が崩御し、選ばれた琉凰は皇帝陛下となった。



そのとき、数少ない味方として、養子に出たその国出身である珠麗を花嫁として自ら選び、後宮入りさせた。




琉凰は珠麗を好きでもなんでもない。ただの政治の駒としか思っていないようだ。しかし、珠麗の方、つまり花嫁となる彼女の方は別だった。



そのことを珠華、彼女だけが知っていた。




珠華は珠麗の双子の姉。だが、そのことは珠華たちの両親と乳母、護衛官の一部の者しか知らない。



珠華は珠麗の身代わりだったから。



珠華の母国、真珠の国は双子は縁起の悪いことで有名だ。どちらかを国の護り神に捧げなければならない。つまり護り神の生贄。




生贄は珠華だった。だが、我が子を神に捧げることを拒んでしまった両親は彼女を将軍を勤めていた男の養子にさせた。



将軍、珠華の養父である姫楊心キ ヨウシンは、彼女に剣を教えて珠麗を守る親衛隊に入れた。




珠華は第二の人生をくれた両親に、養父に感謝し、ずっとその命がつきるまで、珠麗に尽くすのだと信じていた。




それが、こんなことになるなんて…。




珠麗が亡くなり、三日後には皇帝陛下が開く祝舞祭がある。人前で舞を披露するのだが、今から中止にもできず、その場にいた珠華が彼女の代わりとして出る事に。





……そして、深夜にひっそりと、珠麗の遺体を祖国に送る。



彼女が亡くなったことを知っているのは、珠華に親衛隊隊長の劉慧影リュウ ケイエイと侍医の黄天琅コウ テンロウだ。



あの場に居合わせた親衛隊は、隊長の慧影が口裏をして、珠麗は亡くなったのではなく、大事を取り奥の間で休むことになると伝えた。そのときにはすでに珠麗の代わりに珠華が演じていた。



誰にも真実を口外しない。



そう祖国から珠麗の為に一緒に来た珠華、慧影、昔から知っていた天琅の三人は、彼女が亡くなった真実を隠す事にしたのだ。




これがどうなるか…。真実を知られれば、虹家一族もろとも死刑だ。それに関わった姫家も危ないかもしれない。



だが、このときは他にどうすることもなかったのだと、珠華は思っていた。





……こうして、珠麗の代わりに祝舞祭の当日に時は戻る。




舞に合わせた動きやすく煌びやかな衣装に、手元に二つの扇子。




足がガクガクする。顔は強張り背には冷や汗。



(ああ、ダメだ。見えない敵と戦っているみたい。こんなにも緊張するなんて)




周りには沢山の人、人、人。




隣には、威厳ある皇帝陛下。



立っているだけでやっとのこの状態。



珠華は珠麗と違い、舞の作法など知らない。ただ、近くで見ていたということもあり、珠麗の真似は出来る。



それにかけて、作法も礼儀もイマイチの珠華はこの場にいる。



(いやいやめげるな!あれから猛特訓したんだ。舞の流れはちゃんと掴んでる!)




自分を奮い立たせ、不安を振り払う。キッと前を向く。



流れにそり、体に叩き込んだ舞を披露する。




みんなの前で、にこやかな笑みを崩さないように優雅に舞った。




暫くして、誰も何も言わず、舞を見ていた皆が一斉に拍手した。



(…ハァ〜っ!せ、成功した!)



