その4:ぬきうち

 『リユニオン計画』という大義名分はあるものの、基本的に『ジャパリアカデミー』は日本国の認可を得た真っ当な学校法人であり、当然ながら私をはじめとしたヒトの生徒は普通の高等学習を受けなくてはいけない。

 フレンズの生徒も参加できる教科には参加するけれど、当然フレンズが高校の教材を使えるはずもないので、座学の時間は基本的にヒトの生徒だけで行われる。

 まぁ、ルカの為にジャパリパーク・リユニオンにやってきた私にとっては、そんな時間は退屈極まりないわけで……。


「x=3、y=3/4になります」


 指名された問題の解説を求められたので答えて、私は席に座る。

 ジャパリアカデミーはそのカリキュラムの大半をフレンズとの交流に費やす為、基本的に勉強はハイレベル極まりない。入学時点で高校二年生の四月時点の学力は最低でも求められるし、入学後もそこからかなりのハイペースで学習は進んでいく。

 苦ではないけれど、やっぱり自学の必要性は感じるな……と身が引き締まる気持ちのする緊張感がある授業だ。


「……セツナちゃんすごいねぇ……」


 隣の席に座るナナが、小声で私に声をかける。

 ナナは本当にどうしてジャパリアカデミーに合格できたのか謎なくらいのバカで、昨日予習をしている私のノートを横目に見た程度で知恵熱を起こすレベルだった。

 見るに見かねて勉強を見てあげたら今日はなんとかついていけているようなので、地頭はいいんだろうけど……。


「ナナも頑張りなよ。このままだと中間テスト赤点だよ」


 そんな呆れも半分で、私はナナに小声で言う。

 確か、カリキュラムによると四月下旬には初めての定期テストがあったはず。試験は年四回、前期中間・期末、後期中間・期末。それぞれのテストで、赤点をとったらその分の点数を埋めるための『特別課外授業』とやらをやらされるらしいので、それが嫌なら頑張るしかない。

