その2:けいそく

「──ぁ、う、あの……」


 ……しかし、ルカを目の前にした私が発することができたのは、そんな呻き声のような呼びかけだけだった。


「なぁに?」


 歩いている音を聞きつけて既に私の方を見ていたルカは、そんな私のことを胡乱げなまなざしでじいっと見ていた。ルカは煮え切らない私を見ても嫌な顔一つせず、次の言葉を待ってくれている。

 ──謝らなきゃ。

 これまでのこと、全部謝って……そうしたら昔みたいに一緒に遊べるのかな? そう思うと、なんだか胸がいっぱいになってしまって……私は二の句が継げなくなってしまっていた。『あ』だの『う』だの、意味のない言葉ばかりが口から漏れ出て……それから、ようやく決心がついた。


「わ、私、」

「……アンタ、誰?」


 ──その一言で、私は頭の上から冷や水を浴びせられたみたいな気分になった。いや、多分それ以上。今まで足元だと思っていた場所が実は足場などない奈落の穴で、思い出したように落ちていくみたいな……いっそ滑稽なほどに唐突な絶望だった。


「えと……えー……私、その、えっと、セツナって言うんだ。あはは、アナタ綺麗な耳してるね……こ、これから、よ、よろ……しく……」

「……? ん。よろしく」


 結局、私はそのまま何も言えず、無難な挨拶だけして、事前に伝えられていた自分の席へと戻っていった。


 ……ショックだった。

 いや、分かってる。私はパビリオンでルカと一度も会ったことがない。そんな状況でルカが初見で私を認識できるわけがない。それは分かってる。だから、ショックだったのはそこじゃない。

 私がショックを受けたのは……『自分がブランコだと名乗ってもルカが気付いてくれない可能性がある』ということに気付いたからだ。

 気づいてくれないのは、少しもおかしなことじゃない。私はルカのことを忘れたことなんて片時もなかったけれど、それは私が離れていった側で、相手に一切悪感情を抱いていないから。ルカからしてみたら、何年も前にちょっとの間遊んだ、顔も分からない不思議なヤツでしかないわけで……覚えていない可能性なんか、十二分にあり得る。

 でも、私はそんなちょっと考えれば分かる推測をこの三年間、一度も考えたことがなかった。……ひょっとしたらあの日の思い出を大切に思っているのが自分だけだったかもしれないなんて、考えたこともなかった。


 もし……もしも。ルカが私のことを覚えていなかったら、どうしよう?

 いや、それで済めばまだいい。昔のことを怒っていて……『アンタがわたしを放ってどこかに行ったブランコ!?』なんて言われたら……どうしよう。

 そこまで考えて、私は自分の頭の幸せ加減に眩暈を覚えた。

 あり得るどころか……それが普通じゃないだろうか。だって、あれだけ毎日一緒に遊んでいたのに、ある日突然いなくなって、何年もほったらかしにして……そんな薄情者がのこのこあらわれて、また仲良くしましょうなんて……そんな身勝手な話が許されるだろうか? 許されるはずがない。

 きっと、怒る。ルカに軽蔑される。嫌われてしまう。……そんなのいやだ。絶対にいやだ。


 ──でも、だからといってルカを目の前にして、全く関わらないで過ごすなんてことはできない。

 この瞬間、私の中で、目標が定まった。

 私があのパビリオンでルカと一緒に遊んでいたことは……言えない。だから、隠そう。あの日のことは全部隠して……またここで、一から始めよう。

 『ブランコ』ではなく、『セツナ』として。

 またルカと、最初から友達になるのだ。


「……お、お疲れ、さま」


 ──というわけで、最初のホームルームを終えた後何故か疲れたように机にへばりついていたルカに、私は意を決して声をかけた。

 ルカは気怠そうに首だけこちらの方に向けると、むぅ、とへの字に口を曲げた。


「もうあきたー」


 そして開口一番にこれだった。飽きたって……ホームルームが? いや、確かに先生の話は退屈だったと思うけど、ものの五分くらいで、大人の話にしてはまだ短いレベル……と思ったけど、周りを見るとフレンズの大半はルカと同じように早くも疲れ果てているようだった。