拍手の中頭を下げて、その場を離れて人払した待機室。




来ると途端に力が抜けて、床に座り込んだ。




「よくできてましたよ、姫」



王族の血を引き、姫家の養娘である彼女を「姫」と呼ぶ彼は、親衛隊隊長の劉慧影だ。




中性的な美貌の青年で、深い青の髪に紫の目をしている。



彼の笑いを込めたその笑みに、珠華はムゥと顔をしかめた。



「なによそれ。嫌味か?それは嫌味か?」




思わず二度聞き返すように突っかかると、慧影はくっと喉を震わせ小さく笑った。



「いやいや、まさか!数日で流れや作法を覚えて、あれだけの舞が出来れば上出来ですよ。まぁ、ちょっと…笑顔が硬いようでしたけど」




「やっぱ、嫌味じゃん。まぁ、いいわよ。私だって思ったし。流れについていくのに精一杯!」




そう言って、投げ出すように珠華は大の字に転んだ。



「ちょっと姫。誰も見ていないからって、はしたない」



慧影が顔をしかめる。



それを下から覗きながら、珠華はちょいょいと手を招き彼を呼んだ。



彼はため息をつき、ツカツカと歩み寄ると、珠華の前で跪いてその顔を覗き込んだ。




「ねえ、慧影。あの第四皇子、皇帝にバレてないよね」



珠華が自信無しげに口をつくと、慧影は少し目を見張り、それからくすりと笑った。



「ええ。特に驚きも戸惑いも感じていなかったと思いますよ」



「そう。それならいいけど…複雑だな。麗の親衛隊はみんな覆面で顔を隠しているけど…。仲間だけじゃなく、この後宮に居た時に私の顔をはっきり見た人は何人かいるのよ。麗とはあまり似てないのに、誰も彼女が偽者だと気づかなかった」




珠華の言葉に慧影が少し悲しげに目を伏せる。



「ええ。パッと見はあなたと珠麗様はそっくりですけど、近くで見ればやっぱり違う。きちんと代わりは出来てましたが、素直に喜べない。複雑ですね」



慧影の悲しげな表情を見て、視線を外し、目を閉じる。



「麗は、本当にこれを望んでいたの…?こんな物、大切に持っていたなんて」



ぐっと、髪に指を入れて、引き抜く。



黄や薄紅色、青の花が散らばった髪飾り。



これは、珠麗がこちらに来て初めて皇帝陛下に貰った贈り物だ。



彼が果たして、覚えているかどうか分からない。だけど彼女はこれを大事にしていた。



あのとき、珠麗は珠華に、亡くなるときこれを手渡した。



その本当の意味を知るのは、多分、珠華だけ。



慧影はその髪飾りに視線を向けて、ため息をついた。




「しかし、珠麗様も何故亡くなる直前にそれを手渡したんです?第四皇子だった皇帝から授かったものだから、これで代わりにと、あなたに渡したのですか?」



「…多分、ね。『私の代わりに花嫁に』と、そう私に託したかったんじゃない」




そう適当に言う。




この髪飾りに込められた想いを知るのは、自分だけでいいと、珠華は複雑な想いでそれを眺めた。




「…それで、姫様。これからどうするんです?本当に最後まで演じられますか?」



話を切り替えた彼は真剣な表情で珠華に問いかけた。



珠華は一瞬目を見張ってから、ゆっくりと起き上がる。



真剣な表情の慧影を見返して、覚悟を決めた表情で立ち上がる。



「今更、後戻りできない。祖国にも私は死んだことになったんだから。私が、珠麗になる」



祖国に送った、珠麗の遺骨や遺品は『護衛中に永眠した珠華』として送った。



両親には珠麗が亡くなったことを知られたくなかったし、珠麗本人が珠華に身代わりを選んだ。それは両親やその周りも騙し、珠麗自身が死んだことを黙っていて欲しいという意味も含まれる。




珠華が、珠麗本人になるとは、何もかも騙して、珠華という存在を失くす、そういうことだ。



もう、自分の葬式はした。




珠華という立場が何処にもなくなったのだから、今度は珠麗として生きるしかほかなかった。




悲しいのか、辛いのか、自分でも分からない。




涙は出なかった。



こちらを見下ろす珠華の視線。真剣で、強い、覚悟を決めた揺るぎない信念。



慧影は眩しそうに目を細めてから、さっと体勢を直し、両手を目の前に添えて首を垂れた。




「…では、これから貴女は虹珠麗様です。第十代目皇帝陛下の花嫁であります。私、劉慧影は、今もこれからもあなたを裏切ることなく一生お仕えしますと、ここに忠誠を誓います」




忠誠を尽くす臣下となり、賢まった慧影に、珠華…虹珠麗はにこやかに笑い、頷いた。

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