第24話
律子の考えは筋が通っていました。矛盾はまったくなさそうでしたし、彼女が嘘をついていたようにも見えません。しかし、彼女の推理だけでは、説明できていないことが一つあります。それは、ずばり幸の動機です。
人はどんなに頭が悪かろうと、何かをする時にはそれに理由をつけるものです。矛盾した理由、個人的な理由、狂気じみた理由、薄っぺらい理由。その理由とやらには大きかれ小さかれいろいろなものがありますが、それを一切持たずに行動することはありえません。理由を持たずに行動できるのはロボットだけです。「特に理由はない、暇だったからやった」という頻繁に使われる供述ですら、「暇だからやった」という明確な理由を告げているではないですか。
だから、わたしはこれまで起きた一連の事件に、大きなひっかかりを感じています。人を殺すことによって何らかの益を得られる人。そのような人間がこの場にいるとは思えないのです。 彼女たちの間にはいじめなどの痕跡はまったくなく、 多少のいざこざはあれど、殺意や敵意はまるで感じられませんでした。
殺人が起きたのは事実。しかし殺人を引き起こすような要因は一切ない。完全に矛盾しています。わたしが何か重要なことを見落としているとしか思えません。
「入りますよ」
トントンとノックしてから、扉を押し開きます。半分ほど開いた扉から顔を覗かせると、布団の中に丸まっている幸の姿が見えました。どうやら二度寝したみたいです。
起こしてしまうのもかわいそうですし、少し待つとしましょう。わたしは息を殺して、こそこそと音を立てないように部屋の隅に置かれた荷物まで向かいました。もしかしたら、島の外へ逃げ出すことになるかもしれませんし、念のためにもっと外出に向いた服装に着替えておきましょう。
リュックサックに残っている未使用のシャツは二着。 なるべく荷物を軽くするために、必要最低限のものしか持ってきていないんですよね。片方は意味がわからない英単語が胸元に刻まれている黒いシャツ。もう片方は白い柄に青い水玉が点々とついている淡白なシャツ。正直どちらでもいいような気もしますが、優柔不断だと適当に決めることって以外と難しいんですよね。
――ん?
隣に置いてある幸のバッグの中に、くしゃくしゃに握りつぶされた紙切れが入っています。他人の私物を躊躇なく漁るなんて、普段のわたしにはとてもできそうにないことですが、今回だけは魔がさしてしまったのか、気がついた頃には紙切れはわたしの手のひらの中で開かれていました。
見覚えがある紙の色と筆跡。佐川さんの日記の続きです。
『三月X日
古いタオルがまだキッチンに置いてあったので、もしやと思って裏庭のゴミ袋を見にいったら、栞の水筒が見つかった。あたしがあんな曖昧な言い回しをしたせいだ』
……思い出しました。
別荘に来た最初の日、わたしは佐川さんに頼まれて、他のゴミと一緒に薄汚い水筒を捨てたのでした。律子が言っていたように、あの水筒は新宮さんにとってなくてはならないものだったはず。なぜ佐川さんは、わたしにそんな大事なものを捨てるように支持したのでしょうか?
ごくりと唾を飲み込み、震える手で日記のページを持ったまま、わたしはそこから先の文章におそるおそる目を合わせます。
『捨てたのはあたしじゃないから、あたしのせいじゃないって何度も思ったけど、無意識にあたしが栞の死を望んでいたかもしれないと思うと本当に怖い。だって栞が薬を取りに行ってからなかなか戻ってこなかったのに、あたしは何もしなかったし、あの時、美羽のいとこに曖昧なことを言ったのもわざとかもしれない。いろいろとやばかったし、けっこう混乱してたけど、今朝、聖堂に八つ当たりしたのもマジでありえない。もう誰かがあたしを殺してよ。どうすればいいかわからないよ。助けてよ』
「なるほど……ふ……ふふっ」
滑稽な真実を前にどう反応すればいいのかわからず、 思わず乾いた笑いが込み上げてきます。どうりで最初の事件の犯人がまるで見つからなかったわけです。
犯人はわたしだったのですね。
そして、わたしが犯人であるということは、わたしが水筒を捨てに行った姿を見ていた幸も気づいていたはずです。しかし、幸はこれまでわたしが犯人であるということを、なぜか律子とわたし自身から伏せていた。わざわざ佐川さんの日記の一ページを隠したのも、その一環でしょう。わたしの犯行をなかったことにして幸に生じるメリットはわかりませんが、少なくとも彼女が事実を隠蔽しようとしていたことは確実です。
……そういえばもう一人、わたしが犯人だということに気づいていたはずの人物がいました。あの日、リビングにて作業を手伝ってくれていた美々さんです。新宮さんが亡くなってから、最初に殺されたのも美々さんでした。
最後のピースが埋まり、色々な事情が繋がり始めた気がします。
幸はわたしが犯人であることを隠そうとしていた。そして、 美々さんはわたしが犯人であると気づいていた。これは殺人の動機になります。この日記を書いた佐川さんも真実に気づいていたはずです。何らかのきっかけを得てこれを読んだ幸は、彼女を始末することにしたと考えれば筋が通ります。
