その7:あかてん

「な、んで……」


 絞り出したような声が、鼓膜を響かせた。

 それが自分の声であることに気付くのに、私はたっぷり一〇秒の時間を要した。

 現実感がない。ふわふわとした足元は、そのまま私の現実にしがみつく力のなさを示している。気を抜けば思考を投げ捨ててここから逃避してしまいそうなほどに、私は追い詰められていた。


「なん、で……」


 現在地は、学校の廊下。

 テストの返却日。

 を遂行したはずの私は、今まさに掛け値なしの絶望を味わっていた。


 目の前には、誇らしげな表情でピースサインをするルカの姿。

 その手には、見事テストの答案用紙が握られている。


 そして私の手には、赤点の答案用紙が。


「ふっふーん! すごいでしょう! すいみんがくしゅう! わたしもちゃーんとやればできるのよ!」


 私の作戦は──ある意味ではこの上なく成功していた。

 睡眠学習。

 眠っているルカに、授業で習った内容を丁寧に読み聞かせてあげた結果、ルカの成績は跳ぶように伸びた。おそらく耳のいいサーバルキャットのフレンズだから余計に睡眠学習の効果が向上したとかそういう話があったりするのかもしれないけどそんな与太話はどうでもいい。


 今回、この局面。

 重要なのはこの一点だけだ。


 


 この結末が意味することは──ただ一つ。


「なんで……こんなことに…………」


 赤点獲得者に対する、『特別課外授業』への招待である。



   の の の



「おーい、セツナー? 元気出しなよー?」

「罰が当たったんだ……」


 その日の放課後。

 今なら『ずーん』という効果音さえ背負えそう──的なテンションのまま、私はジャージ姿で校庭にやってきていた。

 罰が当たった──私は、自分の現状をそう分析していた。

 必死に正当化していたけれど、きちんとルカと一緒に赤点を回避していこうという努力を怠ったから、私はこうしてここにいるんだ。

 ルカが赤点を回避できると信じていれば。今頃はいつもみたいにルカの部屋で赤点回避祝いのパーティなんかを開けたというのに。結果、私がやったのは『途中から回答を一問ずつズラす』というアホみたいな赤点獲得法で自分の内申点を下げることのみ。

 ただでさえルカ以外のフレンズと交流していなくてリユニオン計画への貢献度が低いくせに、唯一の取り柄である勉学でまで手を抜こうとしたりするから……これはそんな愚かな私への罰なんだ。

 ああ、ルカは今頃何をしているだろう。私がいなくて寂しがっている……のは自惚れだな。そんなことあるわけない。むしろ今頃、ルカは他のフレンズ達と赤点回避祝いのパーティなんかしちゃってるかもしれない。私のいないところで、ルカがほかのフレンズと仲良くして……。


 私、『アイツ偉そうに勉強とか教えてきたくせに自分は赤点なんかとってるよ』ってルカに呆れられたり……されるわけないでしょうが! ルカに限ってそんなことを考えるわけない! いくらネガティブな気持ちになっていたからって何を私はルカに対して失礼極まりないことを考えてるんだ!? なんて醜い被害妄想、ルカに対する負い目で揺れたメンタルをそんなくだらない発想で均衡化しようなんて、そんな体たらくだから私は、私は……!


「あ、あのー……セツナさーん? 私が横にいるんですけどもー。セツナさーん??? 大丈夫……?」

「……え? ああ、ナナ……いたんだ」

「いたんだって……ひどいよー!」


 全然気付かなかった。っていうか結局ナナも赤点だったんだ。


「他にもけっこういるみたいよ。ヒトは私とセツナ二人だけみたいだけど……フレンズはたくさん、っていうか、殆どのフレンズじゃないかな? ルカちゃんは……いないみたいだねー」

「…………ルカはきちんと勉強して赤点回避したからね…………」

「……おおう、さっきからのテンションの原因はそれか」


 ルカがいない特別課外授業だからテンションが下がっているみたいに話を矮小化しないでほしい。……いや、矮小化ではないか。実像はもっと卑しいものなんだし……。


「ま、取っちゃったものはしょうがないし! 周りにフレンズがいっぱいってことは、色んなフレンズと仲良くなれるチャンスってことだよ。気楽に考えよー!」

「う、うん……そうだね」


 ただ、流石の私も今のナナが私に対して気を使ってくれているということは分かる。

 私が今この場所にいるのは完全に自業自得の結果なわけだし、その自業自得がもとでナナに嫌な思いをさせるのは、私の落ち度をナナに押し付けているようなもの。今は、無理やりにでも気分を切り替えて、目の前の特別課外授業に目を向けないと。


「はい、皆さんこんにちは~! ……って言ってもさっきHRでも会いましたね」


 と。

 そうやってようやく気を取り直したところで、私たちの前に赤と青の羽が刺さった綺麗なつば広帽を被った女性が現れた。

 眼鏡をかけた、緑髪の女性──私の憧れの人であり、この計画の監督を務めるパークガイドでもある、ミライさんだった。


「今回は特別課外授業にお集まりいただきありがとうございます! ……ってこの言い方はちょっと違いますね」


 苦笑して、ミライさんは照れ隠しなのか帽子の紐を軽くいじる。周りのフレンズからは、ちょこちょこと笑いが生まれていた。


「今回、テストで赤点だったフレンズさんとヒトの生徒さんに集まっていただいたのですが……ナナさんはともかく、そちらのセツナさんはちょっと事情が異なるので、前以てフレンズの皆さんには説明しておきますね」


 ……?

