その0.1^-18:これから

「ほんとによかったの? かばんちゃん」


 眼前に広がる巨大な結晶の山を見下ろしながら、そのフレンズは傍らに立つ少女にそう問いかける。

 赤と青の羽根飾りをつけた帽子をかぶった少女は、こくりと頷いた。


「うん。きっとこれでよかったんだよ。過去を変えても、ボクたちの生まれたジャパリパークに起きたことが変わるわけじゃないけど。でも、無数にある世界に『ボクたちによって救われる世界』を作るってことには、きっと意味があるから」

「うーん……かばんちゃんの言ってることはたまに難しすぎて、わたしにはよく分かんないや」


 彼女たちが見下ろす結晶の山は──よく見てみれば、巨大な『穴』を塞ぐ形で存在していた。あるいは……塞いでいるのではなく、『穴』から噴き出た『何か』が自動的に結晶へと変換されているのか。

 それを示す事実として、結晶の山の頂上はぽろぽろと穏やかに崩れ、そして虹色の粒子となって空高く舞い上がっていた。きっとそうして、『穴』の中からやってきた『何か』は輝く粒子として世界中に飛び散っていくのだろう。


「……いずれ世界中が、ジャパリパークのようになっていけたら、それが一番いいんだろうけど」


 そんな粒子を名残惜しそうに見つめながら、少女はゆっくりと右手を掲げる。


「でも、世界にはいろんな思いがあって、みんながみんなジャパリパークの中のように幸せになれるとは限らないから」


 だから、と少女は呟き、


「ごめんね、みんな」


 直後、空中へと舞い上がっていた光の粒子が、残らず少女の手の中へと吸い込まれていった。

 ほとんどおとぎ話の中の光景だった。

 そして少女が輝く右手を振るうと、今度は結晶の山を覆うようなドーム状の建造物が作り上げられる。

 それで、全てが終わった。『何か』が這い出てくる『穴』も、それを塞いだ結晶の山も、ドームの中の限られた空間の中だけの話となった。すべての悲劇の芽は、終わる前に潰された。

 万物の霊長。

 その化身たる少女が成し遂げた、文明開闢以来最大の功績だった。


「……サーバルちゃん、ごめんね。ボクのわがままに付き合ってくれて」

「いいよそんなの! わたしもかばんちゃんと一緒に旅したいし! かばんちゃんと一緒だと楽しいもん」

「でも…………でも」


 少女の表情は、今にも泣きだしそうなくらいの悲しみを帯びていた。


「きっとボクはこれから、長い間で過ごすことになると思う。やらなきゃいけないこともあるから旅はできないし……分岐してしまったこの世界から、もとのジャパリパークに帰る手段を手に入れるには時間がかかりすぎるもの。そもそも本当に帰れるかも……」

「もう! かばんちゃんはすぐそうやって~!」


 うつむきがちな少女に、そのフレンズはむっと頬を膨らませて、それでいて励ますように続ける。


「言ったでしょ、かばんちゃん。ずっとずっと、ついていくよって! そんなに気にしなくていいんだよ? わたしにとっては今も旅みたいだし」

「……ありがとう、サーバルちゃん」


 その言葉に、うつむいていた少女は顔を上げ、そしてようやく笑みを浮かべて見せた。


「きっと、帰れる方法を見つけてみせるよ。他にも色々はあるし、きっと時間もかかるけど……これからもよろしくね」

「うん! こちらこそ!」

「……さて、まずは────」


 ────それが、ヒトとサーバルキャットの旅の、一旦の終幕。

 そしてこれから始まるヒトとサーバルキャットの物語の始まりに繋がる、遠い遠い昔のきっかけでもあった。


   の の の


「セツナ! セツナ早く! 遅れちゃうよ!」

「も~……ルカ引っ張らないでよ。理事長なら普通に待っててくれるって。時間が限られてるわけじゃないんだしさ~……」


 サーバルキャットのフレンズに手を引かれて、妙齢の女性がよたよたと歩いていた。

 活発そうなフレンズとは裏腹に、女性はわかめのように真っ黒な髪を伸ばしっぱなしにしており、目の下にはうっすらと隈が這うように広がっていた。白衣もよれよれで、あからさまに不摂生な風貌である。しかしその目だけは不思議と精力的な輝きが宿っているのが不思議な迫力でもあった。


「……っていうか、もう、なんだなぁ」


 セツナ──そう呼ばれた研究者の女性は、そう言いながら空を眺める。

 空の色は青く──一〇年前のあの日と同じように、サンドスターが陽光を反射して虹色に煌めいていた。


「い・い・か・ら! かばんさんを待たせたら、お世話係のわたしが恥ずかしいのよ!」

「わたしはいつも時間にルーズだってみんな分かってるし大丈夫だって」


 笑いながら、セツナは手を引っ張るルカの力には逆らわず、青い空の下を歩いていく。

 彼女たちが『再会』してから、一〇年の月日が流れた。

 一〇年の月日のうちにセツナとルカはジャパリアカデミーを卒業し、セツナはそのままジャパリパーク中央研究所に、そしてルカはそのお手伝いのフレンズとして共に人生を歩んでいる。

 偏屈で未熟だった少女は今や、研究所の主任に。天真爛漫なだけだったフレンズは、いつしかそんな彼女を支えるしっかり者に。──もっとも、少女の未熟だった人間性は今も形を変えて残っているし、ルカ含め様々な周囲の協力者たちに助けられてようやく立てているような有様だが。

 だが逆に言えば、彼女は誰かの助けを素直に頼れるようになれた。それは、自分だけで全てを片付けようとして潰れかけていたあの日の幼さからの、確かな成長だった。

 なお。

 ルカの方は相変わらずではあるものの、昔に比べて色々と遠慮のなくなったセツナのダメっぷりに振り回されることが多くなったようである。合掌。


 ──同じくらいだった背丈はいつの間にかセツナが追い越し、今や二人は傍から見たら年の離れた姉妹のようだった。


「……あ! やっと来たぁ! セツナもルカも遅いよ~!」


 そんな二人を遠目に発見して手を振るのは、彼女たちの一〇年来の親友でもあるナナだ。彼女も(なんとか)ジャパリアカデミーを卒業し、今はジャパリパークのフレンズ専属飼育員として元気に働いている。なんでも今は、キタキツネやチーターなどを兼任しているとのこと。クセの強いフレンズの担当を兼任するのはかなり大変らしいが、彼女は持ち前の人懐っこさでうまくフレンズたちとやっていけているようだ。

 そんな彼女の傍らには、今日はそれらのフレンズではなく、灰色の長髪を持った童女の姿をしたがいた。


「セツナが悪いのよ! せっかくの日だっていうのに……」

「ごめんごめんー」

「ナハハ、セツナのそれは多分一生治らないだろーなー」


 灰髪のフレンズ──アンの鋭い一言はさすがにぐさっときたらしく、気持ちしょんぼりするセツナである。彼女は今やパークにいる同種のフレンズに『アイドル』の概念を伝え、一部のフレンズからは『ジャイアントペンギン』という『先輩のけもの』であることも手伝って『ジャイアント先輩』と呼ばれているらしい。

 アンという名前で呼ぶのは、此処にいる面々と──あとは、理事長と彼女たちの担任をしていたミライくらいだろう。


「──あ、皆さん集まってるみたいですね」


 と。

 そこで、少女の声が聞こえた。その場に集まった彼女たちにとっては耳慣れない──それでいてどこか馴染みのある声の主は、


「理事長先生!」


 ボロボロの帽子を被った、赤いTシャツの……だった。

 現れた彼女は、入学式の日に壇上に立ったその姿の面影を残しつつも、明らかに若返っていた。いや──あるいは彼女たちフレンズにとって、見た目の姿かたちを変えることは必ずしも不可能ではない、といったところか。

 たとえ姿が少女そのものでも、彼女たちにとってはかけがえのない恩師以外の何物でもないのだが。


「皆さん、今日はわざわざ集まってもらってありがとうございました」


 ぺこり、と理事長──かばんは集まった彼女たちに頭を下げる。その傍らに、彼女と共に過ごしてきたサーバルキャットのフレンズはいなかった。


「ああ……サーバルちゃんとこっちの世界のミライさんは、ちょっともらってます。ボクが行くついでにこっちの世界のミライさんをこっちに戻さないといけないので、ちょっと大変ですけど……」

「大丈夫なんですか? 理事長先生……『おまもり』の効力だって……」

「大丈夫です、『穴』からの供給がまだ生きてますから。あと一回使えば多分切れてしまう程度だと思いますけどね。四神の力なしに時渡りができるんですから、それでも十分ですけど」

