お題:「さあさ皆さんお立ち会い!」

「ヘンディー! この縫いぐるみ、可愛いくないですか!?」


 顔の周りにぱっと虹を咲かせたような笑顔で笑う少女に、ヘンドリックス・アマドは苦笑した。

 無精髭にくわえ煙草、くたびれたシャツをまとった男は、がしゃがしゃと頭を掻く。


「アンリエッタ、俺ァ二日酔いで頭が痛い。少し声を抑えてくれないか」


「バカみたいにお酒飲むから悪いんですっ!」


 ふくふくとした綿のつまったテディベアを頭の前に掲げるアンリエッタ。

 腹話術のようにテディベアの手足を動かし、まるで、テディベアに叱られているようだ。


 ヘンドリックスは、そのお説教を封殺するように、アンリエッタの頭をがしゃがしゃと乱雑に撫でると

大股で歩き出す。


「たまの休みなんだ、次行くぞ、次ィ」


 立ち去り際、ヘンドリックスは、空中にIDカードをかざし、テディベアの代金を電子決済する。


 セットしてきたのに!と、ピーピー鳴くアンリエッタ。カールした亜麻色の髪を手櫛で直しつつ、

テディベアを抱きしめながら、ヘンドリックスの後を追って走り始める。


 ──今では珍しい、高級ブティックが建ち並ぶデパートでの一幕。対爆、強化ガラスで作られた

大窓から外の様子が見える。そこに見えるのは、世紀末の様相。

 空は一年中を通して、灰色の雲に覆われ、ここ数年晴れた日などは見たことが無い。天然の作物は

育たず、街ゆく人々の顔も浮かない。荒れ果てたまま放置された家屋が立ち並び、灯りはぽつぽつとしか

灯っていない。

 そして、痛ましく街中に刻まれているのは、およそ、この世のものとは思えない大きな爪跡だった。

比喩では無い。恐竜か何かがつけたのかと思う程の、巨大生物が爪をふるった跡がそこかしこに残って

いたのだ。


 世界は、ある異形に脅かされていた。人は、その異形におびえ、ふるえ、死んでいく。

 神出鬼没に現れるそれは、現代化学兵器のほとんどが通用せず、人はいたずらにその数を減らす

ばかりだった。

 それだから、娯楽に興ずるものも少ない。


 デパートになど来るのは、そんな市井の状況に全く左右されない金持ちか、そうでなければやっていら

れない者達だ。十数分に一度、人とすれ違えば良いぐらいの客入りでしかなかった。


「あとは、なんだァ、服でも買うか? これはどうだ」


 といって、ずかずかとヘンドリックスが入っていくのは幼児用の服屋だった。

 ヘンドリックスが手に取ったのは、ビビッドなピンク一色に、ワッペンが貼られた半袖Tシャツだ。

今時、幼稚園児でも着ないようなデザインだった。


「……やだ、センス、無さすぎ……?」


「マジトーンで言うのやめろ」


「もうちょっとおしゃれなのが良いです~! もう10歳なんですよ!? もっとこう──」


 と、アンリエッタ式おしゃれ講義が始まろうとしたその瞬間。

 ジリリリリリリ──、と店内警報が鳴り始めた。ヘンドリックスの首もとからはノイズが聞こえ始める。


 ──ああ、来てしまったと、ヘンドリックスは心の中で頭を抱えた。

 わざわざ外の音が入ってこない場所を選んだのに、と。


 このまま、首元の無線機を引きちぎり、アンリエッタの耳をふさいで逃げてしまおうか。

 そう、何度も思った。出来ることなら、そうしたい。けれど……。


『α-1から、各位。ディモニア出現を観測。作戦区域は、マルタシティ、12区域第3番地、ディンゼルトン

大通り。近隣待機中の作戦員は至急現場へ急行せよ』


 通信と始まりと終わりにノイズを吐いて、聞きたくもない指令が降りる。


『COMANDO:REM SERAPHの展開を要請。指定のポイントに到達後、CODE:00190102の入眠を

開始せよ。α-9、良いな』


「こちら、α-9。了解。現場に急行する」


 ヘンドリックスは襟につけた無線機に顔をよせて、そう応答をすると、生きるのにくたびれたという

ような無気力なため息を長くつく。肩を落とし、顔もうなだれている。


「ヘンディー」


 そこに降ってくるのは、数年前まではどこでも見られたであろう、でも今では見ることは出来ない

日溜まりのような、暖かい、声。


「良いですよ」


 全てを赦すような、聖母のようなやわらかい微笑。アンリエッタは、年少の子供と思えないほどの

慈愛に満ちていた。ヘンドリックスは、顔をあげない。長く息を吸うと、割り切れない思いとともに

息を吐く。


「ごめんな、駄目な兄貴で」


 そこからは、一気だ。くたびれた背広の内に隠されたホルスターから銃を抜き、撃鉄を引き起こす。

アンリエッタの胸に銃口を押し当てると、トリガ。軽い破裂の音がして、煙が立ちのぼる。血は吹き

出さない。撃ったのは、針のようなものだ。

 糸の切れた人形のように崩れ落ちるアンリエッタを抱き上げ、ヘンドリックスはデパートの入り口へ

歩いていく。大仰な歯車が幾つも噛み合ったような大きな円盤が、はだけたアンリエッタの胸を覆う

ようにして、埋め込まれていた。


「α-9より福音隊(プロテスタ)各位。アンリエッタ特務少尉の入眠の確認。

COMANDO:REM SERAPH展開まで90sec。どうぞ」


 ●


『Through many dangers, toils and snares. I have already come;

 'Tis grace has brought me safe thus far, And grace will lead me home.


 When we've been there ten thousand years, Bright shining as the sun,

 We've no less days to sing God's praise Than when we've first begun.───』


 細い声で賛美歌を歌いながら、戦夜を翔ぶ天使。


 ヘンドリックスはデパートのショーウィンドウにもたれかかって空を見上げていた。

 空の色と同じ、灰色のたばこの煙が、ゆらゆらと立ちのぼっていく。


 自分の身丈ほどの白い羽根をはやし、アンリエッタは空を駆る。

 異形の怪物の首を刎ね、腕を落とし、羽を撃ち抜く。


「これが、人類の希望。未来を切り拓いていく天使の舞だ。さあさ皆さんお立ち会い!」


 おどけた内容のセリフと裏腹に、ヘンドリックスの顔は、疲れ果てた奴隷のような、

あるいは路地裏の孤児のような表情をしていた。

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