泥酔の女神

「イッキ! イッキ! イッキ!」

 男たちの掛け声に呼応して大樽を傾かせる着物姿の女は最後の一滴まですすって大樽の中を空にした。

「ぷはぁ~――三樽いったぞ! 三樽! まだまだ行けるぞえ」

 大きな樽で容姿が隠れてあまり見えなかったが、よくよく見ると大樽を抱えて飲み干した女神は幼子だった。

 顔を真っ赤にした幼子は虚ろな瞳で虚構を見るが、僕が近づくなりジロッとこちらを睨んだ。

「やっと来たか。ヴァン・ケイジ。待ちくたびれたぞ」

 どうやら僕と会うことは分かっていたようだ。ご丁寧にフルネームまで言ってくれて。

 机の上からその小柄な体をひょいと降りるとイスに跨った。

「ちょいと、焼き鳥とジョッキ二つ頂戴」

 遠くにいるウェイトレスにそう注文するとウェイトレスは頷き、女神は「さて」と前置きして話し始めた。

「わしの事が知りたいそうやの。見るにわしの土地のもんみたいやが?」

「ええ、ミコクノカミが司っていた土地の者です。なので、この街にも興味があったのです」

 僕が喋るやいなや世常の女神はクスクスと笑いだした。

「おぬし、久しい名を言うてくれたな。わしも忘れておったわ」

 笑いこらえる姿にそんなに可笑しいのか疑問に思ったが、頼んでいた料理と酒が届くと態度が一変。目を輝かせて焼き鳥片手に酒をあおった。

「ふぅ、やはりわしの街の酒は美味いのぉ。未だにその名を使おておるのか? 神がおらんでも信仰するとは……律儀じゃの」

 その言葉に少しムッとしたが、まあ神様から見たら自分のいない土地で信仰を続けるのも可笑しな話なのは分かる。だから今はそれで納得しておこう。うん。

「どした? 気難しい顔せんと。ほれ、おぬしの分じゃぞ」

 女神は注文していたもう一つのジョッキと焼き鳥を僕に渡して、ジョッキを高く上げるとまた酒をあおった。

 少し戸惑ったが、まあ別に嫌いなものではない。ありがたく頂いた。

「それで女神が監修したというこの童話本――」

「ああ、面白いじゃろ? ちなみに嘘偽りは無いぞ」

 木箱から取り出した買いたての童話本に女神はすぐさま反応した。

「子供の読み聞かせに最適。しかも単純な構成で要点は押さえとる。後世に語り継ぐ一品じゃ!」

「はあ………」

 売れてないんで半値で買ったんですけどね。とはさすがに言えない。

「では、この本に書かれている事はほぼ間違いないと?」

「何度も言わせるな」

 串から鶏肉を口で外す姿はなんとも呑気で、嘘もへったくれもないと言っているようだった。

「ですが、これほどの人種が交わる街です。それなりの争いはあったのでは?」

 その話題に女神の目が変わった。

「おぬし、わしが神であること、忘れた訳ではあるまい」

 正直、忘れていました。鋭い眼光にたじろぐも咳払い一つしてこう切り替えした。

「例え、神であろうと僕の好奇心は何人も邪魔だてすることは出来ません」

 その返しに女神はニヤリと口元を緩めた。

「傲慢じゃの。じゃがその考え、わしの子らと確信した! よいじゃろう。このリポーブの街、いやわしの神話を聞かせてやろう」

 これは予想外だ! 良くてリポーブの生い立ちまでと思ってたが、思わぬ収穫だ。

「では――」

 しかし女神は僕の言葉を遮った。

「じゃが、わしがただ黙々と話すのもつまらん。おぬし、旅をしながら方方の珍品を収集する癖(へき)があるじゃろ? その旅、わしも連れてけ」

 これも予想外だ……いや、でも相手は腐っても神。ともすれば旅の強い味方になり得る。あ、でも神だから僕自信を保障してくれるとも限らない。うーん………

「ふふっ、決まりじゃ! 決まり! わしはわしの神話を話す。おぬしはそれを旅しながらとくと聞け」

 ダメだ。断る前に決められた。女神は僕の手首を掴むと強引に握手した。

「お! なんだぁ。女神さんヒキニート卒業かぁ?」

 隣の席から聞こえたよく分からない用語に女神はムスッとした顔になるとガハハと笑うその男を見やった。

「黙れ。小僧」

 その言葉から発せられた冷徹に今まで笑っていた酔っぱらいの男が一瞬で黙った。いや、口が勝手に閉じたようだった。

「むん! んんっ、んー! んー!」

「ばっか! 神様怒らせてどうすんだよ! すいません! どうかお慈悲をっ!」

 同席だったもう一人の男は慌てふためき、女神に土下座をして許しを乞うた。

「それはこの男が決めることじゃ。猛省せい」

 そういって立ち上がった女神はスタスタと玄関の方へ歩き出した。口をまさしく縫い合わされた男もその場に正座し、口を震わせていた。

「おぬし、今日は宿に泊まるのじゃろ。翌朝、街を出る頃にまた会おう。おっと、それと酒代じゃが、そうじゃな……この街の問題を一つ解決でどうじゃ?」

 それにギルドの女店主はパイプをくゆらしながらゆっくりと頷いた。

 僕はと言えば女神が立ち去った酒場であたふたと動揺するも、他の客は何食わぬ顔。口が開かない男も同席の男に慰められるだけで神の怒りに触れたという認識とは大違い。まるで喧嘩に負けただけの出来事という認識だ。

 とりあえず、ここに居てもそわそわするだけ。ウェイトレスに金を渡して宿に向かおうと思うも、ウェイトレスからは「女神持ちなのでいいです」と言われ、またも動揺。

 「ありがとうございました」との言葉を後に澄んだ空気を吸い込み、ギルド前を後にした。

 まだ色々と整理が付かない中、とにかく宿で休もうとだけを考えた。

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