砦のダンジョン その6

 モーリィは『クロエ』と呼ぶ声を聞いた……。


 小部屋の扉を潜り抜けた時、まるで水の中に入るような抵抗を感じた。


 予想もしない負荷に姿勢を崩し前のめりになる。モーリィが顔を上げるとそこは見知らぬ広い空間だった。先に通路に出たはずの女騎士達は見当たらず、後ろを振り返ってもミレーやフランの姿はない。


 通り抜けたはずの扉も無く背後にあるのは壁だけ、明らかに現在の場所が変わっていた。モーリィは混乱しながらも辺りを見回す。何も無い大部屋だった。


 モーリィは体の軽さに気づき自身の姿を見下ろして驚愕する。


 背嚢をどころか一糸まとわぬ姿になっていたのだ。

 裸体に豊かな胸がさらけだされ、首後ろを縛っていた紐も無く白銀色の髪も流れるままに零れている。身に着けていた装備品はどこにも見当たらなかった。

 肌寒さ、そして羞恥を感じ腕で体を抱きしめ前かがみになる。


「体だけ、この場所に転移させられた?」


 あまりにも絶望的な状況に呆然とつぶやく。

 ズキンッ、突然の頭痛、モーリィは頭を押さえた。

 ……ジンジンとする痛みが続く、強制的な転移をさせられた影響だろうか。


 聖女の力を使うも痛みは引かない、唯の体調不良、そのことに少しだけ安堵する。

 治癒魔術で治せるのは外的要因による肉体の損傷のみ、聖女の力も同じで病気や体調不良など治癒出来ない。つまり頭痛は、魔術的な呪いではないということだ。

 

 モーリィがもう一度部屋を見渡そうとしたその時、部屋の中央に強い光の点滅が生まれた。警戒心を覚える。


「魔法陣? でも、こんな形は見たことない?」


 光は不思議なパターンを宙に描いている。


 それはモーリィが知っている既存の魔法陣の形状とはあまりにかけ離れていた。魔力は全く感じないが、何かが起ころうとしていることだけは理解できる。焦りを覚える、しかし仲間はおらず装備もないモーリィには恐怖し怯えて見守るしかなかった。


 何者かが転移をしてきた。


 光が収まり現れたのは、恐るべき美貌をもった少女だった。

 モーリィよりも二つか三つほど年下に見える。

 黄金律の整った顔立ち、漆黒の黒髪に万年雪のような白い肌。

 頭部に二本の角と臀部からは床まで垂れ下がる長い尻尾。

 明らかな異形、だがモーリィには完成された美しさに感じられた。


 身に纏っているのは複雑な刺繍が施された華美な黒いドレス、しかし少女の可憐さの前では添え物でしかないだろう。

 モーリィは警戒することも忘れ少女の美しさに、唯々見惚れた。

 気品すら漂う少女は、閉じていた目を薄っすらと開く。


 途端に、知り合いの赤髪の魔族女性と同等の、あるいはそれ以上の生命力を少女から感じた。モーリィの緩みかけた警戒心が再び高まっていく、不意にある存在に思い至り無意識に呟いてしまう。

 

「ダンジョン……マスター?」


 その声に反応したのかゆっくりと少女は立ち上がった。

 美しいまぶたを完全に開くと、現れたのは深紅色の宝石のような瞳。

 その目が、全裸のモーリィを捉えた。

 異形の少女はモーリィを完全に認識する。

 目を細め、血の色艶を持つ唇をつり上げ笑った。

 少女はモーリィを見つめたまま、にいっと笑ったのだ。


 圧力をともなった視線だった。モーリィの裸体を爪先から頭へと、そして髪の毛の一本一本までも、少女は舐めるように、観察するように見ている。

 モーリィは悲鳴も出せず、恐怖で身を竦ませた。

 はっきりと悟る、原始的な恐怖、明確すぎる捕食者と被捕食者の関係。


 モーリィの視界が粘度のようにぐにゃりと歪む。短時間での緊張の緩急が肉体と精神を疲労させていたのだ。酷い頭痛と寒気に立っていることすら困難になっていく。呼吸が早くなり汗が滲んで吐き気が込み上げる。体を支えきれず膝を落とした。


 モーリィの豊かな双丘が、動きに追従して揺れる。


『……クロエ……』


 聖女は薄れゆく意識の中、あの声をまた聞いたのだ。



 ◇◇◇◇◇



 夢を見ていた?


