その3:あいべや
身体測定が終わり、すぐに下校ということになった。
下校──といっても、ジャパリアカデミーはごく一部の例外的なフレンズを除いて学生寮で生活する。
寮はヒト寮とフレンズ寮で別れていて、二つの寮は歩いて五分ほどの距離。ヒト寮は何人かの相部屋だけどフレンズ寮は個室なので、その兼ね合いで寮を分けているとのことだ。
ちなみにフレンズ寮が個室なのには理由があって、フレンズの多くは元々野外で生活していたから、各々のけものだった頃の生態や縄張りの観念から、あまり住居の中に他者を入れるのはストレスになってしまう、ということなんだとか。このあたりは『リユニオン計画』の主目的から言ってもヒトとフレンズの住空間はなるべく近くに置きたかったはずなんだろうけど、フレンズのことを優先したということなんだと思う。私も、その判断には賛成だ。
「別に、歩いて五分なら私が遊びに行けばいいだけだしね」
そんなことを呟きながら、私は自室の机に学生鞄を置いた。
私──とルームメイトに割り当てられた部屋は、1LDKの二人用の部屋。ダイニングキッチン、洋室、トイレ、お風呂という構成だけど、二人でも狭苦しくないくらいには広々としたつくりになっている。
扉を開けるとすぐに洋室の中が見えてしまうのが玉に瑕だけど、この洋室にしたって私とルームメイトのベッドとデスクがそれぞれ一つずつあっても狭くないんだから、学生用の物件としてはそこそこ良い部類じゃないかなと思う。政府主導のプロジェクトだから当然家賃は全額免除だし。
本当に、ジャパリパークは昔と変わらず、過ごしやすい場所だと思う。今日だって入学式ということでクラスの顔合わせと身体測定以外にやるべきことはなかったから、早めに帰ることができたし。
……フレンズはそれでよくてもヒトの方は身体測定を経て感じたこととかレポートにまとめておくべきなんじゃ? と少し思ったけど、ルカと遊ぶための時間を多くとれるのは私にとっても都合がいいのでそこについては棚上げしておく。そういうことはあとで自主的にやればいいや。
「んー……着替えようかな……」
制服のリボンを緩めて一息ついたところで、私はふとそう思い立った。
ジャパリアカデミーは説明した通り全寮制だけど、別に生徒は常に制服着用が義務付けられていたりするわけじゃない。そもそもフレンズが十人十色の衣装(というか『毛皮』)を身に纏っているわけだし、当然と言えば当然だけども。
一応学校指定の制服も存在はしているものの、本当にこれは『一応』でしかない。入学式や式典などの『フォーマルな場』で着用する為──つまり正装として準備されているだけで、毎日着てくることなどはなから想定していないのだ。
とはいえ、私は私服とか面倒くさいので学校生活では制服で過ごそうと思っていた。
問題はそこで、学校生活では基本的に制服で過ごすとして、放課後も制服で過ごすのはいかがなものなんだろうか? と今日の身体測定を見て思ったのだ。
フレンズと遊ぶというのは、おそらくヒトである私にとってはかなりの運動になる。そんなとき、制服では最大のコンディションを発揮できないかもしれない。そして最大のコンディションを発揮できなかったばかりにルカの遊びについていけなくて、それが原因でだんだんとルカとの距離が……なんて考えただけでも発狂しそうになる。
……………………あ、なんか本当に気分が落ち込んできた。
ともかく! 私も一応運動は得意な方(というか得意になるよう努力した)ではあるけども、それでも最善を尽くさなくては……という危機感を、今日の身体測定で得たのだ。
であれば、私服が面倒くさいとか言ってる場合ではない。一応念のため私服は用意してあるので、今日のところはそれに着替えていこうと思う。
「……あぇ!? セツナちゃん!?」
と、そのタイミングで部屋の扉が開いて何やら驚きの声が飛び込んできた。……ああそうか、相部屋だった。さっき自分で考えてたのにもう忘れてた。こんなところで着替えてたら流石にびっくりするよね、いくら同性とはいえ……。
「ええと……身体測定に遅れてきた子だね、よろしく」
「ナナだよ! よろしく! そういう覚え方やめてよ~……まだ引きずってるのに。なんで最初の授業であんなポカしちゃうかなぁ~……」
「まぁそんなに気にすることないんじゃないの。最初だししょうがないよ」
何やら落ち込んでいるらしき遅刻少女はさておき、私は手早く私服として持ち込んだジャージに身を包む。遅刻少女はわりとメンタルが強いタイプらしく、引きずっていると言いつつすぐに私の恰好に目を向け、好奇心に満ちた表情で首を傾げた。
「ところで、どうしてジャージなんか着てるの? 何かスポーツでもやってるの? 自主練?」
「遊びに行くの。……と、友達のところに」
……友達。そう、友達。ルカを捨てた『ブランコ』ならともかく、今の私は……『セツナ』はルカの友達を名乗ってもいいポジションにいる……はず。きっと。今日だってルカの部屋に行く約束だってちゃんと取りつけたし、外部から見れば友達という表現に違和感はない……と思う。
