第6話

 出発の支度を整えたわたしたちは、三人揃って階段を降りていきます。


「お、落ちついてくれ」

「落ちつけるわけないでしょ!」


 下の階から何やら修羅場じみた怒声が飛んできました。心配になったわたしたちは足を運ぶ速度を速め、騒ぎが発生しているリビングへと向かいます。


「あんたがやったんでしょ!」


 そこには顔を憤怒の色に染めながら、聖堂さんの胸ぐらを掴んでいる佐川さんの姿がありました。佐川さんの赤く充血した眼からこぼれ出た涙は、彼女の震える腕を伝い、ぽとりといがみ合う二人の間に落下し、ぺしゃりと真っ先に二人の間に割り込んだ律子の足に踏みつぶされました。


「喧嘩はやめるんだ。佐川、その手を離せ」

「嫌ッ! こいつが新宮を殺したって認めるまでは絶対に離さない!」


 律子は力尽くに佐川さんの手を聖堂さんの腕から切り離し、怒り狂う佐川さんに蹴りを入れられながらも、歯を食いしばって痛みを我慢しながら彼女を押さえつけています。

 あの険しい睨みや先ほどの言動から察するに、どうやら佐川さんは聖堂さんを疑っているみたいです。わたし自身も聖堂さんが怪しいと思っていたので、それ自体にはさほど驚いていません。ですが、何故彼女はそこまでの暴挙に出てしまえるほどの確証を持てたのでしょうか? 聖堂さんを犯人だと決定づける情報を持っているのかどうか。その点が非常に気になります。昨夜の事件を殺人だと見抜けた理由もわかりません。

 しかし、彼女のおっかない形相を見る限り、彼女を動かしている燃料は、論理によって導き出された結論ではなく、抑えきれなくなった感情のようにうかがえます。


「わたし、さっき奈々から聞いたの。あんたが昨日の夜、外に出ていたってこと。彼女を殺せばあいつがあんたのところへ戻ってくるとでも思ったの? バカなの? そんなわけないでしょ!」


 律子を隔てながらも、佐川さんは怒り続けます。腕を封じられているので、彼女は暴力を振るうことができませんが、もし放たれてしまえば猛獣のごとく聖堂さんに襲いかかることでしょう。


「……あの」


 そよ風にかき消されてしまいそうなほど小さくて細い声。本来ならば、それは誰の耳にも入らずに消滅していたかもしれません。しかし、ここはピリピリとした緊張感に覆われた部屋の中です。わたしたちの五感は研がれた包丁のごとく鋭くなっており、針一本の落下音にすら全員が反応できました。

 故に、彼女の弱々しい声はみんなの耳に届き、葛藤は一時的に停止します。


「ま、真央は……ち、ちが……」


 声の主は奈々さんの後ろに縮こまって隠れている美々さんでした。 


「何か情報を持っているのか?」


 律子が美々さんにそう問いかけると、彼女は困ったように視線を泳がせ――


「……そ、それは……。で、でも、新宮さんは、多分……」


 と、曖昧に何かをもごもごと言い淀みます。


「昨日、何があったか知ってるの?」


 今度は瀬高さんが食いつきました。


「う、うん。で、でも、多分だけで……」

「どんな情報でもきっと役に立つよ。教えて」


 顔を近づけすぎです。美々さんが怖がっていますよ。


「う、ううっ……」


 瀬高さんの積極的な態度に気圧されてしまったのか、美々さんは顔を俯かせて黙り込んでしまいました。それを見て、先ほどまでイライラとした表情で様子をうかがっていた奈々さんは、彼女を庇いに入ります。


「おい瀬高、やめろよ。美々がかわいそうじゃねーか」


 奈々さんは両手で強引に瀬高さんの顔を、美々の傍から押し退けます。


「ご、ごめん」


 瀬高さんはバツが悪そうに口もとを歪めながら、素直に謝りました。ちょっと他人の気持ちを読み取るのが苦手なだけで、悪気はないんですよね、あの人。まあ、人の心境を理解することに関しては、わたしも人のことを言えるような立場ではありま――


 ――パシッ!


 突然、鳴り響いた打音。

 音の方へ振り向くと、頬に赤い手形をつけた聖堂さんが呆然と立ち尽くしていました。

 みんなが美々さんに注目している隙に、佐川さんは律子の把握から逃れてしまったのです。


「わ、わたしは……」


 がくがくと両足を震わせながら、佐川さんは共感を煽るような涙ぐんだ目で、変わり代わりわたしたちと視線を合わせます。

 しかし、誰も動きません。

 動けないのです。

 不確かな要素が多く、情報が足りていない状況。

 佐川さんに味方する決意を抱ける段階には誰も達していなかったのです。


「……そうだよね。みんなはまだ仲よしごっこを続けるんだよね」


 そう言って佐川さんは微かに笑いました。しかし、あれは楽しさ故に漏れる笑いではありません。あれは全てを諦めた人の枯れきった笑い。


「おい、佐川!」


 佐川さんは律子の手を強引に振り払うと、今にも転びそうな危うい足取りで、二階へと駆け戻っていってしまいました。


「はぁ……聖堂、怪我はないか?」


 手のひらを頬にくらった聖堂さんは、特に怒っている様子はありませんでした。彼女は律子に答えずに木刀を握りしめ、勝手口から裏庭へと出て行きました。


 場の空気は最悪になってしまったとはいえ、喧嘩自体は収まったみたいなので、わたしはほっとため息をついて胸を撫でおろします。昨夜の事件の弊害でただでさえみんなの心境が不安定になっているというのに、仲間割れなどが始まってしまえば、大変ですからね。

 結局、わたしたちは新たな情報にありつくことはできませんでしたが、わかったことも一つあります。それは佐川さんと聖堂さんと新宮さんの間になんらかのドラマが発生していたということ。

 それを暴くことがわたしたちの次に踏むべきステップなのかもしれません。人間関係を知ることは、きっと動機などの推測に繋がりますからね。

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