第7話
食料確保の案は三つ出されました。一つ目は釣り。二つ目は野草探し。そして、三つ目はウサギ狩りです。
釣りは釣竿があるという単純な理由で選ばれ、野草は幸がそれに関する知識を持っているので選ばれ、最後のウサギ狩りは律子の提案でした。
ウサギの狩り方なんて知っているのですかと尋ねてみると、律子は堂々と胸を張り、子供の頃パパに罠の作り方を教えてもらったと自慢げに語りました。どうやら、罠を作るために必要なものは現在手元にある日用品だけでことたりるみたいです。なので、捕まえること自体には大きな問題は無さそうですが、いったい誰がウサギを捌くのでしょうか……。
幸と律子以外の子たちの役割は昨日と同様にくじで決められ、その結果わたしと奈々さんは釣り、幸と美々さんと聖堂さんは野草探し、そして律子と瀬高さんはウサギ狩りの罠作りをすることになりました。もっとも室内に閉じこもれる時間が長い罠作りをしたかったのですが、虫だらけの森の中での野草探しじゃなかったことにとりあえず感謝しましょう。
「幸、こっちにきてくれ。ついでに氷花も」
律子はわたしたち二人を部屋の隅へと呼び寄せます。何か他の子たちに聞かれてはまずい話でもするのでしょうか。ちなみに、わたしはどうしてついで扱いなんですかね。ちょっと弁明を求めたいのですが。
「手を出してくれ」
言われるがままわたしと幸は両手を差し出します。すると、律子は手のひらの上に親指二本分の太さを持つ黒い物体を乗せました。
「保身用だ。ポケットにしまっておいてくれ」
彼女がわたしたちに渡したのはシンプルな見た目の折りたたみナイフでした。
「万が一、襲われたらこれで自分の身を守れということですか?」
キャンプに折りたたみナイフは付き物ですが、二つも予備を持っていたとは。相変わらず周到な人ですね。
「その通りだ。特に幸は念入りに用心する必要がある」
どうやら律子も、現段階でもっとも怪しいのは聖堂さんである、と考えているみたいです。
野草集め班は三人グループなので犯行に及ぶのは難しいかもしれませんが、聖堂さんは武道に精通している身です。ひ弱な美々さんと幸の二人なら容易く同時に葬ることが可能のはず。
まあ、そんなことをするような人には到底見えませんけどね。
聖堂さんの様子をうかがってみようと窓の外を見ると、彼女は噂の素振りをしていました。
「え、えっと……律子先輩?」
そわそわと折りたたみナイフを弄る幸。
「どうかしたのか、幸?」
「これって、どうやって閉じるの?」
「ああ、ちょっとコツがいるんだ。こうやって押し込みながら左右にグイグイっと揺らせばカチって音がなるだろ? そうすれば閉じるはずだ。古いからバネが少し緩んでいて、開け閉めの反応が鈍くなっている」
もしかして持ち歩かないほうが安全なのでは……。ポケットの中でいきなり開いて膝に「グサッ!」はごめんですよ。
***
竿、バケツ、餌、網。釣りの準備を整えたわたしと奈々さんは海岸の方角へと向かっています。もちろん、また蜂に出会ってしまわないように別ルートを進みながらです。少し遠回りになってしまいますが、あの背筋も凍る恐怖体験を再度味わうことに抵抗を持たないのは、真性のマゾヒストぐらいでしょう。
森の中にいる時間をなるべく短くするために足を速めると、奈々さんもわたしに歩行速度を合わせます。なので彼女はわたしの存在を認識しているはず……、なのですがまったく話しかけてくれません。
トムボーイな彼女と自称おしとやか系なわたしの間に接点などはほぼなさそうですし、学校で彼女と対話したこともありませんが、これから数時間一緒に過ごすのですから、挨拶程度はするべきではないのかと思います。
冷静に考えればこちらから話しかければそれで解決ですが、わたしは常に受身に徹している会話受けの達人なので、それではわたしのコミュニケーション術の利点を活かすことができません。
まあ、本当はどうやって会話を始めるのか全くわからないだけですけど。
わたしは横目で彼女をちらりと一瞥します。すると肌でそれを感じ取ったのか、彼女はギロリと大蛇顔負けの睨みをわたしに送り返してきました。こ、怖い。
「なあ」
えっ、あっ、はい? な、なあですか? 「なあ」に答える場合はなんと言えばいいのでしょうか。「なあ」に要求は込められていませんし、「なあ」は感想を言える類のものでもありません。も、もしかして喧嘩を売られているのでしょうか? ヤンキー女子中学生の間では「なあ」と言って殴りかかる風潮があるのかもしれません。反射的に右手が短パンのポケットの中へ差し込まれます。
「お前の下の名前ってなんだっけ?」
「ひっ、氷花です」
名前を覚えられていなかっただけでした。完全に平静を失っていますね、わたし。少し落ち着きましょう。