「それは…………」


 言って、ナナは言葉を詰まらせる。

 かばんは──かばん達は、そもそも此処とは違う未来を辿った世界からやってきている。彼女たちの目的は世界の救済そのものというより『世界が救済される可能性』を増やすことらしいが──それはともかく。

 世界を隔てるということは、そう容易に行ったり来たりできないということだ。つまり、今彼女が元の世界に帰れば。


「お別れ、です」


 救世の少女は、寂しそうな笑顔を浮かべながらそう答える。同時に、涙を見せない少女の背後で極彩色の『裂け目』が、涙滴が落ちるように音もなく広がった。

 その場にいたかばん以外の全員にとっては初めて見る景色だったが、それでも本能的に理解できる。あれが『帰り道』なのだと。そこをくぐれば、彼女はまた、彼女の旅路へと戻るのだと。


「かばんさん! ありがとう……さよなら。わたし、アナタのお陰でセツナと……」

「う゛う゛……もうお別れなんて寂しいですよお……」

「……ししし。にもよろしくなー」

「先生。……ありがとう、ございました」


 この一〇年はきっと、ほんの偶然でしかなかった。

 長い長いかばんの旅路と、自分たちの旅路がたまたま重なっていただけ。彼女の旅路は、きっとこれから先もずっとずっと……続いていく。


「はい! 皆さんならきっと……この世界を今よりよくしてくれると信じています。ボクが作ったりゆにおんを巣立っていった皆さんですから。頑張ってくださいね! ──じゃあ、さようなら」


 そう言って、かばんは四人に背を向ける。

 後ろを振り返ることは、もうしない。かばんはもう、次の旅路への一歩を踏み出しているのだから。


「──また、いずれ」


 その後ろ姿に、セツナはぼそりと声を掛けた。

 聞こえたのか聞こえていないのか、かばんはついに振り返らなかったが──。


 セツナは、その小さく偉大な背中に自分の声が届いているだろうと信じていた。



   の の の



「……セツナ、またいずれってどういうこと?」


 小さな英雄を見送り、ミライを出迎えたそのあとで。

 目じりに残る涙を拭いながら、ルカはセツナの最後の言葉の真意を問うていた。かばんの持つ『おまもり』に蓄えられていた力はもはやなく、『穴』のない世界ではサンドスターの莫大な供給も見込めないとなると、もはやかばんとの『再会』は叶わない。そう考えるのが普通だ。

 そう言いたげなルカに対し、セツナはなんてことなさそうに答える。


「んー? いやあ、先生が時間移動できたってことは、私たち人間だってやろうと思えば移動可能ってことでしょ? SSプリンタみたいなのもあるし、不可能じゃないと思うわけだよ」


 とんでもない理屈だった。

 確かにサンドスターの万能性を考えれば不可能ではないのかもしれないが、それにしたって時間旅行どころか分かたれた世界同士の移動である。できないことはないのかもしれないが……それはほとんど、賽の河原で石を積み上げて軌道エレベータを作りましょうと言っているのと同じ難易度だろう。


「えー……いつになるかしら? きっと達成する頃にはおばあちゃんだと思うわよ?」

「ん? 私はおばあちゃんにはならないよ? 何言ってんのルカ」


 苦笑いしながら言うルカに、それこそセツナは心外そうな表情を浮かべてこう切り返す。


「私、ほどほどのところでフレンズ化するから。ルカを残して死んで悲しませたりしたら、友達失格だもんねー」


 当たり前のように。

 ヒトの身を捨てると、セツナは宣言してみせた。

 他人を頼ることを覚えたとか、少しは人間的にまともになったとか言っても、結局セツナはセツナである。究極的に、セツナはルカさえいればいい。そういう人間だ。そして一〇年前のあの一件から、ルカもそう思っているのだと信じることができるようになった。


「………………アンタ、ほんとにねぇ…………」


 ……もっともそれは別に自惚れでもなんでもないので、ルカも苦笑するだけなのだが。


 明らかに歪で、倫理的に考えればきっと褒められた人間性ではないだろう。見る人が見れば、眉を顰めるような人格だろう。

 だがそれでも、彼女たちはきちんと幸せになれた。そしてあるいは、これからも。


「そのうち二つの世界が、自由に行き来できるような未来が来たらいいねぇ」

「それはそれで問題ありそうね……」


 ヒトとサーバルキャットが『再会』するための物語は、此処に幕を下ろした。


 始まるのは──二つの世界が『再会』する為の長い長い物語だ。

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【完結】けものフレンズ りゆにおん 家葉 テイク @afp

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