1冊5000,000,000円

@kamishiro100

 タブレットPCの画面を持ち上げ、放送サイトにつなぐ。デスクに向かってPCを覗き込む若い男の姿が映る。男、首藤は、顔を上げ、PCのむこうでカメラをかまえるスタッフにひとつうなずき、咳払いをした。

「それでは時間なので、始めさせていただきます」

      何の話すんの?        成金が緊張しとる

 ブラウザの端をコメントが流れる。須藤は苦笑した。

「新会社を設立しました。名前は『図書寮』。電子書籍の、作者と読者の仲立ちをします」

   そもそもこいつ誰なん?         ←仮想通貨成金

「二十世紀、紙媒体での出版には高いハードルがありました。文学賞の受賞、他分野での知名度。二十一世紀になって小説投稿サイトが生まれ、誰もが自分の小説を発表できるようになりました。でも発表できることと、小説家になれることは違います」

        色んなところに喧嘩売ってるが、大丈夫か?

「……いわゆるマネタイズ、収益化には、出版社や書店がこれまでコツコツと積み上げてきた仕組みとノウハウがあります。投稿サイトの作品も、出版社の目に止まり、本になって、初めて収入になる。文章を書いて収入につなげるのは、依然難しい。私たち図書寮は、そこを手助けします」

  具体的にどうするのかを話せよ

「図書寮は、暗号通貨、イーサリアム上で動作する、文章やイラスト、漫画の投稿サイトを提供します。読者はまずトークンを購入し、自分が読みたい作者にそのトークンを支払うことで、作品をダウンロードする権利を得られます。それぞれの作品には暗号化処置がほどこされ、コピー版が流布すれば、出所がすぐわかるようになっています」

 VALUみたいなもんか   あれはビットコインが基だな

「発想は似ています。このサービスとトークンには、『源氏物語』の作者、紫式部にちなんで、『shikibu』という名前をつけました。shikibuの発行枚数は作者ごとに異なり、人気によって、値段も違ってくるでしょう」

     普通の電子書籍と何が違うの?

「重要なのは作者と読者がピアトゥピア、直に価値をやりとりできることです。出版、印刷、取次、書店、あるいは巨大化した投稿サイトすら介する必要がありません。そのための費用を削減できます。また、別の仮想通貨steemの発想を応用し、良質のコンテンツの作者はshikibuの評価額が高くなるようにしてあります。これで作者自身が宣伝に割く労力は少なく、取り分は多くなり、また読者の負担は少なくなるでしょう」

           投げ銭システムとも違うのか

 首藤はPCのタッチパッドをクリックした。

「著名な小説家、漫画家の方々に、shikibuのみで発表する作品を用意してもらっています。今図書寮のサイトを公開しましたので、ご覧になってください」

 有名どころが結構いるぞ     なんか一億円とか値段ついてる

 コメントの量が増え、ざわつきはじめる。

「肝心なところは、誰でも作品を公開できることです。かつて、小説はごく一部の『先生』が大衆に向けて書くものでした。我々が目指すのは、一億人が一億人に向けて作品を創るようになることです。日本中の誰もが作者であり、読者です。shikibuはその仲立ちをします」

首藤は自社のページを開き、一人の女性作家を選択、トークンを指し値で注文した。

 わずか千枚分の買占めが終わると、首藤は再び目をカメラに向けた。

「我々は既存の媒体、紙の本や投稿サイトと共存していけると思っています。shikibuでの作品を紙で出版するケースも出てくるかもしれません。個々のこれから起こり得る様々な事態に、臨機応変に対応していきます」

   おい、時価総額五十億円のやつがいるぞ

「では、これで放送を終わります」

 なんだこれ 誰? 知らん 終わるな どういうことだよ 藤原紫って誰

 凄まじい勢いで流れていくコメントを見ながら、首藤はタブレットPCを閉じた。


 文京区のとある駅で地下鉄を降り、車の行きかう表通りから路地へ入る。いくつも角を曲がる。板塀の家がいつのまにか、道の両側からのしかかるように迫っている。

 道の舗装は陽に焼け、灰色にかすんでいる。真新しい黒いアスファルトがところどころ舗装につぎをあて、首藤の目にかさぶたのように映る。道はゆるやかな上り坂になった。

 家屋の二階が道の上をまたいで、つながっている。濃い茶色の板壁がところどころけばだっている。窓が開いている。女がひとり頬杖をついているのが見える。

「お久しぶりです、ゆかりさん。大事な話があって、来ました」

 女はぱちぱちと、大げさにまばたきした。

「ごめん、あんた誰だっけ?」

 膝から崩れ落ちそうになるのをこらえ、首藤は無理に口角を上げた。

「相変わらずだ、あなたは。今上がっていきます。逃げないでくださいね」

 女、藤原ゆかりも、唇の端を上げた。

「打たれ強くなったね、首藤くん」

 ゆかりは障子を隔てた台所で湯を沸かし、茶の準備をしている。首藤は卓袱台につき、六畳間の北側の壁を占めている本棚を眺めた。プラトン、司馬遷、シェイクスピア、ニーチェ、ハイデガー、古今東西様々なジャンルの本が並んでいる。ほとんどは文庫だ。棚の下には、最近芥川賞を受賞した作品の単行本が放り出してある。南側には窓に向かって長方形の書き物机があり、小奇麗なノートPCが伏せてある。