 これは……。


「げ、元気出して。次は身体測定でしょ? ルカ……ちゃんも思いっきり動けばスッキリするよ」


 つい呼び捨てにしそうになって、私は慌ててちゃんをつけつつルカを励ます。ルカはちょっとだけぽーっと私の顔を見ていたけど、すぐに気を取り直して頷いた。


「……、……そうね。えーっと、そのしんたいそくてーはどこでやるんだっけ」

「裏山……だよ。ひ、ヒトの身体測定は入学前に済ませているから……私達は、フレンズのみんなの見学……かな……」


 そう言うと、ルカはへーと感心しているようだった。

 そもそもジャパリアカデミー ──リユニオン計画の目的はフレンズとヒトが交流したときの影響を観測するためのもの。だから、まずはフレンズの身体能力をヒトに認識させて、それによってどういう反応をするか見たい……というのが、多分運営側の意図なのだろう。

 別にそういう風に説明されていたわけではないけど、このくらいは計画の意義を理解していれば自ずと分かることだ。

 ……まぁ、運営の意図は分からないとしても、この後どこに行くかってことくらいはルカも聞いてるはずなんだけど……。


 なんてことを考えていると、私の視線の色から考えていることを悟ったのか、ルカはちょっとだけむっとした表情で、


「……あによ。あんなごちゃごちゃした説明されても分かるわけないじゃない。そうだわ、アンタが今度からわたしの代わりに説明聞きなさいよ。そうすればわたしが話を聞いてなくても大丈夫だし!」

「ええぇ~……不真面目だなぁ……。まあいいけど……」


 苦笑しながら承諾して……そこで、私は気付く。

 なんだかもう、すっかりちゃんと友達になってるんじゃないだろうか。周りを見てみても、他のヒトやフレンズと遜色ないレベルで、私はルカと打ち解けられていた。

 ……中には『お姉さま~』とか早くも変なことになっているヒトの生徒がいたけど、それはそれとして。


「どうしたの? さっさと案内しなさい。もう皆行っちゃってるでしょうが」

「はいはい……」


 ルカに急かされ、私は彼女を裏山まで案内する。

 未来は明るい。そんな気がした。


   の の の


 裏山までの道はきちんと整備されていて、基本的な学園の構造さえ理解していれば迷うことはないだろう──といった感じだった。


「えーと、まだ数名こちらには辿り着けていないようですが……しょうがないですね。もう始めてしまいましょう」


 監督役の先生が、そんなことを言う。此処にいる面子と先ほど教室で見た面子を照らし合わせると──どうやら、ヒトが一人、フレンズが二人ほどいないらしい。

 状況的に見て、いないフレンズのフォローにヒトが入っている、といった感じかもしれない。まぁ、私はルカを此処に案内するので手いっぱいだったからそこは関係ないけれど。


「今回は、フレンズの皆さんの身体測定をすると同時に、ヒトの皆さんにはフレンズの皆さんの動きを見てもらいたいと思います!」


 どうでもいいけどこの監督役の先生、どこかあの理事長先生と声が似ているような気がする……本当にどうでもいいか。


「うー、めんどくさいわね……。しんたいそくてーなんて、何の意味があるのかしら?」

「ダメだよルカ。身体測定は身体の健康を見るために大事なことなんだから。疎かにしていたら病気がすぐに見つからない、なんてこともあるんだよ」

「その通りですセツナさんっ!」

「わっ」


 横でぼやいていたルカを窘めていると、監督役の先生がビシ! と私の方へ人差し指を突きつける。思わずびっくりしてしまった私とルカをよそに、監督役の先生は身体測定の意義について語り始めた。


「……アンタ、意外と賢かったのね……」


 監督役の先生の話はもちろん聞かず、ルカは私の横顔を見てそんなことを呟いてきた。……まぁ、三年間も頑張ったから。とは言わなかったけど、私は内心ちょっと誇らしく思いながら、


「意外とって何さ。意外とって」


 なんて言って、笑った。

 そうこうしているうちに監督役の先生の説明も終わったらしく、フレンズ達は裏山へと向かうことになった。

 ヒトはここで待機──なのだけど、ここで校舎の方から三人分の足音が聞こえてきた。確認するまでもなく、来ていなかった一人のヒトと二人のフレンズだろう。


「すみません……! この子が迷っちゃって……」


 と言いながら頭を下げたのは──焦げ茶のパーカーを着た少し小柄なけもの耳の少女、つまりフレンズだった。ひらべったい尻尾の形状、それから服装などから推測できる体毛の色……おそらく、ビーバーの仲間だと思う。

 もう一人頭を下げているのは……白い髪色、黒い縞模様、長い尻尾のフレンズ。これは特定できる。多分、ホワイトタイガーのフレンズだ。


 ……ん? よく見たらさらにその隣で一緒に頭を下げている『この子』と呼ばれた生徒……桃色がかった髪だけど、制服を着ているし、後の二人はフレンズだし、必然的にヒトということになるのでは?