 もっとも、ナナはこの分だと『特別課外授業』まっしぐらだと思うけれど……。


「う~……。セツナちゃんがいじめるぅ」


 そんなことを考えていると、ナナは言い返せなくなったのかそのまま唸ってしまった。そんなナナに追い打ちをかけるように、この後さらなる発表がされた。


 曰く。

 明日のいずれかの授業で、抜き打ちテストをやるそうだ。


 へー。



   の の の



「ねぇ! ちょっと聞いてよ聞いてよセツナ!」


 その日の放課後。

 ルカの部屋に遊びに行った私は、干し草のクッションに座りながら不満たらたらにしているルカの話を聞いていた。


「どうしたのさ?」

「どうしたもこうしたもないわよ! ミライがね! 明日抜き打ちテストやるんだって!」


 脱力気味な私の肩を掴みながら、ルカは感情いっぱいに不満の本題を語り出す。

 あー、なるほど。フレンズ側もヒト側と似たようなテストのスケジュールを組んでるってわけね。なんとなくそうなんだろうとは思ってたけど。

 で、例の監督役の先生が突然テストをやるっていうから、おそらくお勉強が嫌いであろうルカはそこに不満がっていると。


「点数が悪かったら罰ゲームとかやるらしいし……わたしいやだからね罰ゲームなんて」


 ………………ルカが罰ゲームする姿はちょっと見たいかも……いやいや、ダメだぞ私。


「でもルカちゃん、安心して。明日は抜き打ちテストはないから」

「え!?」


 私がそういうと、ルカは分かりやすく目を輝かせた。ツンとしてるくせにそういうところですぐに人の言うことを信じちゃうところが可愛いなぁ……。

 そんな視線を一身に受けた私はちょっと自慢げにしながら、


「抜き打ちテストのパラドックスって言ってね。知ってるかな」

「知らない」


 ルカはきょとんとした顔で首を横に振った。だろうね。


「こほん。じゃあ、ちょっと想像してみて。金曜日に、先生が『来週抜き打ちテストをやります。抜き打ちテストなのでいつやるかは分かりませんよ~』って言いました」

「うんうん」


 監督役の先生の口調を真似たからか、ルカはちょっと面白そうに笑いながらも頷いてくれた。

 このたとえ話は分かるみたいでよかった。まぁ、まさに抜き打ちテストの話だから想像しやすいんだろうけど。


「じゃあいつやるのか考えてみようか。最初に、抜き打ちテストが『来週の金曜日』に行われると仮定する」

「うん…………うん? うん」


 なんとか理解できたみたいだね。


「でも、この理論では抜き打ちテストは金曜日にはやらないことが分かる。なんでだと思う?」

「…………なんとなく?」

「残念」


 私は指で×を作りながら、


「金曜日に抜き打ちテストをやるとすると、月曜日から木曜日までは抜き打ちテストはやらないよね?」

「そうなるわね」

「じゃあ、木曜日が終わった時点で抜き打ちテストをやる日は金曜日しか残らないから、『いつやるか分からない』わけじゃないよね。いつやるか分かるなら抜き打ちテストじゃなくなるから、金曜日に抜き打ちテストはされない」

「確かに……」


 私の説明に、ルカはみみと神妙な顔で頷いた。


「木曜日の場合も同じで、水曜日が終わった時点で抜き打ちテストをやる日は金曜と木曜の二択。さっき説明した通り金曜日に抜き打ちテストをやることはないから、木曜日にやるしかないよね」

「でも、木曜日にやるって分かっちゃったら抜き打ちにならないじゃない」

「そう、だから木曜日もやらない」

「な、なるほど……!」


 私の説明に、ルカはみんみと驚愕を隠せない声色で頷いた。


「って、いうことは……」

「そう。水曜日も火曜日も月曜日も、同じ理屈で『いつやるか分からないテスト』である抜き打ちテストはやることができない。つまり、この問題では『抜き打ちテストは来週には行われない』ってことになるんだよ」

「す、すごいわセツナ! アンタ天才なんじゃないの!?」

「ふふん」


 私は胸を張りながら、


「つまり、明日のいずれかの時間に抜き打ちテストをやる……という今回の場合でも同じロジックが使えるんだよ。六限にやるとしたら抜き打ちテストが成立しなくなるから六限はなし、五限も……って感じで」

「ろくげん? ごげん? ごじかんめとろくじかんめじゃなくて?」

「あっ、そうだね」


 フレンズ側だと時限はそう呼ぶんだ。確かに私も小中の頃はそうだったしな……。

 ともかく。

 『抜き打ちテストのパラドックス』で考えれば、明日抜き打ちテストが行われる──と言われた時点で、抜き打ちテストは行われないということが分かるんだよね。

 まぁ……、


「これ、『パラドックス』なんだけどね」

「え?」

「つまり明日普通に抜き打ちテストはされるってことだよ」

「ええええええええええええええ!?!?!?」


 『抜き打ちテストのパラドックス』のオチは、『でも最終的には水曜日にテストが実施されました』というもので、『先生の言うことを信じれば条件に矛盾が生じ、信じなければ抜き打ちテストの定義が変わるんだね』という論理不整合の話なのだ。


「でもセツナ、明日はテストないって言ったじゃない!」

「そこがパラドックスの不思議なところなんだよ。理論で考えたらないはずだけど、現実にはあっちゃうんだよね」

「分かんないわよ!」

「あはははは、ごめんごめん」


 ぷんすか、という擬音がよく分かる膨れ面で文句を言うルカに、私は笑いながら詫びる。

 詫びながら、私はカバンの中からノートと筆記用具を取り出す。


「ごめんついでに、私がルカの勉強見てあげるよ。分からないところがあったら教えてあげるから」


 私達ヒト側で抜き打ちテストがあった時点で、フレンズ側でも似たような状況になっているのは想像に難くなかったわけで、私は今日ルカの部屋に遊びに行く準備をした時点で、勉強道具をあらかじめ用意していたのだった。