ですが、残りの二人のうち、瀬高さんの死は律子が言っていたように事故だったとしても、聖堂さんの毒殺はまだ説明がつきません。聖堂さんは事件の真相にたどりついていそうな雰囲気はありませんでしたし、幸との接点も少なかった気がしますが……、一つだけ切っ掛けになり得ることに思い当たりがありました。
わたしはが幸に「聖堂さんは犯人ではないと思う」と伝えた時です。
あの時点では聖堂さんがもっとも怪しかった。しかし、わたしが聖堂さんは犯人ではないと確信してしまうと、わたしたちの犯人探しは先へ続いてしまい、いずれこの事件の真実にたどり着いてしまうかもしれない。なので、そうなる前に聖堂さんを仕留めて、事件を闇に葬ろうとしたのかもしれません。
この考えはこじつけかもしれませんが、あの朝の出来事に何らか切っ掛けが有ったのは確かです。
でも……やはり解せません。いったい何が彼女を人殺しに至るまで駆り立てたのでしょうか。他の部員たちに恨みや妬みを持っていたわけではなく、そこまでしてわたしを真実から庇っても彼女に対した益はないはずです。どうして幸はわたしなんかのために――
「んんっ……氷花先輩?」
幸が目を覚ましてしまいました。わたしはとっさに紙切れを幸のカバンに戻し、幸に背を向けたまま、
「お、おはようございます、幸さん」
と噛み気味に挨拶を口にしました。怪しまれてしまうかもしれないので、振り向いて作り笑顔を見せるべきなのかもしれませんが、金縛りにあっているようで首を思うように動かせません。
「律子先輩とはどうだったの?」
いったいどう答えれば……。とりあえずここはごまかしておいたほうが、安全かもしれません。
「探しに行ったんですけど、見つけられませんでした。多分、森の奥でまだ奈々さんのことを探しているんじゃないですか?」
「そう」
「……」
沈黙。何について話せばいいのか皆目見当がつかず、声帯がロープに縛られているかのような錯覚を感じます。
「ねえ、氷花先輩」
「は、はい」
「気分が悪そうだよ?」
裏がないことが鮮明に伝わってくるピュアな声。どうしてこんなに優しい子が何人もの命を……。
「あなたはどうしてわたしに優しく接してくれるんですか?」
そんな素朴な疑問が思わずわたしの口から放たれました。
「そ、それは……」
もごもごと口ごもる幸。何を言っているのかに対する好奇心のおかげか、わたしの上半身はようやく振り向こうとしてくれたのですが、それはわたしのお腹を突然に襲った握力に阻害されてしまいました。
弱々しくて柔らかな腕、首に当たる暖かい吐息、ドキドキと鼓動を奏で合う二つの心臓。
幸がわたしに抱きついたのです。
「幸さん……」
そう。幸の動機なんて、最初からわかりきっていたはずです。
ですが、わたしは気づくことができなかった。こんなにも明白な真相にこれまで気づけなかった自分が愚かしい。自分にはない……いや、かつての自分には確かにあったが、あの事件以来失われてしまった感情。
幸は自分のことよりもみんなが大切。だから、わたしに優しく接する。そんなことを思って、わたしは勝手に彼女を聖人として祭り上げていました。今思えば幸はただ単に自分自身よりも、わたしのことの方が尊かっただけなのです。
「あのね」
「は、はい……」
幸が発する小声が耳たぶをくすぐります。
「うち、氷花先輩に謝らないといけないことがあるんだ」
「謝らないといけないこと?」
「うん。実はね、 律子先輩にお願いして氷花先輩を誘ったのはうちだったんだ。うちね、氷花先輩が振られたの見ちゃって、あれ以来、氷花先輩ずっと休んでて、心配だったから、元気にしてあげたくて誘ったのに、こんなことに巻き込んじゃって……」
不登校になっていたわたしを救おうと、幸は手を差し伸べてくれた。あの頃のわたしは彼女の名前すらろくに覚えていなかったのに。
「……幸さんの責任ではありませんよ」
そう言いながら、わたしは幸の腕の上に右手を優しく被せました。
「新宮先輩も氷花先輩の責任じゃないよ」
――ドクン。
心臓が一度だけ大きく脈打ち、辺りは時間が停止してしまったかのように静かになりました。
幸はわたしが
「氷花先輩が律子先輩と一緒に地下倉庫へ行くのを窓から見たんだ。律子先輩のことだし、もう氷花先輩に全部バラしちゃったんだよね。じゃないと、さっき嘘つく理由もないし」
事件の顛末を隠すことにもう意味はないと判断しているみたいでした。
「氷花先輩はこれから律子と島を出るんだよね。うちを置いて」
「幸さんも一緒に――」
叶わないことだとはわかっています。ですが、言わずにはいられませんでした。
「ダメだよ。うちはここに残る。責任を取らないといけないからね」
「でも、もとはと言えばわたしが――っんん!」
幸の腕の力が増し、わたしはよりきつく抱きしめられました。
「あれは不幸が重なっただけだよ! 本当に不公平な不幸の重なりだよ。氷花先輩ばかりあんな目に会うのはおかしいよ。氷花先輩みたいな人は、もっと幸せになるべきなのに……」
無意識に殺人を犯してしまったわたしを罰と罪悪感から守るために、幸はこれまでずっと隠蔽工作を続けていました。ただわたしを幸せにしたかったということだけのために。
わたしが探していた犯行の動機は見つかりました。
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