「セツナちゃん? どうかしたの? なんかすごい真面目くさった顔してるけど」
「真面目くさったって……きょとんとした顔してワードのチョイスがなんかアレだね……」
天然なのは分かってたけども。
「でも、友達のところに行くのにジャージなの? 運動でもするの?」
「するかどうかは決めてないけど、もしするってなったときに運動できる恰好じゃないと困るかなって」
「あー! 確かに!」
身支度を整えながら私がそう答えると、遅刻少女は納得した様子で手を叩いていた。このくらいは実際に遊びに行く段になればだれでも思いつくことなので、特に威張るようなものでもない。私はなんとなくルカが好きそうなオモチャが入ったカバンを抱えると、部屋を出る支度をする。
そんな私を横目に、遅刻少女はこんなことを言ってきた。
「……ねぇセツナちゃん、私も一緒について行って、」
「絶対ダメ」
最後まで言わせず、私はそう言い捨てて部屋を出た。
の の の
不届き者を部屋に置いて出かけた私だったけど、部屋を出た直後は分かりやすく斜めだった機嫌も、フレンズ寮に近づくにつれてどんどん持ち直していった。
あの遅刻少女も、絶対ルカには近づけない──と固く心に決めていたのが、しばらくしたらルームメイトとして紹介してやってもいいかな、くらいには気持ちも変わっていた。このタイミングで紹介すると『セツナ』とあの遅刻少女が同じくらいのタイミングで知り合った友人にカテゴライズされてしまうから、タイミングは慎重に見計らうけど。
「えー……と」
フレンズ寮の前まで来た私は、きょろきょろとあたりを見渡しながら案内板を探す。
フレンズ寮は二階建ての巨大な体育館といった外観で、五〇人のフレンズが住まうにしてはかなりの広さが確保されていると感じた。このあたりは、もともと野生で暮らしていたフレンズがヒトの社会になじむための『中間地点』としての落としどころなんだろう。
鍵のかけられていない扉があるだけの簡素なロビーを調べていると、ネームプレートと部屋番号が一か所にまとめられた案内板を見つけることができた。
ここは個体名が記録されているわけではないらしく、その中に『サーバル』の文字を認めることができた。ここが、ルカの部屋らしい。ルカの部屋は── 一〇一九号室か。
「…………ルカの部屋、かぁ」
思わず、呟きが口から漏れてしまう。
友達の部屋に遊びに……なんて初めての経験だけど、それは多分ルカも同じことなわけで。というかフレンズに家という概念があるのか……。縄張り? とすると私はルカの縄張りに行くわけで、そう考えると何か作法みたいなことも考えた方がいいのかな? どう振る舞うのが正解なんだろうか……。
そんなことを考えているうちに、気づけばルカの部屋の目の前まで、私は来てしまっていた。
「…………………………」
……な、何を躊躇う必要があるだろう。友達の家に遊びに行く、そんなの何もおかしなことじゃない。むしろ躊躇う方がおかしい。道の真ん中で突っ立っていたらおかしいように、ここは余計なことを考えず前に進む方が正解。むしろ止まっていたら止まっているだけ、不自然さは積み重なるばかりなんだから。
そう、まずは扉をノック。そこから始めよう、いきなり扉を開けるのは論外としても、ノックくらいなら特におかしいことじゃな、
ガチャリ。
「あれ? なんだセツナ、もう来てたんだ。遅いから迎えに行こうかと思ってたわ」
「………………びゃあああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!!!」
自分でもびっくりするくらい大きな声が出た。
の の の
「何よ人の顔見るなり大声で叫んで! びっくりしたじゃない! っていうか近所迷惑よ!」
「ご、ごめん……」
部屋に引きずり込まれた私は、早速ルカのお叱りを受けていた。
ルカの部屋は最初に案内された洋間だけで既に私の部屋の数倍くらいの面積があり、そこにふかふかした干し草のようなカーペットがただ敷かれていた。見た感じ、キッチンはじめ水場の類はない。多分、ごはんについては飼育員さんが準備してくださるんだろう。
「まったくもう。わたしは耳がいいからすごいびっくりしたのよ? まぁいいけど…………何部屋中じろじろ見てるの?」
「あっ、ごめん」
そこで自分が色々と無遠慮だったことに気付いて、咄嗟に視線を落とした。
「なんだか、私の部屋と違うなって思って……やっぱりルカちゃんは広い方が好きなんだね」
「まぁ、そうね。わたしは元々さばんなちほーに住んでたから。これでも狭いくらいなのよ?」
「そ、そうなんだ……」
……なんというか、私達ヒトの都合でルカに無理を強いてるようで、悪い気がしてきた……。せめて目いっぱい外で一緒に遊べば、狭さのストレスとかも軽減してくれるかな。
「好きで来たから別にいいんだけどね。それより今日は遅かったけどどうしたの? もしかして道に迷った?」
「あはは……まぁそんなところかな」
まさか玄関先で立ち止まってしまっていたなんて言えないので、私はあいまいに笑うにとどめた。