 薄暗い部屋で佇むのは一人の女性。

 窓から入る月明かりに照らされるのは、白銀色の髪と空色の澄んだ瞳。

 儚さを感じさせる顔立ち……鏡に映った自らの姿を見ているのかと思った。

 だが違う、その人は現在のモーリィより年上で、体つきは華奢だが女性らしく丸みをおびたものであった。


 覚えたのは泣きたくなるような懐かしさ。


 彼女はベッドの横においた椅子に座っている、その表情は穏やかで優しい。ベッドの中には彼女とよく似た面影をもつ白銀髪の幼子が寝ていた。


「……今夜して欲しいお話はあるかしら?」

「魔王とお姫様の話がいいなぁ」

「あら、それは昨日もお話したでしょう?」

「うん、でもまた聞きたい」


 女性は困ったように微笑むと幼子の頭をそっと撫でる。

 間違いない、彼女は母アイラ・モルガンだ。

 モーリィが故郷を出てきた時も年不相応の若々しい見た目だったが、それよりも若い頃の姿だろうか。

 

 アイラは細い人差し指を自分の唇に当て、しばらく思案。

 

「それじゃあ、今日は魔王が旅立った後の少女のお話をするわね」

「えー魔王いないの?」

「いないけど、アナタも気に入るお話だと思うわよ?」

「うーん、じゃ、そのお話きかせて!」

「ふふ、では、お姫様と帰れなくなった悪魔のお話です」


 アイラは題名を言うとモーリィ・・・・に御伽話を語りだす。


「その少女は小さい王国のお姫様。彼女の名前はクロエといいます。そして家に帰ることが出来なくなってしまった悪魔の名前は……」


 そこでアイラはモーリィ・・・・に視線を向けた。


 驚く、彼女は認識している、明らかにモーリィの存在に気づいているようだ。

 そこで初めて疑問が生じる、この女性は果たしてアイラなのだろうかと?

 彼女はモーリィのようでありアイラのようであり、そのどちらでもない。

 

 ……彼女は聖女モーリィに語り掛ける。


「お願い……彼女を救ってあげて、私が交してしまった約束を、信じて待っていてくれた優しい彼女の名前は……」

 


 ――――――



 モーリィはゆっくりと目を開く。

 

 硬い板のようなベッドに寝かされていた。しかし不思議と寝心地は悪くなく、むしろいつまでも寝ていられそうだ。

 意識を覚醒させるように首を振る、上半身をわずかに起こして辺りを見回した。

 相変わらずの光る部屋、何もない広い空間にベッド一つだけが置かれている、奇妙な寂寥感があった。


 モーリィを苦しめた頭痛はすっかりと消えていた。


 寒さは感じない、優しい布触り、服を着せられていることに安堵する。

 誰が着せてくれたのか……あの謎の少女だろうか?


 気を失う前の記憶がわずかに戻ってくる。


 モーリィは禍々しくも美しい少女とこの場所で出会ったはずだ。

 少女の目は、例えるなら獲物を狙う肉食獣のものだった。

 そう……モーリィが今までの人生で何度も見てきた目だった。

 不意にミレーの顔が浮かぶ、まさかと思う気持ち……どうにも嫌な予感がする。



 音もない静かな空間。


 モーリィは何をするか迷い、まずは着ている服を確認してみることにした。

 薄い白布を重ね合わせた作りのドレス、長袖だが首と肩が大胆に露出しておりスカートは太ももの中ほどの長さしかない。


 肌感覚から下着をつけていることは分かった。


 胸元を指で引っかけて覗いて見ようとするも、どういう構造なのか胸周りはきっちりとガードされていて見ることが出来ない。

 そこでスカートの裾に手を取りを少しだけ捲ってみる……すぐに下した。

 見てはいけないものを見てしまった気分だ。

 何やら、やたらと複雑で精緻な刺繍の施された下着だった。


 素晴らしく手間が掛かっていそうな裁縫。

 使われているのは絹などの高級素材。

 多分、高貴なご婦人方が着けるような超高級品。


 以前、女物の下着を揃えた時、男物にくらべて高すぎる値段に、付き添ってくれたターニャに愚痴を零したことがある。彼女は言うにはこの程度の額は普通で、高貴なご婦人方が着ける物の中には、庶民の月給が飛ぶような品も珍しくないらしい。


 それを聞き、信じられない世界だと恐ろしさを感じたものだ。


 体を震わせる、心臓に悪いことを考えるのは止めよう思った。

 ヘンテコなドレスだが着心地は良い。体を束縛せず、生地は軽く一瞬着ているのか分からなくなるぐらいだ。スカートの丈が短すぎるのが少々いただけないが。


 床に下りようとして、靴らしきものが置いてあるのに気づく。

 恐々と足を通すと、モーリィにあつらえたかのようにピッタリだった。

 

「起きたのねクロエ。体の方はもう大丈夫かしら?」

「わぁ!」


 モーリィは突然背後から声を掛けられ、驚きのあまり飛び上がってしまう。


 慌てて振り向くと、漆黒の髪の少女がいつの間にか立っていた。

 彼女はわずかに頬を染め笑顔を見せる。

 モーリィが気を失う前に見た美しい少女だ。

 最初に見た禍々しい雰囲気は微塵も感じられない、それどころかモーリィに対してかなり友好的のように見える。


 頭部の角のように見えた細い三角形は、よく見れば髪の毛と同じ黒色の獣の耳で、臀部から出ている、ピンと立つ尻尾も黒い毛に覆われて太く長かった。

 幼いが勝気そうな美貌。しかし上目使いでモーリィをうかがう様子はまるで愛らしい小動物、黒色の長耳のリスを思わせる。


 彼女が着ている黒いドレスは、モーリィが着ているドレスと同じような形状で、傍目で見るとかなり扇情的に見えた。モーリィは自分がドレスを着ている姿については考えないことにした。