 卓袱台に湯飲みを置き、ゆかりが向かい側に座る。

「人んちの本棚を、じろじろ見るんじゃねーよ」

「……すみません」

 ゆかりは口元に湯飲みをはこび、音をたてて茶をすすった。

「で、何の用よ」

 首藤は正座で膝に両手をおいたまま、身を乗り出した。

「小説を書いてください。あなたの作品が読みたい」

「今は、人に読ませられるものはねーよ」

「いくらでも待ちます。書いてください」

「前もこんなやりとりしたよね。五年前だっけ? 懲りないね」

 長い髪に右手を無造作に突っ込み、ゆかりは頭をかきむしった。

「もう諦めたと思ったのに。今更なんで来た?」

 首藤はスマホを取り出し、図書寮のページを開いて、ゆかりに向けた。

「作家を読者が評価するサイトです。あなたは五十億円と評価されています」

 ゆかりが眉をひそめる。須藤は続ける。

「覚えていないかもしれません。会社を作る前に、契約書にあなたのサインをもらっています。このサイトに名前を連ね、トークンを千枚発行する。トークンの所有者には、対価として創作物を提供する、という内容です」

「あー、なんかそんなのあった」

 ゆかりは足を崩し、立て膝をついた。

「どうせあたしのことなんて誰も知らないと思ったのに。買うやつなんて……」

 ゆかりはまじまじと首藤を見る。

 首藤はスマホを卓袱台に置き、目を伏せた。

「はい。おれが買いました。一枚五百万円で、千枚すべて買い占めました」

 ゆかりはため息をついた。

「金で囲われるのは嫌だって、言ったよな?」

「確かに五年前の申し出は失礼でした。何度でも謝ります。だからこの会社を創ったんです。これは『shikibu』の仕組みを使った、健全な商取引です」

 ゆかりは人差し指と親指で湯飲みをつまむように持ち、含み笑いをしながら茶をすすった。首藤は身を固くした。

「何で笑うんです」

「いやー、おかしくって。だって同じことじゃん。金だけじゃダメだったら、契約とか商取引を盾にして。必死に『自分は正しい、権利がある』って言ってる」

「あなたは契約に同意したんです。おれには対価を受ける権利がある」

「あんた、言葉の意味わかってる? 契約の概念は古い。五千年前のメソポタミアからある。ハンムラビは神と王の権威のもとに、人々に契約を守らせようとした。権利は十七世紀以降、ロックから自然権の考え方が広まった。神が人に権利を与えた? カミサマなんていないって、みんなわかってる。たまたま地球に生まれた炭素ベースの生き物に、何で形而上の概念が生まれつき備わってるんだよ」

「過去の経緯はともかく、おれの会社の規約は、現行法では有効です」

「わかってるわ。いちいち立ち止まってたら、世の中が回らないもんな。でもいくら法律で有効だって言ってみても、あたしが書かなかったら、どうしようもないだろ」

「不定期に、ネットに作品を上げてるじゃないですか」

「最初の作品、感想くれて嬉しかったのは確かだよ。会ったのが間違いだった。それにこの前のができたのは、もう二年くらい昔だ」

「あなたの身体が弱いのは、よくわかってます。待ちます」

 ゆかりは胡坐をかいて足首を両手でにぎり、その両手を見つめた。

「やめろよ。あたしはもう若くないし、筆が遅い。文学賞がもらえるほどの話題性もないし、出版社に稼ぎをもたらすだけの文章量を生産できない。だから、専業作家になるのは諦めた」

「でも、あなたは書いてる」

「なんでそう思う?」

「ノートPCが手入れしてあるし、芥川賞の受賞作を追ってる」

「そりゃ、書いてるさ」

「なんでです?」

 ゆかりは胡坐をかいたまま、急須から二杯めの茶をついだ。湯飲みからちびちびと茶をすする。返事はない。首藤は再びスマホを手に取った。

「確かにおれは俗物です。ものごとを金で評価し、法で片付ける。そのおれにできる最大の評価の仕方が、これなんです」

 画面には無機質なフォントで、5のあとにゼロが九つ並んでいる。

「五年かけてシステムを構築し、法人化して、これだけの数字であなたを評価した。何で書くのかくらい、話してくれてもいいでしょう」

「あー、もう、しょうがねーな、わかったよ」

 ゆかりは前髪をかきまわした。

「書いてると、書き上げると、気持ちいいんだよ」

 ゆかりが顔を伏せ、瞳を上向けて首藤を見る。

「キャラクターが勝手に動き出す、ってあるだろ。のってくると、自分が自分の能力を超える感じがするんだよ。笑うなよ。あとこれ、誰にも言うんじゃねーぞ。恥ずかしいからな」