 えぇー……ヒトって、ヒトがフレンズのお世話になっていたらダメでしょう。別にヒトの方がフレンズより知能が優れているとは思わないけど、散々事前の説明会とかで校舎の構造については説明を受けていたんだから、むしろフレンズを引っ張っていくくらいじゃないと……。


「……ロップさん、ありがとう! 本当に助かったよ!」

「まったく、ナナはおっちょこちょいだねぇ。あとシロにもお礼言いなねぇ」

「わたしはただ付き添っただけさ……。気にしないでくれ。じゃあナナ、わたし達も行ってくるよ」

「いってらっしゃ~い」


 ……まぁ、フレンズとは打ち解けているみたいだし、そういう意味では私なんかよりこの計画に相応しいのかもしれないけど。


 その後は、身体測定もつつがなく進んだ。フレンズのモニタリングにはパビリオンの技術が使われているらしく、パビリオンゴーグルを装着し、フレンズを追尾するラッキービースト3型から送られてくる映像から身体測定の様子を確認する──というものなんだけれども。


「わぁぁぁぁぁあ~~~ひゃぁぁぁぁぁあ~~~!!」


 さっき遅れてきた生徒が、フレンズに追従するラッキーの映像に振り回されていた。私もゴーグル越しだから様子は分からないけど、声の位置が若干低いので、多分驚いてひっくり返っているのだろう。

 無論私はルカの姿を追うのに忙しいのでそんなリアクションをしている暇はないけど……ああ! もっと前でしょ! 何してるの! そんなんじゃすぐにルカが離れて行っちゃうじゃない!!

 ……ともかく。あの生徒ほどではないにしても、そこかしこから短い悲鳴は聞こえている。それはつまり、『フレンズの世界』に恐れを感じているということでもあるんだと思う。


 もっとも、変わらない感性じゃない。

 誰だって、自分の尺度で物を見てしまいがちだ。『こんな素早い速度で動いていたら、転んだりしたとき大怪我しそう』って不安に思ったりする。そして、たとえそうなっても怪我一つしないフレンズの凄さに驚嘆するのだ。

 そこで『フレンズが怖い』と思うような人間は、今頃ここにいない。でも、フレンズがヒトとは違う世界に生きていると理解することが、今回の身体測定の意義である以上、ヒトとフレンズの違いを肌で感じることは必要なシークエンス。そういう意味では、今回の試みは大成功といっても良いだろう。

 ……だからルカはもうちょっと先だからそっちの方に寄ってよ!


 そうこうしているうちに、巨大鉄球投げ、一キロ走、岩山登り、滝壺潜りなどなど、様々な種目(もちろんヒト基準ではありえないものばかり)をこなしたフレンズ達は、めいめいに身体測定の感想を言い合いながら戻ってきた。

 何人かのフレンズはへとへとになっているようだったけど、たいていのフレンズは軽く息を切らしつつも、思う存分動き回ることができてすっきりしているようだった。

 ……フレンズにとっては、このくらい動いて初めて『楽しい』ということなんだろうか。あの日のパビリオンでも、確かにめいっぱい暴れていたような気がするし。


「ルカちゃんお疲れ様」

「ほんとよ。あー疲れたわ。セツナ達だけ何もしないのって不公平じゃない? ……って思ったら、なんかセツナ以外みんな疲れてるっぽいんだけど……何かやってたの?」

「あはは……ルカちゃんたちの身体測定の様子を見てたんだよ。みんなフレンズの動きに慣れてないから、参っちゃったみたいで」


 そう言うとルカは納得したように頷いて、それから私の方を見て、こう言って首を傾げた。


「……じゃあなんでアンタは参っちゃってないの?」


 …………。


 散々一緒に遊んだからね、とは当然言えず、私は笑って言葉を濁した。

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