第9話

 太陽が沈み、外の世界が真っ暗に染まると、スズムシの集団が甲高い音色のオーケストラを奏で始めました。普段だったら耳障りだと思っていたかもしれませんが、こうも長い間一人でお留守番をしていると、虫のさざめきですら心に安らぎをもたらしてくれます。暗いし怖いし、わたし心細い。

 幸いなことに、律子たちが捜索から戻ってきたのもちょうどその頃でした。

 戻ってきた子たちの陰鬱な表情から、結果は大体察することができました。おそらく、美々さんを見つけることはできなかったのでしょう。責任を感じているのか、律子は特に深刻な顔をしていました。


 ……あら?


 そういえば、彼女たちの中に奈々さんの姿は見当たりません。


「律子、奈々さんは?」

「まだ帰っていないのか? なら彼女は多分、まだ森の中で美々を探している のだろうな」


 新宮さんの死について、何かを知っていたかのように振る舞っていた美々さん。彼女が行方不明になると同時に、突然に姿を消す佐川さん。

 なんだか嫌な予感がします。


「奈々さんを探しに行った方がいいかもしれません」

「何かあったのか?」

「実は……」


 わたしは佐川さんが失踪していることを律子に伝えました。すると、彼女はわたしと同じ結論にすぐに至ったのか、顔を一気に青ざめさせました。


「それは本当なのか?」


 周りの不安を掻き立ててしまわないように配慮しているのか、律子はひそひそ声でわたしにそう聞きます。


「こんな非常事態の真っ只中で、混乱を招くような嘘はつきませんよ」


 まだ疑わしいだけなので、確定的な証拠があるわけではありません。ですが、佐川さんはアリバイがない容疑者の一人です。もし佐川さんが犯人であり、もし彼女が現在森の中にいて、もし奈々さんが彼女と出会ってしまった場合、奈々さんはとても危険な状況に陥っている可能性があります。


「一応、確認しておくぞ」


 律子は急いで階段を駆け上り、奥の部屋へ向かいます。わたしが彼女の後を追いかけ出すと、事情がよくわかっていない他の女子たちも野次馬精神に乗っ取られ、「何々?」とお互いに呟き合いながらぞろぞろとついてきます。


「佐川!」


 ノックもせずにドアを蹴り開ける律子。


「……何か用?」


 物が散乱した部屋の真ん中に女の子が一人、ぽつんと座っていました。


「……き、気分はどうだ」


 佐川さんが……部屋にいる?


「ほっといてくれる? どうせあんたの自己満足のために、私を慰めてるんでしょ」

「わ、悪い。そんなつもりじゃなかったんだ。これから晩御飯を作るから腹が減ったら降りてきてくれ、と伝えにきただけだ」

「出て行って」


 律子はそっと扉を閉じ、愛想笑いをかき消すと――


「えっと、その……だ、だってあの時は確かに……」


 ――言葉に詰まってあわあわと口を動かしているわたしの横を素通りし、野次馬たちを連れて下の階へと戻っていきました。


 佐川さんはいったいどうやって部屋の中に戻ったのでしょうか? 

 数時間前に、わたしは彼女が部屋にいないことを、押入れの中を含めて念入りに確認しました。外からこの部屋へ戻るには、別荘の中に一つしかない階段を登る必要があり、その階段はリビングの手前にあります。わたしはずっとリビングにいたので、もし彼女が戻ってきていたのであれば、階段を登っていく姿を見かけていたはずです。


