第8話

 空を血まみれに染める夕日を背に、わたしと奈々さんはとぼとぼと消沈気味に帰り道を歩いていきます。缶詰を捕獲した後も数時間ほど釣りを続けましたが、残念ながら生きている魚が食いつくことはありませんでした。つまり収穫はほぼゼロ。他のみんなが晩飯を見つけられたことを祈るしかありません。

 別荘へつくと、みんなは玄関の周りに集まっていました。しかし彼女たちは特に話し合っているような様子はなく、何かをして遊んでいるようにも見えません。全員がただ複雑な表情を浮かべて、静かに棒立ちしているだけでした。どうも嫌な予感がします。


「どうかしたのか?」


 奈々さんはみんなにそう尋ねましたが、誰も声を上げません。ただ同情を寄せるような視線を奈々さんの瞳に返すだけです。


「……美々がいないな。トイレにでも行ってるのか?」

「奈々、落ちついて聞いてくれ」


 律子が口を開きました。しかし、あの話の切り出し方。間違いなく、落ちついて聞いていられないような内容を含んでいるフラグです。


「美々が行方不明になったかもしれない」

「は?」

「山菜を集めている最中に蜂に襲われて、逃げている時に森の中ではぐれてしまったらしい。幸と聖堂は無事に戻ってきたのだが、まだ美々だけは帰っていない」

「じゃあ、お前らは何してんだよ! とっとと探しに行けよ!」

「もちろん、そうするつもりだ。だがその前に、幸の話を詳しく聞いて情報を――」


 奈々さんはちっと舌打ちをすると、「邪魔だ!」と吐き捨てるように叫びながら律子をタックルで突き飛ばし、森の中へと駆けていきました。彼女の小さな後ろ姿はあっという間に木々の隙間に紛れこみ、ここからはもう見えなくなってしまいました。


「いててっ……」


 痛そうにお尻をさすりながら、律子は立ち上がります。佐川さんの時もこのようなことがあったので、今朝から彼女はやつあたりを食らってばかりです。この場の最高責任者であるがゆえに、この貧乏くじから逃れることができない律子に同情します。


「大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だよ。どこも痛くない」


 体の方は大丈夫なのかもしれませんが、今は律子の心の方が心配です。いくらメンタルが強くても、このような状況が今後も続くようであれば律子にもいつかは限界が訪れてしまうかもしれません。


「……ねえ、あたしたちも探しに行こうよ」


 息がつまるような重い空気の中、暗く染まりきった雰囲気に光を戻そうと最初に動いたのは瀬高さんでした。奈々さんが飛び出していってしまったことにより、彼女の中にも何かをしなければならないという心情が芽生えたのかもしれません。


「そうだな。私も同感だ」


 リーダーである律子が同意を示したことにより、さっきまで死んでいたも同然だった子たちにも少しずつ活気が戻ってきました。あの人徳を持っている彼女だからこそ為せるわざです。


「だが、万が一すれ違ってしまう可能性も考えて、一人はここに残った方がいい」

「それなら、わたしに任せてください」


 わたしはすかさずピンと手を上げて名乗り出ました。蜂がまだいるかもしれない森の中を捜査するなんて、とんでもない。賢明なわたしは安全な室内で、みんなが無事に帰還しますようにと祈りながら待つことにします。


「悪い。頼んだぞ、氷花」

「はい。安心してわたしに任せてください」


 幸と聖堂さんに案内されながら律子たちは森の中へ入っていき、わたしはきしむ胃を両手で撫でながらみんなの後ろ姿を見送りました。


***


 ううっ、眩しい。沈みかけている太陽の苛烈な光が絶妙な角度を突いて、わたしの瞳に直撃。カーテンを閉じなければなりません。

 ソファの上にだらりと横たわる、ストレスによる疲れと延々と続く頭痛と胃痛のせいで錨のように重くなった体を無理やり起こし、わたしは床の上をナマケモノのように這いながら不快感の元凶を目指します。

 そして、どうにか窓の下までたどりつけたのですが、そこまでの旅路でさらに疲労してしまったわたしには、カーテンを閉じるために立ち上がる気力は残されていませんでした。

 幸いなことに、日光はここまで届かないのでこれでよしとしましょう。床の上はふかふかなソファと違って少し硬いですが、氷のようにひんやりとしていて、これはこれで気持ちが良いですしね。

 そして、そのまま十分ほどぐったりと床の上で寝そべっていると、


 ――ガタン!