ルカはそんな私には特に気にした様子もなく、
「そうそう、セツナが来たら色々案内したいと思ってたの。『りょー』は狭いけど、色々好きに物を置けるのがいいわね」
そう言われて、思わずどきっとしてしまった。
好きに物を置ける──というのは、まさしくあのパビリオンの特徴と合致するからだ。もしルカがそれを覚えているなら、『いいわね』という好意的なリアクションから何か……。
「ほら、こっちこっち。池とかも作ってもらったのよ!」
「わ、ほんとにすごい!」
と、そんな私の打算は目の前の光景に一気に吹き飛ばされてしまった。
水場の類はない──と思っていたけれど、部屋を奥に進むと池のような円形のプールが設置されていた。おそらく身体を洗ったり、水を飲むための場所なんだろう。てっきりフレンズ用に共用の水場でも用意されているんだろうと思っていたけど、思ったよりVIP待遇だったらしい。
「本当にここすごいのよ。身体を洗うのも、シャンプーっていうので楽ちんだし」
「シャンプー……」
使うんだ、シャンプー……。
あ、脇に置いてあるこれのことか。……ちゃんとトウモロコシ原料の油を使ってる。舐めてもいいようにしてるんだね、ぬかりない。
「言われてみればこのシャンプー、ルカちゃんの匂いがするかも……」
「ちょっと! 匂いかがないでよ!」
ふと鼻を動かしてシャンプーの匂いを嗅いでみると、ルカは恥ずかしそうに自分の身を庇った。そこがなんだかとても可愛らしくて、私は思わず笑みをこぼしてしまった。可愛いやつめ……でもあんまりやりすぎると拗ねるので、私はそこそこにシャンプーをもとあった場所に戻す。
「まったく……アンタ意外とアレよね。なんかミライみたいだわ……」
「……? ミライ?」
知らない名前が出てきたので、私は思わず首を傾げた。
そんな私にルカは意外そうな表情をして、
「え? 今日いたでしょ、身体測定のとき。あいつのことよ。パークのなんとかたいちょう? とかなんとかで、前から知り合いなの」
「へえ、そうなんだ……」
ああ、探索隊の隊長だっけ。ミライジャパリパーク探索隊隊長、だったかな。……え? あの人が? しまった、ホームルームのときとか完全にルカに気を取られてたから、あの人の自己紹介全く聞いてなかった……!
くう、ミライさん、尊敬していたのに……無意識に失礼なこととかしてないかちょっと不安だな……まぁ今はルカと遊んでるからそれはわりとどうでもいいけど。
「昔から知り合いなのか……」
「どうかした?」
「いや、なんでもないよ」
昔から知り合い……というカテゴリから、『ブランコ』の話が来るかもしれない……なんて恐怖とも期待ともつかない気持ちが脳裏に去来したけれど、それはどうやら杞憂だったらしい。特にそこから話を膨らませる様子のないルカに、ほっとするやら、がっかりするやら。
……あれ、私はいったい何を求めてるんだろう……。
「そうだ。こっちに一番見せたいものがあるのよ。ねえセツナ、こっち来て!」
そこで、ぱっと表情を明るくさせたルカが私の手を引っ張った。思わずつんのめりそうになりながらも慌ててルカについて行くと、池や干し草とは違うもう一つの部屋が私の目に飛び込んできた。
どうやらここがルカの自室の最後の一つらしく、他に部屋がある様子はなかった。さて、そんなルカの最後の部屋に何があったかというと──、
「こ、こは……」
そこは、『遊び場』だった。
タイヤやら鉄棒やら、遊具が無造作に設置されている。天井はほかの部屋と違って水色で塗られ、そこだけサバンナの休憩所のような雰囲気になっていた。
「いやあ、パークの連中もいい仕事するわよね、要望通りだったわ」
ルカは満足そうに私にその遊び場を自慢していたけど、私は何か言葉を発する余裕さえなくなっていた。
私の視線は、ある一点に釘づけになっていた。
「あれ……」
「ああ、あれ? ブランコって言うのよ。知ってる?」
「…………うん、うん」
知ってるよ。
知ってるに決まってるじゃん。私は、アナタとずっと一緒に、アレで遊んでたんだから。
「わたしのお気に入りなのよね、アレ。どう?」
「………………どう、って?」
「んー。……楽しそうでしょ!」
「………………、」
その瞬間、私はあともう少しで『楽しいに決まってるじゃん! 昔も一緒にアレで遊んでたんだから!』と言うところだった。
危なかった。気を強く持ってなかったら、私は低きに流されてとんでもない過ちを犯すところだった。私は『セツナ』であって、『ブランコ』じゃない。そこは、絶対に破ってはいけない一線なんだから。
「…………じゃあ、一緒に遊ぶ? あのブランコで!」
気を取り直して、私は精一杯の笑顔でルカに提案した。
その提案にルカが頷いたところまでは、覚えてる。
──その後のことは、部屋に戻ってから思い出そうとしても、全く思い出せなかった。
ただ翌朝、何故かナナにすごく心配された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます