砦の舞台裏

 聖女モーリィと騎士ライトは、お互いの肌が触れるほどの距離で向かい合っていた。


 モーリィはライトの逞しい体に添えた指を繊細に動かす。

 最初はおっかなびっくりだったその動きも慣れてくると少しづつ大胆なものへと変化し、彼の鍛えられた腕や胸板に柔らかい双丘が何度も当たって蠱惑的に潰れる。

 しかし、白い頬を染めるほど夢中になっている彼女から気にするようなそぶりは全く見られなかった。


 このような時には遠慮無く動じず、ある意味で自由奔放ともいえるモーリィの振る舞いに、純情なライトの心臓は否応なしに鼓動を速めていく。


 やがてライトの肩を両腕でつかむと彼女は背を仰け反らし、瑞々しい桜色の唇から呻くような声をだした。

 豊かな胸と華奢な腰がブルブルと震え……そして一瞬の硬直の後、聖女は肉体の緊張をゆるやかに解くとライトの体に軽くもたれかかり深い吐息を漏らしたのだ。


「んんっ……ふっ、ふぅー。普段使っていなかったせいか随分と硬かったですね。ライトさん動いてみて変な感じはありましたか?」

「す、凄く気持ちよかったです! あ、いいえ、ま、まったくの、ダイジョブで、あります!?」

「あの……肩ベルトの留め金ですけど、本当に大丈夫ですか?」

「は、はひっ! もちろん、大丈夫ですっ!!」


 モーリィは肩ベルトの硬い留め金を何とか力ずくで留めることができた。

 彼女はライトが全身鎧を着けるのを手伝っていたのだ。


 その結果、ライトの顔は赤く染まって健康的に前かがみである。


 モーリィは一歩後ろに下がるとライトの姿を見あげた。

 英雄物語にでてきそうな純白の全身鎧をまとう聖騎士……いまだ少年の心を残す聖女は憧憬の眼差しになった。


「やはり、ライトさんのように体格がいいと全身鎧もよく似合いますね」

「そ、そうですか? あはは、普段着慣れない物なのでおかしくないでしょうか?」

「そんなことはないですよっ! その……とても格好良いし羨ましく思います!」

「う? 羨ましい? ええっと、ありがとうございますっ!!」


 クスクス、アハハと楽し気に笑う聖女モーリィと聖騎士ライトの後ろを、ウロウロと歩くのは黒い全身鎧の騎士ルドルフ。

 夫の着付けを手伝っていたターニャは、婚約の報告で幼馴染のルドルフを実家に連れていった時の父親の様子を思い出して笑ってしまう。


「ふふ、あなたも惚れ直すくらい格好いいわよ暗黒騎士ルドルフ様・・・・・・・・・?」

「う、うむ……そうか?」


 照れる夫の広い胸板を、ターニャはポンポンと叩いてあげた。


「ターニャさん、ライトさんの着付けも終わったので料理の方をしますか?」

「そうね、他の人の衣装は問題ないだろうし」


 ターニャは特別宿舎の食堂を見回す。

 普段は男子禁制のこの場所に、何人かの砦の騎士達がいた。


 野菜の皮むきや下ごしらえをしている女騎士達。

 それを手伝い意外と器用に芋を剥いているのは不死者ヴァンパイヤ姿の騎士団長アルフレッド。

 不器用に指を切るのは闇妖精ダークエルフ姿の第五騎士隊隊長フラン。

 四天王の一人、死人使いネクロマンサー役の黒魔導士ジェームズはイベントのためすでにこの場にはいない。


 先ほど着付けが終わった闇の暗黒騎士ダークナイトルドルフと、光の聖騎士パラディンライト。

 魔王の配下の『魔王軍四天王』役の内三人が揃っていた。

 そして他にも多くの砦の騎士達が黒騎士として参加中である。


 今頃はトーマスとフィーアが砦街少年団の案内役をしているはずだ。


『砦街の魔王討伐祭』そして『砦街少年団の魔王討伐前夜祭』


 四百年前に影操りの魔王を討伐したとされる異界の勇者。

 その偉大な功績を称えるお祭りで、砦で今行っているのは前夜祭である。

 砦街の年少者が集まる砦街少年団の十才前後の者を対象に行われる砦主催の秘密の行事であった。


 砦街に突如現れた恐ろしい悪魔。

 悪の魔王が砦に呪いをかけ、お姫様をさらい砦街を支配下に置こうと企んでいる。

 このままでは砦街の魔王討伐祭を開催することも難しい。

 勇者の力を得た砦街少年団が呪われた黒騎士達の追撃をかわし、凶悪な四天王達を倒して、囚われの姫を救い影の魔王を討伐するのだ。


 聖女モーリィはそのお姫様という重要な役割に抜擢されてしまった。


 お姫様役の打診を事前に一言あってもよさそうなものだが、その場合、彼女は確実に断るので強引なこのやり方で正しかったのかもしれない。


「でもこのお祭りのお姫様役って、砦街生まれの女の人から選ばれるはずでは?」

「本来はそうなんだけど……今年お姫様をやるはずだったが遠方に嫁いじゃったからねぇ」


 モーリィの疑問にターニャは料理の味付を行いながら答える。

 勇者達の御昼を……大人数の料理を作らなければいけないため二人とも手は止めない。

 女騎士から下ごしらえの済んだ大量の食材を受け取ってせっせと調理に勤しむ。

 八つのかまどは全て稼働中であった。


「それにモーリィ。君がここに来た二年前から、姫様役を是非して欲しいという砦の騎士の要望が多くあがっていて丁度よかったのだよ」

「第五騎士隊の本部にもモーリィさんをお姫様に! という住民の声が二年前から届いていましたね……あいたっ! モーリィさんまた指切っちゃいましたっ!?」

「二年前って……私がまだ聖女おんなではなかった頃ですよね!?」


 口に牙を付け古式貴族風の衣装を纏う吸血鬼な騎士団長と、魔術で褐色肌にした、ムチムチミニスカート姿の素でダークエルフふとましいなフランの他人事な発言。

 聖女は最近癖になってきている眉間のしわを揉み解す。

 幼き頃の冒険者ごっこで散々お姫様役をやらされたというのに、砦街でもやる羽目になるとは何の因果か?


「この行事の姫様役に選ばれるのは、優れた知性・品格・美貌を持ち合わせている証明であり、砦街女性にとって大変名誉なことでやりたいと望む者は多いのだがね?」

「だったら尚更、私ではなく砦街の女の人から選んでくださいよ……」


 調理するお姫様モーリィのぼやきに笑い出す一同。

 詳しい事情を知らないライトだけが疑問を浮かべていた。


「ああ、そういえば団長さん。今年は魔王役をやらないんですか?」

「ん、ああ……今回は、どうしても魔王役をやりたいという人がいてね」

「へぇ……やられ役をやりたいなんて奇特な人もいるもんですね」

「まあ、彼女が変わり者なのは確かだね」


 ターニャの質問に、ナイフの先端で宙にヒョウタンを描きながら返事を返す騎士団長。


「騎士団長が悪の魔王役だなんて色々な意味でぴったりですね。私もその時に討伐隊側で是非是非、参加したかったですよ」

「それは光栄だねモーリィ。しかし、言葉にそこはかとなく毒があるように感じられるのは私の気のせいかな?」

「気のせいですよ? それとも、そう聞こえるのは騎士団長が普段から悪巧みばかりを考えて心が汚れているせいではないですか?」

「ははっ、それこそまさかだ。王国中探しても私ほど公明正大で、潔白で、裏表の無い者はそうはいないだろうさ」

「信憑性のない自画自賛もそこまでいくと滑稽ですよね?」

「偽りのない本当のことだからな。というか、最近の君は女であることを利用して狡猾にあざとくなっているのではないかね?」


 見つめ合いナイフをぎゅっと握る聖女と騎士団長。


「ふふふ、騎士団長も面白い冗談をいいますね?」

「はははっ、いやいや、私は結構本気だがね?」


 素敵な緊張感だった。

 二人とも全く顔が笑っていない。

 しかし、誰も止める者がいないのは何気にこの二人は馬が合うからだ。

 騎士団長はともかく聖女は激しく否定するだろうが。


「ただいま~! みんな戻ったわよ!」

「あ、ミレーお帰りなさい」

「ご苦労様だ、ミレー」


 丁度いいタイミングでやり切った表情のミレーが戻ってきた。

 それに対し少しだけ不安顔のターニャは彼女に問いかける。


「少年団の子達は大丈夫だった? 怪我する子とかいなかったかい?」

「ええ、全然大丈夫です! このミレーさんの迫真の演技で、あの子たちのテンションもグイグイ引き上げておきましたし!!」

「ふーそれは良かったわ……ととっ、来たばかりですまないけど料理手伝ってくれるかい? 今作ってるのはアンタと少年団の子達の昼食と夕食だからね」

「おっけーまかせてターニャさん!」


 ターニャの手伝いをするべくミレーは軽やかに厨房の中に入っていく。


「とりあえず問題がなくて何よりだ」


 そう騎士団長がしめるように言った瞬間『ゴゴゴゴゴ』という地響きと『ドガガガガ』という凄まじい爆発音が連続で聞こえてきた。

 その場にいた砦の騎士と女騎士全員の視線がギギギ……とミレーに向いた。


 ハッと何かに気づき、砦のトラブルメーカーは愛らしく舌をテヘペロリ。


「そういえば、砦街少年団に魔王ちゃんカエデが混じっていたわ!」

「ええっ! な、なんでカエデちゃんが!?」


 モーリィは最悪な状況を想定して悲鳴をあげた。


「あのね、たまたま出会って、一緒に案内役やるつもりだったんだけど、何だか参加したそうだったから……つい」

「ついって……いくらなんでもあのおチビカエデちゃんは不味いでしょう! 下手したら死人がでるわよ!?」

「う……でも、でもさターニャさん。カエデ一人だけのけものにしてお祭りするのも何だか凄く可哀想じゃない!?」

「あー、ま、まあ、確かにそうかもね……?」

「いやいや、ターニャさん! 丸め込まれないでくださいよっ!?」


 モーリィの突っ込み。

 世話好きで子供好きなターニャは困ってルドルフを見てしまう。

 奥さんの頼るような視線に暗黒騎士ルドルフは腕を組み力強く頷いた。

 そのことにターニャは安心してほっとしてしまう。


 夫婦仲が良くて大変よろしいが、何の問題解決にもなってはいない。

 

「この分だとジェームズ君あたりでしょうか、犠牲者は?」

「彼も魔導士だ、そう易々と逝かないとは思うが……大丈夫かな?」

「いいえ、ジェームズでも普通に不味いと思いますよ……」


 フランと騎士団長の何とものんきな会話に、ジェームズと同室のライトが冷静に指摘した。

 後ろで聞いていた女騎士達も一斉にうんうんとうなずいた。


 魔王ちゃんの魔術攻撃は常人なら即死してお釣りがくるほどの威力である。

 砦の騎士ならば二、三発攻撃を食らっても即死はないだろうが、黒魔導士ジェームズの耐久力はかなり低く常人程度・・・・・・しかないのだ。


 逝ったかな? 困ったどうしよう? 全員で頭を悩ましていたその時だった。


「ネクロマンサーのジェームズ。フフフ……奴は四天王の中でも最弱……人間如きにやられるとは魔族のツラ汚しよ……」

「う……こ、この声は誰ですか!?」

「美しき姫をさらい、この砦を邪悪な力で支配する悪の魔王……」


 食堂の入り口から声がした。

 よく分からぬ義務感に駆られ思わず呼びかけてしまう聖女。

 心当たりのある騎士団長はこめかみを押さえて渋面を作る。


「……つまりアタシだあっ!!」


 扉の影からテテッーと勢いよく飛びだしてくる人物がいた。

 漆黒の髪と竜のような角と尻尾と

 その身をワンピースのミニドレスと甲冑とも生体ともつかない装甲で纏い、絶世の美貌を不思議なマスクで覆い隠して変なポーズを決める彼女は……。


『ひぇ! 魔王役に本物きちゃったっ!?』


 それは、謎マスクと魔王っぽい格好をした魔の国の魔王様であった。

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