 どうせルカのことだから勉強とかやりたがらないんだろうし。ならルカの……友達、として、私がサポートしてあげなくては。


「ええー……」


 私の提案に、ルカはあからさまに嫌な顔をしてみせる。まぁ、そうだよね。ルカにとっては勉強なんて退屈でめんどくさいものだろうし。私だって、ルカと再会するっていう目的がなかったら好き好んで勉強なんかしてなかった。

 だからこそ……勉強には、対価が必要だと思う。頑張れば頑張った分だけ何かが手に入ると考えれば、勉強をやる気だって起きるはず。


「おやおや? いいのかなルカちゃん、そんな風に嫌な顔して。ちゃーんと勉強すれば…………」


 言いながら、私はすっとカバンから『あるもの』を取り出す。それは、


「この! マタタビスナックをプレゼントするというのに!」

「おおお!!」


 取り出したスナック菓子(ジャパリアカデミーの購買で発売中)を見て、ルカが明らかに目の色を変えた。

 ふふふ、この私がフレンズの好みをリサーチしていないとでも思ったか。説明会の中でフレンズが好んで食べるものについては既に勉強済みよ。ネコ科のフレンズは大抵マタタビスナックが大好きだと既に調べはついているのだ。

 あとはジャパリまんじゅうも好きらしいけど、ちょっとやわらかすぎてカバンに入れて持ち運ぶのには不便だったのでやめておいた。


「さて、どうするルカちゃん。マタタビを捨て勉強を諦めるか、勉強に挑みマタタビを得るか……」

「マタタビ!」

「勉強だね」


 マタタビスナックを取ろうとしたルカより先にカバンの中にしまいつつ。


「さあ、勉強を始めようか、ルカちゃん」

「いやだー……」

「赤点は回避しないとね」



   の の の



 ちなみに、ルカの勉強を見ると申し出た背景には、フレンズ側で具体的にどのくらいの難度の勉強をしているのかを確かめるという意味合いがあったんだけれど──。


「やっぱり小学校レベルだね……」


 見た感じ、小学校一年生レベルといった感じだった。ひらがなカタカナの書き取りに、一桁の加算減算くらい。ひょっとすると小学生レベルにすら行っていないかもしれない。

 まぁ、フレンズはその殆どが未就学児童みたいなものなので、一から勉強を教えるならやっぱり小学校レベルなのかもしれないけれど。

 お蔭で私は、何かと四苦八苦しながら小学校一年生の問題をルカと一緒に解くことになった。大変だった。


「セツナ、けっこう教え方うまいじゃない」

「そう?」


 自分ではもうちょっと上手いやり方があるんじゃないかなって思うんだけど。

 自覚があまりできなかったので首を傾げたけれど、ルカはうんうんと私に頷き返して、


「そうよ。べんきょーとか全然分からなかったけど、セツナが教えてくれたらすごくよく分かったもの。アンタ多分、ミライより先生に向いてるわよ」

「あはは……」


 そもそも監督役の先生はもともと調査隊の隊長さんで、教師というよりガチガチの現場指揮官タイプだから……。


「あーあ、セツナが先生になってくれたら、じゅぎょうも楽しいのになー」

「私の方もテストがあるからね~……」


 私のことをべた褒めなルカが照れくさくも誇らしくて誇らしくて『すぐそうするよ先生に放しつけてくるね』と言いたいのを抑えて、思わず頬を掻きながらそう言ったのがまずかった。

 ルカは私の言葉に目を丸くして、


「え!? じゃあセツナもべんきょーしないとダメじゃない! 何わたしのべんきょーなんか見ちゃってるのよ!」

「いや、私の分は帰ってから部屋でやるつもりで……」

「いいから! さっきの分、わたしがルカの先生やったげるから!」


 そう言って、ルカは先ほどの私を真似るようにノートを広げて、ペンを持つ。

 あー……今のルカに理解できるような難易度では…………あー…………。


 結局、その日私はルカの寝床の支度をしてから自分の部屋に戻ることになった。

 ルカの寝顔が可愛かったので、翌日の抜き打ちテストは完璧だった。

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