 と突然に発生した大きな物音に鼓膜を引っ叩かれました。

 他のみんなは外出しているはずなんですが……も、もしかして、お、オバケ――あ、そういえば、二階には今朝から引きこもりっきりの佐川さんがいるはずです。きっと彼女が何かを床に落とした反動で音が鳴ったのでしょう。うん。きっとそうです。オバケのような非科学的なものを考慮する必要はありませ――


 ――ガタン!


「ひっ!」


 思わず悲鳴が口から飛び出してしまいました。様子を見に行くべきでしょうか。何か早まったことをしていたりしたら、大変ですし。

 ですが、様子を見に行ったら逆ギレされて、こっちが被害を受けるのはごめんです。とはいえ、何もせずに放置するのもやはり気が引けます。

 行くべきか、行かざるべきか。何ども自問を繰り返しますが、納得できる見解に全くたどりつけません。わたしの悪い癖です。このままタイムアップまで悩み続けて、ものすごく後悔するわたしの姿が目に浮かびます。それだけは絶対に回避しなければいけません。


 わたしが佐川さんの様子を見に行きたくない理由。それは怪我をするリスクを負いたくないから。つまり、自己防衛本能の働きです。わざわざ危ないことに首を突っ込むなよ、とわたしの理性が語りかけてくるのです。

 ということは、そのリスクさえ取り除けば、もしくは完全に取り除くまでとはいかなくても、リスクはほぼ皆無だと自身を説得できれば、このやっかいな躊躇を払拭できるはず。

 問題はどうやってリスクを削減するかですが……、お腹が空いたので少しつまみ食いをしてから考えることにしましょう。


 ……。


 こうやってすぐに別のことへ逃げようとする、またもやわたしの悪い癖が出てきてしまいました。でも、お腹が空いているのは事実なので仕方がありませんね。

 戸棚を開き、中からクッキーが詰まった箱を取り出します。クーラー内の食物がほとんどダメになってしまったので、このクッキーは割と貴重なんですが、少しぐらい食べても問題にはならないでしょう。多分。


 そういえば、佐川さんは朝から何も食べていないはずです。このクッキーを何枚か持って行ってあげるべきかもしれません。彼女の中にわずかでも良識というものがあれば、食べものを持ってきた人には襲いかからないでしょうし。いつのまにか、佐川さんが飢えた猛獣にでもなってしまったかのような扱いになっていますね……。

 クッキーだけだとちょっと物足りないので、軽い料理も付け加えておきましょうか。えーっと、確か卵がいくつか残っていたはずです。勝手に使ったら怒られそうですが、ここは佐川さんを優先しましょう。

 わたしは手っ取り早く調理できるオムレツを作ることにしました。中身は玉ねぎとトマト辺りが無難ですかね。トマトは結構好き嫌いが分かれる野菜なので避けたほうがいいのかもしれませんが、玉ねぎだけだとちょっと物足りないし、なにより他に良さそうな野菜が一つもありません。

 パカッと卵をお皿の上に二つ割り、透き通った白身が汚い黄色に染まり切るまでぐるぐるとかき混ぜます。そして、切り刻んだ野菜を炒めているフライパンの中にそれを投入。

 そして五分ほど待てば――完成です。ふんわりと美味しそうに焼きあがりました。あとはわたしの特製オムレツを二階まで運ぶだけ。喜んでもらえるといいですね。


 オムレツを乗せた皿の上に、プラスチック製のフォークとチョコクッキーを添え、用意した供物を正面に抱えながら階段を登っていきます。

 わたしの部屋を通り過ぎ、二つ目の部屋を通り過ぎ、佐川さんの部屋に到達。

 いきなり入るのは配慮が足りてない上に、正直言って怖いので、とりあえず扉を二、三回ノックします。


 ……。


 数分待ちましたが、返事はありません。


「えっと、佐川さん?」


 無音。

 頭皮がねっとりと汗ばみだしてきました。

 がくがくと震える手でドアノブをそっと掴むと、手から移ってきた戦慄が身体中を駆け巡ります。


「は、入りますよ?」


 恐怖が孕んだ心の焦りに背中を押され、わたしはえいとひと思いに扉を押し開きました。部屋の中にあったのは敷きっぱなしの乱れた布団。床中に散乱している洋服や化粧品。開け放された窓。だらしない系女子の典型的な私室です。


「さ、佐川さん?」


 部屋の中には誰もいませんでした。

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