「そうか、氷花か。氷に花って書くのか?」
「は、はい、そうです」
「……」
「……」
そう答えるとわたしたちの間に再び静寂が訪れました。わたしってもしや会話受けの達人ではなく、会話殺しの達人なのでは? しかし、彼女がもう少し気の利いた質問をしてくれれば、機知に富んだ受け答えがやすやすと思い浮かぶはず……単なる屁理屈ですね。
気まずい空気、冗長に感じる時間。それらの難敵をかい潜りながら、わたしたちはようやく海辺までたどり着きました。
適当な岩に腰掛けたわたしは、まずは釣竿に餌をつけるために、バッグの中に入っているプラスチックの箱を取り出し、蓋を開きます。
ぐ、グロい……。
漆黒に染まった不気味な目玉。不自然に細長い、血の色に染まった胴体。おまけに冷凍という名の封印が解かれてしまったせいか、強烈な生臭い匂いを放っています。
B級SF映画に出てくる泥人形たちより、このアミエビの方がエイリアンと呼ばれるに相応しい姿をしているのではないでしょうか。背後を晒した瞬間、一斉に襲いかかられて捕食されてしまうわたしの姿がありありと目に浮かびます。
「こ、これに触るんですか?」
「……当たり前だろ」
揚げカスの塊にしか見えないエビフライならともかく、これはちょっと抵抗があります。
黒い目玉とにらめっこしながら、どの部分を掴めば肌との接触面積を最小化できるのか悩んでいると、奈々さんに餌箱を無理やりひったくられてしまいました。
わたしがだらだらしていたので怒らせてしまったのかもしれません。奈々さんはわたしに掴みかかろうと右手を伸ばしてきます。急いで謝らないとわたしの命が危な――
「針を貸しな、俺がつけてやるよ。ったく、ミミズに触れないのならまだわかるけどよ、アミエビに触れないのは初めて見たぜ」
「す、すみません」
どうやら、またもやわたしの早とちりだったみたいです。
わたしは頭を傾けて頷き、針を彼女に渡します。
奈々さんは皿からお菓子を取るかのごとくさりげなく、忌々しいアミエビをプラスチックの箱からつまみ出し、すっと慣れた手つきでエイリアンの胴体に針を正確に通します。
「釣竿の使い方は知ってるよな?」
「え、あ、はい」
「あのなー。もっと、はっきり喋れねーのか? ウザいっつーの」
「ご、ごめんなさい」
ううっ。奈々さんの迫力に押されて身体が竦んでしまい、ついつい舌を噛んでしまうのです。申し訳ない。
ですが、はっきり言って怖いんですよ、彼女。何か言うたびにガン飛ばしてきますし。本能を揺さぶる強烈な威圧感に逆らうことは不可能なんです。
餌付きの釣竿を奈々さんからありがたく拝借し、わたしはこそこそと怯えたねずみのように小走りしながら、少し離れた岩陰へ身を潜めに行きます。彼女の傍にいると心臓に負担がかかってしまうので、しばらくはここに隠れていましょう。
「魚って暗いところに集まるんだよな」
奈々さんはどっこらせとわたしの真横に腰掛けて、釣りを始めました。
どうして、ついてきちゃうの……。
「なあ、氷花」
「ひゃい」
うわわっ、また噛んでしまいました。どうかゲンコツだけはお許しを……。
「……お前は聖堂が新宮を殺したと思うのか?」
どうやら、怒ってはいないみたいです。怯え続けるのにもいい加減、辟易してきたので、一旦すーっと深呼吸をして心を落ち着かせてから、わたしは彼女の問いに答えます。
「そうですね。正直に言うと、よくわからないです」
聖堂さんが怪しいのは確かです。しかし、やはり何か引っかかるところがあるのも事実。わたしは聖堂さんのことを詳しくは知りませんが、これまで見てきた彼女の冷静な言動、仕草、振る舞いを足し合わすと、どうにも彼女を犯人像として見ることができないのです。
計画的な殺人なら犯人が冷静でも合点がいくのですが、これまでに判明したことを考えると、今回の事件はやはり突発的な感情が大きな役割を担っているように思えます。
取り乱していた佐川さん、荒れていた殺人現場、凶器として使われた偶々台所にあった包丁。怒りで我を忘れた犯人が新宮さんを刺したと仮定した方が、全てのピースがしっくりと嵌ります。
「だよな。俺もよくわからねーや。だってあいつらは普通の中学生だぜ? しかも、別に仲がめちゃくちゃ悪いとか、いじめがあったとか、頭がおかしいやつがいるってわけでもねーし。あいつらはみんなどこにでもいるような女子中学生なんだよ」
彼女の言う通りでした。身近な人が、しかも子供なんかが殺人なんてできるはずがないと、わたしはどこか心の奥深くで決めつけているのでしょう。
「まあ、俺は部活に興味ないし、さぼりまくりだから、そこまで深くあいつらのことを知ってるってわけでもないんだけどな」
「興味がないのなら、どうして茶道部に入ったんですか?」
