1月12日
5時半に目が覚めた。
と言うか、けたたましいスマホの目覚ましアプリに起こされたのだ。
耳元で大音量で鳴り響いたAが好きなアーティストの新譜を、ため息混じりに停めた。
記憶を辿り、残滓に近いAの記憶を読み取る。
そうか。外が大雪だから、遅刻しないようにいつもより大幅に早く目覚ましをセットしたのか。
ならなぜ3時ギリギリまでアニメを見ていたのだろうか。
沸々と怒りがこみ上げてくる。
と同時に感じる倦怠感。
二時間半程度の睡眠しか取っていないのだから、それも仕方ない。
Aは翌日は僕だと思って無茶苦茶するきらいがあるから、いつも釘を刺しておくのだけれど、それでも中々言うことを聞いてくれない。
どちらが我が儘な『B』なのか。
いや、A風に言うなら行動力のある『B』か。
眠たい目を擦りながら、雪の影響がどの程度なのか確認する為に立ち上がる。
カーテンを捲ると、外は一面の白だった。
降り積もった雪がふわふわと辺りの色を全て覆い、緑の樹木も黒や茶の家の瓦も、真っ白に塗り替えていた。
「積もっちゃいるけど、これくらいなら大丈夫か……?」
辺りは白いが、視界はとてもクリアで、朝陽が登る姿が見える。
夜明けと共に止んだのだろうか。
寒いから絶対開けないけれど、きっと外はピンと張りつめた冷たい空気で澄み、とても気持ちの良い空気に溢れているのだろう。
出勤時間前倒しの為とは言え、早起きさせてくれたAには感謝しなければ。
まあ、外の空気を吸うのはもう少し後だけれど。
朝食を食べ、支度を済ますと、いよいよ出掛けるかどうかジャッジしなくてはいけない時間だ。
もう一度窓から外を眺める。
雪はちらりとも降っていない。
しかし一面の銀世界だ。
なら道はどうなっているだろう。
恐らく歩道は凍っている。
踏みつけられた雪が固まり、きっと氷になっている。
ではウチから大通りまでの道はどうか。
下手すればまだ雪が積もっている可能性もある。
仕方ない。どんな交通機関を使うにしろ、名残雪どころか一面雪景色なのであれば、移動に時間がかかるのが道理だ。諦めて早く出よう。
案の定、どこもかしこも、道という道が凍結していた。
道に氷が張っている。
大通りでさえ車が通った跡以外はまだ白く薄氷が張り付いている始末だ。
滅多に大雪にならない地方特有の後処理の悪さと言えた。
しかし、大した遅れもなく、スリップしてケガをするなんてこともなく無事出勤し、勤勉に職務に従事し気が付くともう19時である。
特に今日も何事もなく終わった。
雪で家から職場の往復が面倒なこと以外は、別段変わらない一日だった訳だ。
……ふむ。
僕は、これからもこんな毎日を送るのだろうか。
この身体で、これからもずっとAと生きていくのだろうか。
それは当然だ。僕はこの身体以外に居場所が無いのだから。
端から選択なんて出来る立場ではないのだから。
たった半日の間に名残雪程度になってしまった雪を眺めつつ家に帰り、温かい紅茶でひと息入れ入れいようと台所に立った時に気が付いた。
僕が愛飲している紅茶のティーバッグが収められている箱の中に、小さく折り畳まれた白い紙が突き刺さっている。
Aからの手紙だ。
普段からAは僕に書き置きを残したりするけれど、今回の手紙は随分と回りくどい渡し方と言える。
確実に僕はこのタイミングでこの手紙を発見しただろう。何故なら僕が仕事から帰って真っ先にすることが、紅茶を淹れることだからだ。
しかし、どうして書き置きではなく、このタイミングでなければ気が付かない、手紙なのか。
これまでにない、Aからのアプローチに言い表し様のない不安を感じる。
何か、良くないことが書いてあるのではないだろうか。
端的に言って、『僕がAをどう思っているのか』気付いてしまったのではないか。
いや、より正確に『私のもう一つの人格が、同性ではないことに気付いた』のではないだろうか。
能天気とも楽観的とも、はたまた間抜けと言えなくもないAの性格だけれど、勘が良いところも確かにある。
折り畳まれた白い紙をパンツのポケットに差し込み、僕はマグカップにティーバッグを落とす。
「……すぅ…………ふぅ……」
ゆっくりと息を吐き出し、お湯をマグカップに注ぐ。
ぺしゃり、と腰から座り込む。
「……はぁ。……何なんだろ」
膝を抱え、紅茶が出来上がるのを待つ。
「……すぅ…………はぁ……」
知られたくない。知られたくない。
何度も何度も頭の中で呟く。
こんな、こんな気持ち悪い僕の事を、Aに知られたくない。
Aに嫌われたくない。
知られたくない。知られたくない。
嫌われたくない。嫌われたくない。
ポケットを、ゆっくりなぞる。
何て書いてあるのだろう、何が書いてあるのだろう。
「もう、出来たよね」
ゆらりと立ち上り、少し熱くなった取っ手を掴み、台所から部屋へと移動する。
テーブルにマグカップを置く。
僕たちの定位置、PCの前にどすりと腰を下ろし、ポケットをまさぐり手紙を取り出す。
ただ小さく折られただけの紙が、こんなにも不安にさせる。
Aに後ろめたいことなどしたことないけれど、僕が僕だというそのことこそが、何よりもAに隠していたい一番の秘密なのだ。
Aへの伝言。言葉や仕草、対人関係や職場での振る舞いなど。
とかくAの記憶に残ることに関しては、徹底的に『私らしく』演じてきた。
私らしくある僕は、もはや僕の一部だ。
それくらい、僕は自然体でAに相対している。
だから、バレる訳がない。バレている訳がない。バレることなんて、絶対にないんだ。
「はぁっ……ふぅっ」
覚悟を決め、白い紙を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます