第22話

 さてと、まずは律子を探さなくてはいけません。

 幸の話によると、彼女は消息を絶った奈々さんを探すために森の中へ向かったはずです。なので、わたしもそちらへ行くべきなのかもしれませんが、森の中は広いし視界が悪いので、やみくもに探していたらすれ違ってしまうおそれがあります。それを避けるべく、わたしはまず別荘の近くを探すことにしました。


 別荘を視界の隅から外さないように気をつけながら、木々の枝をかき分けてぬかるんだ地面の上を進み、律子の名前を叫びます。叫ぶたびに何度かガサッと近くの茂みが揺れましたが、どれもうさぎやネズミなどの小動物。律子にはなかなか遭遇しません。


「おい、氷花!」


 背後から飛んでくる聞き慣れた声。せっかく頑張って探していたのに、最後はあっさりと律子に見つけられてしまいました。


「具合は大丈夫か?」

「あ、はい」


 何について尋ねればいいのでしょうか。ダイレクトに犯人なんですかと聞くのは愚策ですし、こちらの意図を読みづらくするために回りくどい質問をしても、律子ならわたしの本意をすぐに見通してしまいそうですし……。はて、困ったものです。


「どうかしたのか? 困った顔をしているぞ」


 ほら、もうバレてしまいました。


「え、あっ、いえ。どうもしませんよ」

「間違いなくどうかしているな。断言できる」


 渾身の演技でごまかそうとしても、あっという間にこのザマです。律子に隠し事は通用しません。


「まあいい。言いたくないのなら、別に詮索はしない。それより、私についてきてくれないか? 見せたいものがある」

「え……まあ、いいですけど」


 しまった! うっかりオッケーしてしまいましたが、律子が犯人かもしれないという疑惑がある以上、二人きりの状態で律子に行動の主導権を握られてしまうのは危険です。

 けれど、ここで不自然に断ったらこちらの思惑を勘ぐられるかもしれませんし……やっぱりついていくことにしましょう。なるべくいつも通りに振舞っていれば、怪しまれたりはしないはずです。

 いつも通りに、いつも通りに、いつも通りに――


「何をそんなに緊張しているんだ?」


 ううっ……。いつも通りにしていたつもりだったのですが、やはり筒抜けでしたか。こうなったら無心を貫きます。それしかありません。何も言わずに、何も考えずに律子のあとを追いましょう。

  律子は無言のままたたずんでいるわたしを興味深そうに眺め、ふむと何かに納得したかのように頷くと、背中をわたしに向けて目的地の方へ歩き始めました。


 歩いている方角から察するにその目的地とやらは、おそらく別荘の裏庭です。そこからなら叫べば二階の部屋まで声が届くので、万が一律子に襲われたとしても、幸にその危険をすぐさま知らせることができます。

 わたしは大きく息を吸い、 拳をぎゅっと握りしめ、決心を固め終えてから律子のあとに続きました。


 裏庭にたどりつくと、わたしたちはゴミ袋がまとめて置かれている別荘の勝手口付近へ向かい、そこの地面に配置されている四角いスライドドアの手前で止まりました。確かここは地下倉庫だったはずです。


「この下だ」


 上にちょっとした水溜りができている鉄製の扉を、律子が横に引っ張って開くと、下へ向かう階段とその先に広がるまっくらな闇が現れました。一番下につくまで何段降りる必要があるのでしょうか。暗すぎて見当もつきません。


「気をつけて降りてくれ」


 先に颯爽と降りていった律子が闇の中に消え、わたしは固唾をごくりと飲み込みました。怖いのでわたしはしっかりと手すりに掴まってから、ゆっくりと階段を降っていきます。


 一、二、三、四、五……。


 長い間締め切られた部屋のような酸っぱくて生暖かい匂い。

 吸うことをためらってしまう重たい空気。

 内部の換気具合はあまりよろしくないみたいです。


 ……六、七、八、九、十。


 念には念を入れて、慎重に足を前へ踏み出してみるとそこは同じ高度の床。どうやら階段はここまでのようです。


「ちょっと待っていてくれ。すぐにランプの電源を入れてくる。……ふむ、おかしいな。この前置いた場所にないぞ」


 バタバタと歩き回りながら様々な場所を漁っている物音が、部屋の奥から聞こえてきます。


「律子、わたしも手伝いましょうか?」


 一歩一歩、律子の足跡が聞こえてくる方へと歩み寄ります。


「いや、そこで待っていたほうがいい。床がいろいろと散らかっているからな」


 手遅れです。足が硬いものに引っかかってしまい、わたしの体はすでに中を舞って――


 ――バタン!