「わかりました。黙ってます」

「ハイデガーが書いてるんだよ。創造活動ってのは、ものごとの姿を簡潔に、力強く見て、最高の掟の前で力いっぱい耐えること。その危険に耐える最高の歓呼だとか、さ。世の中に気持ちいいことはたくさんあるよ。マラソンのランナーズハイとか、大恋愛の果てのセックスとか、よくできた劇を間近で見るとか。あたしにとって小説を書いて、書き上げることは、それ以上に気持ちいいことなんだよ。たぶん、脳の中の近く、でも別の部分が刺激されてるんだろう。だからドラッグにはまったみたいに、やめられないんだよ」

 ゆかりの顔は赤くなっている。首まで朱に染まっている。

 首藤は膝で、畳の上をにじり寄った。

「よく聞いてください、ゆかりさん。おれは、あなたのために仕組みを創ったんです。たかが10%以下の印税のために、出版社の編集とその向こうの読者を満足させる必要はないんです。おれがあなたの過去の作品を読んで、これから書くだろうものに期待して、これだけの値を出すと言ってるんです。ほかの作者の作品が読みたい人がいれば、shikibuを通じて価値をやり取りすればいい。でもおれにとって、それはついでです。あなたはこれまで通り、これまでのペースで、自分の書きたいものを書いてくれればいい」

 ゆかりは畳に目を落とした。

「あたしが、あんたが満足するようなものを書けなかったら?」

「作品の質や評価は問わないと、契約書にあります……が」

 首藤は微笑んだ。

「おれはこれまで、事業に失敗したことがありません」

 ゆかりは鼻で笑った。

「かわいくねーの。一度痛い目見ろ」

「ひどいな。一応スポンサーですよ、おれ」


 早朝。神保町の靖国通り。二人は薄手のコートを羽織り、歩いている。

 ゆかりはビルに掲げられた新刊の広告を、首藤は右手の中のスマホを眺めていた。

「shikibuの反響、すごいですよ。ゆかりさん」

「そーか? 投機の的になってるって聞いたけど。それより、歩きスマホやめろよ」

 首藤は笑って、スマホをコートの内ポケットに収めた。

「金の問題はあります。金融庁や国税とやりとりをして、ひとつひとつ解決します。shikibuは百万部のベストセラーは出ないけど、百人のファンがつく本を一万点出せる。それを目指してる。それに時価総額トップのあなたの作品を誰も読むことができないのが、話題をさらってる」

 首藤は立ち止まり、人のいない歩道の真ん中で、両手を広げた。

「総務省の統計では、2016年の書籍出版点数はだいたい8000。1年、書籍だけでですよ。全国出版協会の数字だと、同じ年の書籍出版販売額は8000億円弱です。今この世界に、何冊の本が出回ってるんでしょう。1億冊じゃきかないでしょう」

 右手を胸の前に持ってきて、人差し指を立てる。

「でもあなたの本は、いま、おれが大切にしまいこんでる、あの1冊しか存在しないんだ」

「わかったから、唾をとばすな」

 ゆかりは笑い、髪を耳にはさんだ。

「成金趣味だよ。大層に革で装丁して、天や小口にまでこだわってさ」

「あなたの力に気付いたのは、おれだけだ。あなたの環境を整えたのはおれだ。人がどんなに批判しようとも、あなたの作品を読む資格は、おれだけにある」

 ゆかりは腕を組み、軽く首をかしげた。

「復讐か」

 首藤はゆかりと同じ向きに、首を傾けた。

「なんです?」

 ゆかりは半ば目をつむって、淡々と言った。

「なんであたしに肩入れするのか、不思議だった。あんたは怒ってたんだ。あたしのためじゃない。自分が気に入ってる作家を誰も評価しないことに、腹を立ててたんだ。その怒りがあんたに新しいビジネス、会社を創らせた。莫大な金をかけて宣伝して、そして独占することで、あんたは世間に復讐してみせた。『お前ら、なんて見る目がないんだ』って」

 ゆかりも人差し指を立てる。

「『おれは違う。どうだ、うらやましいだろう』ってね」

 首藤は腕を、身体の両側にだらりと落とした。

「……そうかもしれません。……いや、その通りです。おれはあなたを利用した」

 ゆかりは息をつきながら、右手を上げた。

「自覚ナシか。まあいいんじゃない? 実業家にはそういうエネルギーが必要だよ」

 首藤は両足をそろえ、地面に対して頭をきっちり四十五度に傾けた。

「すみません」

「もういいよ。言い過ぎた、ごめんよ」

 ゆかりはコートのポケットに両手を突っ込んだ。

「あんたには感謝してるよ。あたしが勝手に書いたものを、好きだって言ってくれるんだから」

「え? ……えぇ。はい」

「何だよその返事は。契約の不備をついて外に作品を流されたくなかったら、もっとあたしをチヤホヤしろ」

「えぇ……いや、そりゃ困りますから。しますよ。チヤホヤ」

 ゆかりは笑い、首藤は笑みを返した。

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