【完結】けものフレンズ りゆにおん

家葉 テイク

その1:さいかい

 あれは、私が中学生になるほんの少し前。


 一二月から三月にかけてのあの頃、当時ジャパリパークで働いていたお父さんの都合で、私はジャパリパークの従業員居住区ロッジで暮らしていた時期があった。

 ジャパリパークは、子どもにとっては夢の世界だった。色々なけもの達と触れ合える施設。けもの達のことを子どもでも知ることのできる説明。自然と、けもの達のことを大切に思えるような工夫。

 子どもだった私はただ楽しい場所としか思っていなかったけど、少しだけ大人になった今なら分かる。ジャパリパークは、とても素敵な場所だった。


 中でも一番好きだったのは、当時新設されたばかりだった施設。ジャパリパークのけもの達が姿を変えた存在──『フレンズ』の暮らしを垣間見ることができる、『パビリオン』というアトラクションだった。

 今やったら、多分いろんな批判が出てくるアトラクションだったと思うけれど──当時の私にとっては、パビリオンで遊ぶ時間がとても幸せな瞬間だった。



 だってあの場所には――――私の友達が、待っていてくれたから。



 『彼女』との出会いは、私が初めてパビリオンに遊びに行ったとき。サバンナチホーの大地に、木のブランコを設置して、ほんの三〇秒くらいした頃だった。


『あら? こんなところにブランコが……ああ、ぱびりおんだっけ? もう始まったんだ』


 そんなことを呟いた、当時の私よりもずっと年上に見える女の子。

 外に開いた大きな耳、黄色に茶色のヒョウ柄模様が特徴的な可愛い服、縞模様の太くて短いしっぽ。多分……ネコ科。私にとっては、生まれて初めて見たフレンズだった。

 私が置いたオモチャ、楽しく遊んでくれるといいな──そう思いながら目の前のフレンズを見ていたら、そのフレンズはブランコに手を当てるなり、こんなことを言った。


『はん、こんな中途半端な位置にブランコを置くなんてシロートね。全然なっちゃいないわ』


 …………恥ずかしながら、私はこのとき、途轍もなく……猛烈に怒った。

 私が勝手に置いたんだから、それをフレンズが楽しんでくれなくても仕方のないことなんだけど……子どもだった私は、そのフレンズの言葉に一気にムキになってしまって。


『わっ!? わわわ! なにこれ、何よいきなり!』


 カッとなった私は、木のブランコを大量にフレンズの前に出していた。もちろんブランコなんてどれだけ出したところでフレンズにとっては困るようなことじゃないし、本当に『なんでもいいから私が怒ってることを伝える』という気持ちしかなかったんだけど……。


『……む。なるほどね、このブランコ……全部飛び越えてみせろってこと?』


 フレンズはそう言って、一気に腰を落として、地面を足全体で掴むような姿勢をとる。それから、


『うみゃ…………みゃーっ!!』


 そんな掛け声とともに、フレンズは目の前に並べられたブランコの隊列を、ひとっ跳びで跳び越えて行ってしまった。物凄いジャンプ力で……私は、怒っていたのも忘れて、フレンズの凄さにただただ感動していた。

 きれいに着地をきめたフレンズは、得意げにあたりを見渡しながら、わたしにこんなことを言ってくる。


『ふふん。わたし、ジャンプ力には自信があるのよ。さあさあ、次はどんなものを出してくるの?』


 ……それから、当時の私はパビリオンの入場チケットの時間が切れるまで、ずっとそのフレンズと遊んでいた。

 言葉を交わすことはできなかったけど、そのフレンズの言葉に私は色んなオモチャを並べることで答えることができた。そんなめちゃくちゃな意思疎通法だったけれど、うまく伝わらないもどかしさもあったけれど……それが、逆にとても楽しかった。


『ん、もう終わりの時間みたいね』


 夕日を照り返して黄金色に輝く草原の只中に立つスピーカーから、『けものみち』のメロディが流れ出す。

 それが、その日の閉園の合図。その合図に紛れて、フレンズも私と同じように寂しそうな顔をしていた。

 パビリオンは、あくまでフレンズの生活を垣間見るアトラクション。特定のフレンズと仲良くなるためのものじゃない。相手は自分が遊んだオモチャを設置したのが誰かなんて知らないし、私達ヒトも、同じフレンズがまた来てくれるかなんて分からない。

 でも……今日一日で、私達はすっかりお友達になれたと思ったから。これで終わりになんてしたくないと思ったから。

 だから私は最後に、『またね』って気持ちをあの子に込めて、目の前に木のブランコを置いてやった。


『……ぷっ』


 一瞬びっくりしていたみたいだったけれど、フレンズはそれから堪えきれないといった感じで笑い出す。

 それから、あの子はこう言ったんだった。


『ええ、そうね。また今度。アンタが来るの、待っててあげるわ。わたしはサーバルキャット。ルカって呼んでちょうだい。アンタの名前は──言えないか。じゃあわたしが勝手につけたげる』