「そりゃ、美々が入部したいっつーから、仕方なくだ」
「美々さんが一人で入部すれば良かったんじゃないですか?」
「まあ、確かにそうなんだけどよ。お前も知ってるだろ、あいつのみみっちい性格」
シャレとしてはかなり秀逸なものだと思いますが、みみっちいの使い方を間違っていますよ。
「美々がさ、一人で入るのが怖いっつーから、俺が一緒に入部してやったんだよ。あいつが慣れるまでは何度か一緒に行ってたけど、それ以降はずっと幽霊部員だ」
「奈々さんって優しいんですね」
「はっ!?」
奈々さんは釣竿を地面に投げ捨て、海から跳ね出る魚のようにぴょんと勢いよく立ち上がりました。
「った、たりめーだろ? し、姉妹なんだし。それに、今の話と関係ねーだろ、それ! 馬鹿かよ、お前!」
動揺をまるで隠せていません。獰猛なライオンかと思ったら、実はやんちゃなポメラニアンでしたレベルのギャップです。おかげでさっきまで抱いていた恐怖が嘘のように消え失せてしまいました。
わたしがクスクスと堪え切れなくなった笑いを漏らすと、奈々さんは一瞬、拳を固く握りしめてわたしを睥睨しましたが、怒ることがバカバカしくなって脱力してしまったのか、彼女の手はすぐに開かれました。
「はぁ……。お前ってむかつくけど、意外と話しやすいんだな。学校ではやたらと澄ましてるから、他人に興味がない孤高系かと思ってたぜ」
「え? 話しやすいんですか、わたし?」
わたしのコミュ力がついに世間から認められる時が来たのでしょうか。
「ああ。なんか、何言っても怒らなさそう」
つまりサンドバッグ的な扱いですか。まあ、話しかける価値もない道端の石ころとは違って、 用途があるだけまだましですね。
では、お互いの緊張もほぐれきったみたいですし、奈々さんと一対一で話し合える機会なんてこの先もそうそうなさそうなので、今の内に少し情報収集でもしてみましょうか。
「そういえば、奈々さん。聖堂さんのことについて何か知っていることはありますか?」
「俺? さっきも言ったけど、あいつらとそんなに仲がいいわけじゃねーから、大したことは知らねーよ。学校で流れている噂と同程度のことしか知らねーよ」
「例えばどんなことですか?」
「あいつが茶道部と剣道部の掛け持ちをしてるとかだよ。お前もこの程度は知ってるだろ?」
「そうですか。では、佐川さんと聖堂さんが今朝もめていた理由はわかりませんよね」
「いや、知ってるよ」
え? わたしの聞き間違いでしょうか。
「し、知ってるんですか?」
「当たり前だろ。先週、学校で散々みんなが騒いでたじゃねーか」
な、なら、仕方がありません。先週のわたしは生きているか死んでいるかわからない昏睡状態にあったので、運悪く噂を聞き逃してしまったのでしょう。はい、そうに決まっています。決して、誰もわたしを相手にしてくれなかったから耳に入らなかったわけではないはずです。絶対に……ちょっと待ってください。
ということは、今朝の修羅場で置いてけぼりだったのは、わたしだけだったのでしょうか? なんとお恥ずかしい。人間関係を知るべきだ、とか言っておきながらこの体たらく。
「新宮に彼氏ができたのは知ってるだろ?」
そういえば、それを匂わせる台詞を列車の中で耳にしたような覚えがあります。
「そいつが聖堂の幼馴染だったんだよ。しかも、聖堂とそいつはかなり仲が良かったらしくて、完全にカップル扱いされてたらしい」
「え? では、彼はどうして新宮さんと?」
「さあな。俺はそこまでは知らねーよ。特に興味ねーし。告ったのは男の方らしいけどな」
――ズキッ!
突然、頭に鋭い痛みが走りました。
「おい、大丈夫か?」
いきなり不自然に頭を抱え込んでうずくまってしまったわたしを、奈々さんは心配そうに眺めます。
「大丈夫ですよ。少し嫌なことを思い出してしまっただけです」
奈々さんの不安を和らげようと愛想笑いを浮かべ、わたしは釣竿を拾いました。
おや? 釣り糸から妙に強めな抵抗を感じます。どうやら何者かに引っ張られているみたいです。とんとんと釣竿を弾ませてみると、それなりの手応えが両手にフィードバックしてきました。どうやら獲物がヒットしたみたいです。
「う、うーん……そいや!」
渾身の力を込めて釣竿をよっこらせと引き上げると、鯖……の缶詰が釣れました。しかも、なんと未開封。長年の間、海の底を漂っているうちに少し緩んだつまみが、わたしの釣竿の針に引っかかってしまったみたいです。運がいいのか悪いのか全くわかりません。
賞味期限の部分が少し薄れていて読みづらくなっていますが、一応、二十一世紀の産物だということは確認できました。
「調理する手間が省けるな」
そのようですね。
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