***


 その晩、お風呂に入り終えて部屋に戻ったわたしたち三人は、その日の出来事について話し合いました。


「氷花、確認しておきたいことがある。佐川は部屋にいなかったという発言は確定的なのか?」

「はい。隅々まで確認しました」


「え? 何かあったの?」

と横から口を挟む幸さん。


「どうやら、私たちが留守だった間に佐川が別荘から出たらしいんだ。もしそれが事実なのであれば、彼女も容疑者に含まれることになる」

「容疑者? 美々さんが行方不明になった件のことですか?」

「そうだ。私はこの事件と新宮の殺害事件は、同一の犯人によって行われたものだと推定している」

「犯人って……。蜂に襲われて、逃げる際にはぐれてしまっただけではなかったのですか? 少し早計な考えをしているのではないでしょうか」


 わたしが反論すると、律子はもっともだと言わんばかりにうんうんと頷きました。


「それは私も考慮した。だが、今回の事件はあまりにも不自然だ」

「どういうところがですか?」

「私たちは美々が蜂に襲われた現場をくまなく探した。だが、何も見つからなかった。もし美々が蜂にやられていたのであれば、彼女の遺体がその周辺に残っていたはずだ。そして、もう一つの彼女が迷子になっている可能性。こちらもかなり低い。この島は小さいからな、大声を出せば島の上の大半の場所へ届くはずだ。なのに、美々は助けを呼ぶ声を上げていないし、私たちが上げた声にも反応していない」

「つまり消去法により、誰かに殺害されて残った体を隠された可能性がもっとも高いと考えているんですね」

「その通りだ」

「……美々ちゃんも死んじゃったの?」


 布団を抱き寄せ、頭を俯けながら幸が言いました。


「まだそうと決まったわけではない。どこかで監禁されている可能性もあるからな。それより要点に入るぞ、氷花、幸。今日の出来事を思い出せる限り、私に話してくれ」


 そういえば、今日のわたしたちは別々のグループで行動していました。各自の視点だけではうまくつかめない事件の全貌を、全ての目撃証拠を合わせることによって明確にできるかもしれません。


「では、わたしから話しますね。わたしは奈々さんと魚釣りをしに海へ行き、帰ってきてから美々が行方不明になっていたことを知りました。その後、別荘で留守番をしている最中にオムレツを持って佐川さんの部屋へ行き、彼女がいないことを確認しました。そこから先は、みなさんも知っているはずです」

「釣りをしていた時に何か特筆すべきようなことはあったか?」

「いいえ、何もなかったですよ」

「つまり、奈々は白みたいだな」


 わたしは頷いて同意を示しました。一日中わたしのそばにいたのですから、彼女は疑いようがありません。


「それに、あんなに妹想いな人が、そんな酷いことをするはずがありませんよ」


 わたしがそう付け足すと、律子は苦い表情を浮かべます。


「そういう主観は慎んでくれ。推理に偏見を生み出してしまう」


 主観……ですか。奈々さんが凄まじく卓越した役者でもない限り、客観的な事実だと思いますけどね。ですが頑固な律子に、推理の方向性を変えるよう仕向けるのは無理そうなので、そのことは口にしませんでした。


「幸、そっちはどうだった?」

「……森から戻ってきたときに律子先輩に言ったことで全部だよ」

「氷花のためにもう一度話してくれ」


 幸は、どんよりとした表情を浮かべています。彼女は律子のように強靭なメンタルを持っておらず、わたしのように壊れていない、ナイーブでおとなしい普通の女子なのに、感情を殺して真相を探り出そうとしているわたしたちに協力を求められています。優しい彼女はそれに応えようと頑張っているのでしょうが、きっと彼女にとって、それは精神的につらいところがあるのでしょう。


「うん」


 ゆっくりと、幸は森の中で起こったことの顛末を語り始めました。

 彼女はわたしと律子と別れた後、聖堂さんと美々さんを連れて、野草を探すために森の中へと潜っていきました。野草の知識を持っているのは幸だけなので、三人は常に共に行動し、数時間後、彼女たちはようやく食べられる野草を見つけました。

 周辺には同じ種類のものが多数生えていると気づいた彼女たちは、効率を上げるため、分担して同種の野草を探すことにしました。

 その時でした、蜂の群れが突然に襲いかかってきたのは。幸は悲鳴を上げながら、全力疾走でその場から逃げ出しました。


「そして、私と瀬高がいた別荘の近くまで戻ってきた。私の記憶が正しければ、聖堂も幸に続いて数分後に戻ってきたはずだ。幸、別行動していた間は聖堂と美々のことは見ていないんだよな?」


 幸はこくりと頷きます。


「ということは、聖堂さんにはアリバイがないんですね」

「ああ。ちなみに、瀬高はずっと私と一緒にいた。彼女も白だ」

「つまり、残るのは……」

「佐川、もしくは聖堂だ。まだ彼女たちのどちらかだと確定したわけではないが、これまでの証拠はそういった結論を仄めかしている。無実がはっきりするまでは、彼女たちと二人きりになるのは極力避けてくれ。保身のためだ」


 わたしたちにそう告げると、律子はカチッと電灯の紐を引っぱって明かりを消しました。

 布団の中に潜り込んだわたしは、仰向けに寝転がって天井を睨みつけます。何か考え事がある時には、決まってこの体勢をとるのです。


 現在、もっとも怪しい人物は佐川さんと聖堂さん。理由は至ってシンプル。美々さんが行方不明になった時に、わたしたち三人の目が届かない場所にいたからです。律子が行っている動機を排除した推理ではそこまでしか解明できませんが、わたしはもう一歩先へ進んでみようかと思います。

 律子は主観だと言って無視するでしょうが、個人的には動機を考察する必要性はあると思っています。確かに律子の言っていたとおり、他人の本心なんてものは知りようがありません。なので、推測した動機は決定的な証拠として使えないのかもしれません。ですが、推理を真相へと導く材料として使っても問題ないはず。数学の問題の答えを見てヒントを得てから、解き方を考えるようなものです。


 まずは美々さんについて考えてみましょう。

 彼女を殺害(まだ決まったわけではありませんが)した犯人は何らかの怨念を抱いていた可能性があります。佐川さんと聖堂さんの美々さんとの関係は――、正直言ってよくわかりません。人間関係に疎いぼっち女子ですみませんでした……。


 わたしは佐川さんと聖堂さんのいさかいを思い返します。あの時、美々さんは何かを言いたげにしていました。彼女は新宮さんの殺害事件についての情報を持っていたはずです。それに気づいた犯人が口止めをするために、美々さんを襲った可能性は十分にあります。

 ですが、それだけでは犯人が佐川さんなのか聖堂さんなのか絞り込めません。まずは最初の事件について考えた方が賢明かもしれませんね。


 聖堂さんは新宮さんに幼馴染を取られた。佐川さんは新宮さんの親友。これらの情報だけを見れば、どちらが犯人かは一目瞭然……のはずですが、律子が言っていたことにも一理あります。佐川さんと新宮さんが仲良しだという設定は周りが勝手に抱いている思想であって、実は険悪な関係である可能性もあります。仲が良さそうな女子たちが裏でお互いを呪い合っている、という設定は本や漫画で何度も繰り返されてきた定番のシチュエーションです。

 そう考えると佐川さんが潔白だとは言い切れないのですが、それは疑い深いわたしが無駄に裏をかいているだけで、実は単純に聖堂さんが犯人なのかもしれませんし……。

 う〜ん、結局わたしもどちらが犯人なのかはわからずじまいです。

 動機を交えた推理をするには、彼女たちのことをもっと知り、彼女たちにもっと踏み込む必要がありそうですね。


 だんだんと眠くなってきたわたしは、ふぁーっとあくびを漏らし、寝返りを打って横になりました。

 そういえば、もう一つ気になっていた点がありました。佐川さんはどうやってわたしに気づかれずに部屋に戻ったのでしょうか? 単純に考えれば窓から入ったとかですよね。もしそうなのであれば、自分が後ろめたいことをしていたと声高らかに宣言しているようなものです。

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