 んー、とそのフレンズ──ルカは少し悩んで、


『……ブランコ。アンタの名前、ブランコね』


 私は、返事の代わりにルカの目の前に大量のブランコを置いてやった。もちろん、『もっと可愛い名前がいい』っていう抗議も込めて。


   の の の


 それからというもの、私達は毎日のようにパビリオンで遊んでいた。


 実際のところ、当時お父さんはジャパリパークで泊まり込みの研究をしていて、そしてジャパリパークはそんなお父さんの家族のために、ジャパリパークへの特別招待措置をとってくれたりしていて。

 だから私は、開園時間になるとすぐにパビリオンに行って、ルカと日が暮れるまで遊んだものだった。推薦で中学への進学が既に決まっていて、小学校も自由登校だった私は卒業式まで学校に行く必要もなかったし。……それに、私は休みの日も一緒に遊んでくれるような友達がいなかったから。


 とても、楽しかった。

 ルカとは相変わらずお喋りできなかったし、うまく意図が伝わらないこともあったけど、それでも探り探り色んな遊びを二人で一緒に考えた。ルカは意地悪なときもあったから、それでちょっと喧嘩することもあったけど……ブランコを置いたら、すぐに仲直りできた。


『ふふ。わたし達なんだか、すっかり素敵なコンビね』


 ルカがそんなことを言ったときには、私も本当に嬉しくって、うっかりブランコをいっぱい出して呆れられてしまったり。

 本当に、ずっとこんな日が続けばいいと思ってた。


 ────ジャパリパーク・パビリオンの意義は、サンドスターによってけものがヒトの少女に変じた存在・アニマルガール、俗称『フレンズ』を人間社会が受容する為の第一段階。

 その目的は、四か月間のヒトによる『観察』とごく限定された範囲における『干渉』によって、ヒトがフレンズという存在を理解し、共感し、許容する為の下地を作ること。

 それをアトラクション風に仕立て上げ、フレンズもヒトも楽しみながら実行できるように考案されたのが、『オモチャを置いて、それで遊ぶフレンズを眺める』という『ジャパリパーク・パビリオン』だった。

 期間は一二月から三月の四か月間。それが終われば、アトラクションは一旦閉鎖する。

 それが、当初からのルールだった。


「ねえ、なんで!?」


 私は、なりふり構わずにガイドロボットのラッキーに縋り付いていた。


「どうしてっ、どうしてもう終わっちゃうの!? ルカとせっかくお友達になれたのに! もう会えないなんていやだよ!」

『アワワワワワワ……』


 最初から分かっていたことだったのに、私はそれでも声を荒げざるを得なかった。

 四か月あった時間は私が現実から目を背けているうちにあっという間に一か月になり、一週間になり、三日になり、二日になり、一日になり……。今日が、パビリオン最後の日となっていた。

 もちろんフレンズは──ルカはそんなことを知る様子はない。なんとなくパビリオンが始まったということは知っていたみたいだけど、パビリオンがどんなものだったのか概要は知らないようだったし。その日の前日だって、ルカはいつものように『また明日ね』と笑って縄張りに帰って行った。

 だから多分、ルカにとって私は『突然消えてしまった』存在になってしまう。お別れを切り出そうにも、ただオモチャを置くだけでどうやってルカに伝えればいいだろう。ブランコをいっぱい置いたってきっとルカは不思議がるだけだ。まさか今日急にお別れだなんて、思うわけがない。きっと突然取り残されたルカは悲しい思いをするはずだ。お別れの挨拶もせずに、ルカとさよならするなんて、悲しい思いを最後に残すなんて、そんなの嫌だ。そんな気持ちで、ラッキーに縋り付いていた。


「ねえ、お願いだよラッキー! もしこのまま一緒にいられないなら……せめて、直接ルカに会ってお別れを言わせてよ! このままなんてやだよ! さよならも言えないなんてやだよ!!」

『ア、アワワ……ゴメンネ、ゴメンネ、ルールダカラ デキナインダ。ゴメンネ』

「なんで……なんで!? ルールってなんなの!? そんなに大事なことなの!? ひどいよ! ひどいよ!!」

『ゴメンネ、ゴメンネ、ゴメンネ、ゴメンネ…………』


 ラッキーは泣きじゃくる私を宥めるように、ずっと『ごめんね』と繰り返していた。

 ああ、今にして思うと──私はなんて浅はかだったんだろう。

 パビリオンは、出会いの為の前準備。ラッキーにかみついたって、どうにもならないのは分かり切っていたのに、こんな無茶を言って。それなら、しっかりルカとお別れして、再会を約束すればよかったのに。

 伝わらないかもしれなくたって、頑張って伝えるように努力すれば、きっとルカになら伝わった。それなのに私は、最初から諦めて……。…………そして、もっとも愚かな選択を選んでしまった。