 背丈はミレーと同じかわずかに低いくらいだろうか。見た目からは獣人種だと思うのだが、彼女のような種族は雑多な人種が集まる砦街でも見かけたことがない。

 それに、少女からは常人では考えられない、あふれる生命力を感じる。


 モーリィが黙っていることに不安を覚えたのだろうか、少女は心配そうに話しかけてきた。


「どうしたのクロエ? やはりまだ具合がよくないのかしら?」


 聞き覚えのある、鈴のような声。

 ダンジョンでモーリィだけが聞こえていた声。

 クロエと何度も呼びかけてきたのは、どうやら彼女のようだ。


 モーリィは意を決して尋ねてみることにした。


「あの、申し訳ありませんが私の名前はモーリィです」

「あっ……」

「貴女はいったい……何者ですか?」


 嬉しそうな様子だった少女は、モーリィの質問に唖然とした表情になる。

 思いもしないことを、思いもしなかった相手に言われたという顔であった。


 少女はモーリィを縋るように見る、そして何かに気づいたようだ。

 美しい顔を曇らせ、長い耳と尻尾を力なく垂れ下げていく。

 目に見えて分かる、段々と悲し気になっていく少女。

 モーリィの言葉が引き金だろうか、微かな罪悪感を覚えた。


「そうね、しかたないことだわ。クロエの生まれ変わりに会えただけでも信じられない奇跡なのに、そのうえ私のことまで覚えていてくれだなんて贅沢というものよね」

「生まれ変わり……覚えていて?」

「いいのよ。貴女が今ここに居てくれるだけでも私は十分なんだから」


 自分を納得させるように言葉を紡ぎ、うつむく少女。


 その姿、モーリィは酷く締め付けられる思いがした。何とかして慰めてあげたいと言う気持ちが沸き上がってくる。しかし何をしてあげればいいのか見当がつかない。

 何故、少女のために強く何かをしてあげたいと感じるのか、この気持ちは何処から来るものなのかモーリィ自身、分からなかった。


「―――――」


 不意にモーリィの記憶の淵に何かが引っ掛かって浮かび上がる。


 幼い頃に母アイラが、誰かが語ってくれた御伽の話。

 先程見た不思議な夢。

 モーリィが忘れていた?

 忘れさせられて・・・・・・・いた?

 記憶が浮かび上がる。


 ――その悪魔の名前は……?

 ――その彼女の名前は……?

  

「……メルティ?」


 口から零れ落ちるように出る言葉。

 少女の変化は劇的だった。

 

 沈んでいた美貌は一瞬で朱に赤く染まる。特徴的な長い耳と尻尾はぴんと立ちあがった。そして、ぶるぶると震えながら小柄な体をより小さく丸めると、次の瞬間には泣きながらモーリィに飛びついてきたのだ。


「クロエ――――――――――!!」

「わ、わっ、ちょっと!?」

「私の名前を覚えていてくれたのね、クロエ、クロエ、クロエ!」


 モーリィの頭を、興奮したように腕で抱きしめる少女……メルティ。

 手だけではなく足も使い、体全体で覆うように抱きついて来る。

 咄嗟にメルティの細い腰に手を回すと、後ろに倒れそうになるのをモーリィは必死にこらえた。


 モーリィの顔にメルティの柔らかい胸が当たる。


 腰を挟みこむ太ももと甘い体臭の匂い、肩越しにばさばさと体に当たるリスのような尻尾がくすぐったかった。メルティの情熱的といえる抱擁に、女性に対しての耐性が大分ついているはずのモーリィでさえ、恥ずかしさを覚えてしまう。


 メルティの意外と大きい胸に挟まれながら、モーリィは必死に声を出した。


「あ、あの、メルティさん?」

「ええ、ええ、そうよ、私はメルティ。貴女のメルティよ」

「貴女の……メルティ? え、ええぇ!?」


 メルティはモーリィの顔を胸から解放してくれた。

 しかし彼女の太ももは腰をきゅっきゅっとホールドしたままだ。

 うっとりと涙ぐんだ深紅の瞳、そのまま口づけでもされるかと思うほどの熱い眼差し、モーリィは自分の頬が熱く染まっていくのを感じた。


 スキンシップの激しさに潤んだその表情……。

 どうやら図らずもモーリィの嫌な予感が的中してしまったらしい。


 メルティは今までモーリィに愛の告白をしてきた者達と同じ表情をしていたのだ。肉食獣の顔……悲しいことに告白してきた者の大半は、ミレー以外は全員男だった。


 クロエ、クロエと連呼するメルティにきゅきゅと抱きしめられ、すべすべの手で頬をなでなで、肌同士をこすりあわされる。


 メルティは本当に情熱的だ。

 このまま行き着くところまで行く前に、言うべきことは言っておこうと思った。


「メルティさん、私の胸を揉むのは止めていただけますか?」

「え、い、嫌なのかしらクロエ?」


 聖女は、頬を染めた獣人少女に不思議そうに聞き返されたのだ。

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