 なんだろう。私はただ『今日の放課後特別課外授業をやります。できれば来てくださいね!』としか言われていなかったけど、ナナはともかく私は事情が違う……?


「実は今回──唯一フレンズさん達の中で赤点を回避したルカさんですが、ルカさんは実は、本当にカンニングをしていませんでした!」


 そう言うと、フレンズたちの中でにわかにどよめきが起こった。なんだろう……話の筋が見えてこないけど、これはあれだろうか。私の知らないところで唯一赤点を回避したルカにカンニングの嫌疑がかかっていて、その嫌疑をこの場でミライさんが晴らしたってことなんだろうか。

 ──!


「なんて失敬な! ルカはカンニングなんてする子じゃありません!!!!」

「ひえっ、ええ、はい。それはもう! 分かってますよセツナさん! どうどう」

「す、すみません……」


 しまった。ついつい熱くなってしまった……。


「それで、ルカさんになんで赤点を回避することができたのか? 尋ねてみたところ、面白いお話を聞かせていただきました」


 私を宥めたミライさんは、そのまま語り始めた。


「なんでもルカさんが赤点を回避できたのは、セツナさんが勉強を教えてくれたからだそうです。なんでも睡眠学習がなんとかって話でしたが……」


 そこまで言うと、ミライさんはわたしの目を見て、私に向けて状況の解説をしてくれる。


「聡明なセツナさんなら理解していると思いますが、フレンズの皆さんはまだヒトの社会に慣れていません。当然ながら、フレンズの皆さんにあった『系統だった勉強法』もまだ確立できていないんです」


 確かに。

 明らかに小学校一年生レベルの内容だったにも拘わらず、ルカ以外のフレンズが全員赤点をとってしまうというこの事態。

 入学から一か月も時間があったにもかかわらずこの体たらくということは、もしかしなくても『フレンズにあった学習法ではなかった』ということなのだろう。

 とはいえ、リユニオン計画はテストで点をとれるようにすることそのものではなくその『学習法を見つけること自体』が目的だろうから、現状はそう悪い状況ということでもないと思うけど。


「そんなとき、ルカさんの学力を劇的に向上させたセツナさんのことを知ったわけです。、是非ともその勉強法を伝授していただきたい! ということで今日はご足労いただきました。来てくれて本当にありがとうございます!」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 事情は、完璧に理解できた。

 でも、ちょっと聞き捨てならない箇所があったような気がする。


 『セツナさんは赤点ではありませんでしたが』って……どういうこと?

 確かに私の回答は一問ずつ全部ズレていたはず。意図的にズラしたのだから間違いない。実際に解答用紙にはズレていた箇所は全部×がついていたし、点数も赤点の水準だったはず。


「私、赤点でしたよ? ここに呼ばれたのもそれが理由だったのでは……」

「あれ、私言ってましたよね?」


 首を傾げた私に、ミライさんはさらに首を傾げ返してきた。


「『回答が一問ずつズレていましたが、それを無視すれば全問正解だったので、ズレていた一問分と「回答用紙を正しく書けなかったペナルティ」の分を除いて通常通り採点します』って」


 ……え……?


「学校で教えているのは『正しい回答を回答用紙に書き込むこと』ではないですからね。当然です。ただ、一応特例措置ではあるので、書類上の手続きのみそういう形にするということで、答案用紙には反映させられませんよ──と言っていたと思うんですけど……」


 ……………………き、


 聞いてなかった!! 思惑が完全に空振りしたこととか、ルカと一時的にとはいえ離れ離れになることになったショックとかで、完全にミライさんの説明を聞き流してた!!

 そ、そんなことがあったなんて……。ふ、不覚。完全に不覚だった…………私は馬鹿か……。

 というか、私の当初思い描いてた作戦は完全に失敗してたんだ……。ジャパリアカデミーの柔軟さをちょっと甘く見てたかもしれない。機械的な採点かと思いきや、こうまで総合的に見てくれるとは思ってもいなかった……。


「どうやらその様子だと、誤解もとけたようですね! それで、改めて今回の件をお願いしたいのですが……」

「……受けます。はい、すみませんでした……受けさせていただきます」


 赤点じゃない以上、特別課外授業に出席する理由も義理もなくなったわけではあるんだけど、まぁここまで来てしまったわけだし……あと完全に私情でここまで取り乱してしまったうしろめたさとかもあり。

 私は、特別課外授業における『講師役』を受けることにした。


「おおー! セツナ先生ね! よろしく先生!」

「ちなみに、ナナさんは完璧に普通の赤点なので、セツナさんの違ってきちんと反省しましょうね~」

「うっ……」


 ナナは本当にね。

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