「もう……いいよ! もういいよ!!」


 そう言って、あの日の私は逃げるようにパビリオンを後にした。

 最後の日、結局私は……ルカにお別れを言うことも、一緒に遊ぶこともせずに、ロッジのベッドで一人泣きじゃくっていた。

 きっとお別れの辛さはルカも一緒だったのに、それなのに自分が悲しいからってそのことに目を向けず、自分勝手に悲しみに押し潰されてた。

 それきり、私は今に至るまで、一度もルカと会ったことはない。ジャパリパークにも、足を運んだことはない。悲しいことを、思い出してしまうから。


 あのパビリオンから、世の中の考え方は色々変わった。

 フレンズはヒトと同じような存在だからヒトと同じように扱うべきだとか、元々はけものなんだからヒトの文化に触れさせて本来の行動原理を変えるようなことはしてはいけないとか。少なくとも、危険な存在かもしれないって意見はけっこう減ったみたい。

 私にはまだよく分からないけれど──そのあたりに正解がないということはよくわかる。

 そんな様々な議論を巻き起こした『第一段階』が終了してから三年後。

 ジャパリパークで、『第二段階』が始まった。


「──ジャパリアカデミーは、皆さんがフレンズの皆さんと仲良くなってもらうための『第二歩』です」


 体育館のような場所で、他の生徒たちと同様に並んでいた私は、登壇している女性の話を静かに聞いていた。

 を被ったスーツの女性は、さらに続ける。


「厳密な話をすると、ヒトとフレンズが交流するときに気を付けるべきことは何かーとか、どんないいことがあるのかーとか、どんな悪いことがあるのかーとか、このジャパリアカデミー──『ジャパリパーク・リユニオン』には色々な目的がありますし、此処に入学することができた皆さんは当然そういったことを意識していると思うんですけど……」


 スーツの女性は、帽子のからはみ出た癖毛を照れくさそうにいじりながら、


「難しいことは、考えなくてけっこうです。難しいことを考えるのは、ボクやほかの大人たちの仕事です。皆さんは、フレンズさん達とただ楽しく──普通に学校生活を送ってください。そしてできれば、フレンズさん達と仲良くなって、将来、ヒトとフレンズさんの架け橋となってください」


 そんな話を、していた。


「フレンズさん達って、皆さんマイペースだし、ヒトとは変わってるので色々勝手が違うかもしれませんが……皆、とってもいい方たちばかりなので」


 ………………。


「どうかキミ達、大切な友達フレンズができますように」


 ………………。


「では、そんな祈りを以て、理事長の話に代えさせてもらいますね!」


 そんな理事長先生の言葉のあと、簡単な今後の予定の説明なんかが入って、ヒト新入生の入学式は終わりとなった。

 そして最初のホームルームのために教室に移動するその道すがら、私は理事長先生の言葉を思い返しながら、こう思う。


 ……私は、多分理事長先生の祈りを受け取ることはできない。

 だって私は、色んなフレンズと仲良くなる為にこの学園に──リユニオンに来たわけじゃないもの。


 ルカと別れてから三年。

 あれからすぐにこの計画のことをお父さんから知った私は、猛勉強に猛勉強を重ねた。動物のことはもちろん、他の色んなことを勉強した。全ては、この日のため。難しい試験を乗り越え、ジャパリパーク・リユニオンに参加する為の資格を手に入れ──フレンズと話ができる場所に立つため。

 ルカと、再会するため。

 あの日会いに行かなかったことを謝って、また一緒に遊べるようになるため。


 私は、ルカと会うためだけに此処に来た。たった一人のフレンズと仲良くなるためだけに。

 ルカが此処に来ているとは限らない。でも、それならそれで道ならいっぱいある。ルカっていう名前は知ってるんだし、理事長先生に直談判して聞けばきっと分かる。サーバルキャットのルカ、そして外見の特徴、そして住んでいたエリア。調べるための情報は全部そろってる。あの態度ならきっと私のお願いを無碍にすることだってないはず。きっと……!


 そんな風に覚悟を決めながら、私はとりあえず教室に入る。

 先ほどの『入学式』はヒト用のもので、フレンズ達は一足先に教室で待機している──というのは、事前に聞いていた話。

 そういうわけで、教室に入ると既に半分の席は埋まっていた。既に席に座っているフレンズ達の多くは、学生服を着ている私達とは違い、色とりどりの服を身に纏って各々談笑したり毛繕いしたりしていた。

 そしてその中の、一人。

 窓際の席で、緊張したみたいに耳をぴくぴく震わせながら、あたりを見渡しているフレンズを、私は認めた。

 外に開いた大きな耳、黄色に茶色のヒョウ柄模様が特徴的な可愛い服、縞模様の太くて短いしっぽ。ネコ科のフレンズに多く見られる服のデザイン。私にとっては、忘れようのないフレンズだった。

 年上のように見えたあの子の姿は、今はもう私と同年代。時の流れを感じるよりも先に、私はそのフレンズの方へと駆けだしていた。


   の の の


 これは、私とルカの、再会のお話。

 『さよなら』を言うことができなかった私達が、『ひさしぶり』を言うまでの物語。

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