 いたたっ……、転んでしまいました。


「大丈夫か?」


 ――かちっ。


 ランプの光が部屋を照らし、部屋全体と律子の姿が浮かび上がります。


「はい、大丈夫ですよ」


 右腕が着地のショックをもろに被ったのでそこが少し痛みますが、どうってことはありません。わたしは律子が差し出した手に引っ張られて立ち上がりました。

 薄暗い光に包まれた倉庫の中は全体的に殺風景。部屋の奥に数十本の天然水が保管されているだけです。そういえば、わたしがつまずいたものもペットボトルだったのでしょうか。

 首を回して背後を確認してみるとそこには、


「ひっ!」


 ひ、人の足が……床に敷かれた毛布からはみ出て……。悲鳴をあげるために口を大きく開きましたが、体が完全に怖じ気づいていて絞り出たのは掠れた空気だけでした。


「氷花、落ちつけ。あれは新宮の遺体だ」


 律子はわたしを落ち着かせようと、右手をわたしの肩に乗せます。


「い、遺体?」

「ああ。ご家族が欲しがるかもしれないから埋めるわけにはいかなかったし、人目につかない上に外ではない場所といえば、ここぐらいしかないからな」


 そういえば最初の夜、律子は遺体の処置をしておくと言っていたはずです。ここに保管していたんですね。


「では、その隣にいるのは――」

「聖堂だ。そして、その隣は佐川」

「このことを知っているのは律子だけなんですか?」

「そのはずだったのだが、どうやら佐川も知っていたみたいだ。この前、彼女が出入りしていた痕跡を見つけたからな」


 佐川さんが出入りしていた? いったい何のために……と、考えたところで答えはおのずと浮かび上がりました。


「新宮さんに会いに来ていたんですね」

「ああ。彼女の部屋の窓からはこの地下室へ入る扉が見える。きっと彼女は私が新宮を運び込んだのを目撃していたのだろう」


 わたしが留守番をしていた時、佐川さんはおそらくここへ来ていたのでしょう。となると窓から出入りしていたのは自分の行動を後ろめたく思っていたから、という推測もあながち間違っていなかったみたいです。友人の死体を何度も見に行っていることを、他のみんなに知られたくなかったのでしょう。


「律子は佐川さんが自殺した理由に思い当たることはありますか?」

「知っていたのか?」


 驚いた顔をする律子。


「幸さんから聞きました。新宮さんのレインコートを使って首を吊ったんですよね」


 わたしがそういうと、律子は何か引っかかる点でもあったかのように眉をひそめました。


「……レインコートのことも知っているのか?」

「昨日、律子が瀬高さんを探しに行った時、わたしは佐川さんに会ったんです。その時にレインコートが新宮さんのものだったと知りました」

「いや、そういうことではなく……まあいい。先にこれを見てくれ」


 律子が覚悟はできたかと聞き、わたしが頷くのを待ってから 毛布をめくると、現れたのは灰色に霞んだ瞳を大きく見開いた佐川さんの顔でした。


「うぷっ」


 それを見ただけで急に胃の調子が悪化し、今にも嘔吐しそうになりましたがなんとか堪え切りました。


「彼女には首を絞められた跡がある。見えるか?」


 律子が指差した佐川さんの首元は長いシワができていました。


「首を吊って死んだからですよね?」

「ああ、そうだ。だが、もしそれが死因なのであれば一つ不可解な点がある」


 そう言うと、律子は佐川さんの茶色く染められた髪の毛を捲り上げ、頭蓋を少し持ち上げました。


「後頭部を見てくれ。強くぶつけた跡がある」


 丸くて黒い模様。これは何らかの衝撃によってできたあざです。


「私はこちらが本当の死因だと思っている」

「どういうことですか?」

「誰かが何か硬いもので彼女の後頭部を殴ったんだ」


 もしそれが事実なのであれば、佐川さんの自殺動機が定かではないという問題は解決します。ですが――


「そんな事ができる人はもうどこにもいませんよ」


 現状、生き残っているのはわたしと律子と幸。生死不明なのは奈々さんと美々さんのみ。その中に疑いの余地があるのは律子だけ。律子はもしや、自分が犯人である事をカミングアウトするために、わたしをここへ呼んだのでしょうか?


「いや、私たちは重要なことを見落としていたんだ」


 律子はショートパンツのポケットに手を入れ、赤い錆びがこびりついている道具を取り出しました。


「ポケットナイフ?」

「ああ。私が幸に貸したものだ。奈々を探している最中に森の中で見つけた」


 カチッと音が鳴り、赤黒い錆びを帯びた刃が姿を現しました。ケースがまとっている錆びとは少し色の濃さが違います。


「それが幸のものだという確証はあるんですか?」 

「私のは左ポケットに入っている」


 律子は左手をポケットに入れ、もう一つのポケットナイフを取り出しました。


「氷花は?」

「わたしのは……」


 セーターの胸ポケットからポケットナイフを出して律子に見せます。


「これでわかっただろう?」

「ですが、他の誰かが落としたものかもしれませんよ? そう珍しいブランドでもありませんし」

「幸のはバネが緩んでいたのを覚えているか?」


 律子がポケットナイフを上下に軽く揺らすと、パカンと間抜けな音とともに刃が飛び出ました。


「これも同じように緩んでいる」

「……わかりました。それは幸さんのポケットナイフだということにしましょう。ですが、それは彼女がそれを森の中で失くしたということしか、証明していませんよね?」


 律子はわたしの問いに答えず、二つのポケットナイフの刃を閉じてから、わたしの瞳をしっかりと見つめ、ゆっくりと口を開きました。


「私たちは前提を間違っていたんだ」

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