2月7日『犯行予告』

「お兄ちゃん、今年のバレンタインはチョコ手作りしようと思うんだけど、食べてくれる?」

「今年の、って。今年も、だるぉ?」

「まあそうなんだけどさ。いいから、ゆかがチョコ作ったら食べてくれる?」

「? おう、食うけど」

「そっか。良かった」

「……?」


 朝ごはんを作りながら、お兄ちゃんに背を向けて聞いた。

 答えはイエス。

 今年のバレンタインこそはお兄ちゃんをベロベロに酔わせるくらい強いお酒を使ったチョコを作って、酔い潰れたお兄ちゃんを襲ってやるのだ。

 お兄ちゃんはとにかくお酒に弱い。

 ビール一杯も飲み切らないし、甘いカクテルでも顔を真っ赤にしてしまう。

 まあいわゆるってやつなんだろうけど、とにかく弱い。

 そして酔うとすぐに寝てしまう。

 つまり私はその寝込みを襲ってしまおう、既成事実を作ってやろうと計画しているワケだ。

 去年も手作りでお酒をたっぷり使ったチョコを作ったんだけど、どうやら入れるタイミングが良くなかったみたいで、お兄ちゃんは作った生チョコをペロリと平らげてしまった。

 酔いが回るのを待ってみたけど一向に赤くならないお兄ちゃんを見て、どうやら失敗してしまったことに気が付いた。

 一昨年はお兄ちゃんが入院したばかりでそれどころではなかったし。

 今年こそはお兄ちゃんを私の愛の罠にハメてやると画策しているのだった。


「今年のチョコはどんなのが良い?」

「種ぅいとかよく分からん」

「へっへー、実はもう決めてあるんでしたー。リクエストがあっても上げるチョコは変わらないんだよー」

「じゃあぁんで聞いたし」

「まあまあ、もしかしたら気が変わって作ったかもしれないじゃん?」

「ふぅん? まぁいいけど。俺はお前が作ってくれたものぁらぁんでも食うよ」

「え、何それ、プロポーズ? ちょっと待っててお兄ちゃん、録音するからもう一回言って」

「いや、言わねぇけど」

「何でよもぉー」


 既成事実を作る前に私の恋が成就したと思ったのに。

 まぁ、さすがにそんなことは無いと分かってるけど。

 これまで頑なに私のアプローチを拒んできたお兄ちゃんが突然私にプロポーズするなんて天地が引っくり返っても有り得ない。

 そんな天変地異が起こるくらいなら規模はもっと小さくて良いからお兄ちゃんの身体が治るっていう奇跡が起きてほしい。

 

「…………」


  朝ごはんが出来て、静かに振り返ると、お兄ちゃんが虚ろな目で虚空を見上げていた。

 ベッドに腰掛けて、身体を支えている両腕が小刻みに震えているのが分かる。

 もうすぐ事故から二年間が経つけど、この二年の間にお兄ちゃんは色んなものを失った。

 事故で大ケガを負った時に仕事を失って。

 下半身不随で両足とその感覚全てを失って。

 病院にいる間に、頑張れば何だって出来た、その自信を失って。

 退院して日常に戻って『普通』を失って。

 私との退屈な生活の中で希望を失って。

 何も変えられず、多くを失った自分に落胆して前を向く心を失った。

 お兄ちゃんは、ずっと何も無いものを見ている。

 そこに在ったハズの、今は喪ってしまったものを。


「お兄ちゃんっ、朝ごはんできたよぉー!」

「っ!?、…………おう」

「もぉー、ボーッとして、何考えてたのー? さてはゆかのエプロン姿見て、エッチなこと考えてたんでしょぉー。やだもぉースケベー」

「ぁにをどうしたろぁそんぁ考えにぁるんだ」

「何をどう考えてもゆかはお兄ちゃんを欲情させる方法を考えてますよー」

「どうしてこうぁった……」

「ゆかは昔からこんなだよっ、ゆかは何も変わんないよ、お兄ちゃんがどうなっても。ゆかは変わんないよ」

「…………おう」

「さ、ごはん食べよ? 冷めちゃうよー」

「おう」

「あ、ところでお兄ちゃんは裸にエプロンと裸にリボンだったらどっちが良い?」

「ぶっ!!」

「ちょっ、お兄ちゃん汚いっ」

「お前が変ぁこと言うかぁ!」

「もぉー、冗談じゃん冗談ー」

「本当かぉ……」

「さーて、どうでしょうー? バレンタインをお楽しみにねぇー?」

「……」


 頬を緩ませてお兄ちゃんを眺める。

 私が切ってあげた短い髪を視線で撫でる。

 頬から顎にかけて皮膚が千切れて、皮膚移植をして右頬だけわずかに吊り上がった唇を見詰める。

 潰れてえぐれてしまった、ほとんど剥出しのような鼻骨を吐息で愛でる。

 骨が陥没して、セラミック製の人工骨を埋め込んで常に物もらいのようになった腫れぼったい左まぶたを指でなぞる。


「傷、すっかり良くなったね。もう痛そうに見えないよ」

「良くぁんかぁってねぇよ。B級ほぁー映画のゾンビみてぇだ」

「自分の顔しばらく見てないくせにー」

「お前が家中の鏡捨てぅかぁだぉ」

「だってお兄ちゃん、鏡ばっかり見ててつまんなかったんだもん。お兄ちゃんは実はナルシストだったのかと思ったよゆかは」

「そうだったぁ、もっと悲惨だっただろうぁ。こんぁになっちまって」

「そうだねぇ、きっとそれだけでしんじゃってだだろうねぇ。きっと私を置いて死んじゃってただろぉねー」

「……んぁことねぇぉ」

「そうかなー?」

「……そうだぉ」


 お兄ちゃんの、歪に変わった顔を、私は優しく指で擦っていく。

 人前で働くことが忌避されるようになってしまったその頬を。

 歪んでも感覚はちゃんと残ったその唇を。

 人前に自身を晒す小さな自信さえ奪ってしまったその鼻を。

 日常から『普通』を奪い、希望も、やる気も奪ってしまったその身体を優しく抱き締める。

 ところどころ長かったり短かったり、素人が切ったとすぐに分かってしまう髪を優しく撫でる。


「ゆかねぇ、お兄ちゃんが、生きててくれて嬉しいの。生きるのを止めなかった、ゆかの為に諦めてくれたのがすごくすごく嬉しいんだよ」

「……」

「だからね、ホントに、本当にね、ゆかの全部をお兄ちゃんにあげたいって思うんだよぉ?」

「……」

「気持ち悪いかな、こんな妹。本気でお兄ちゃんの物になりたいって思ってる。本気でお兄ちゃんの子供が欲しいって思ってる。気持ち悪いよね。ヤバいよね、こんな妹は、ね。こんなヤバいやつ、マンガにもアニメにもいないよね」

「……」

「受け入れてくれなくても良いの。それが拒否じゃないなら」

「召し使いでもメイドでも奴隷でも何でも構わないの。ゆかのこと、これからも傍に置いてくれるなら」

「お兄ちゃん……私ね」

「……」


 お兄ちゃんの耳元に、ゆっくり近付く。


「お兄ちゃんの赤ちゃんが欲しい」


 今年のバレンタインにはあまーいお酒がたっぷり入った、チョコフォンデュを作ってあげるの。

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