【短編集】御題小説&ワンライ
麻華 吉乃
お題:「無意識の天使」
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、昔いまし、今いまし、のち来たりたもう 主たる全能の神」
渇いた破裂音がして少女の身体に銃弾が突き刺さる。吹き出す血は無く、少女はぐらりとよろめいて、地面に崩れ落ちた。
少女に突き刺さった弾丸は、矢のような形をしていた。麻酔銃。それは殺傷する為のものではなく、眠らせる為のものだった。
ノイズが走ると、首元の無線機から通信が放たれる。
「対象の入眠を確認! これよりCODE:00190102の周囲を囲み、展開までの防護を固めよ!」
打ち捨てられた廃墟のような街。今にもコンクリートがはがれ落ちて雨と降ってきそうな灰色の谷の様な裏路地で、軍用装備で固めた男たちが銃を構えながら集結する。
左右上方を確認しながら、速やかに後退。少女を背後に置き、人壁となるように円陣を組む。
ふと、軍人の一人が空を見上げた。ヘルメットの鍔の先から見えるそれは、雲がかかってもいないのに暗い、鈍色をした重たい空だった。
もうずっと、何年も前から、下手をしたら十年以上前になるだろうか。世界は異変と異形に苛まれていた。
●
始まりは、よくある一幕に過ぎなかった。
ダルヴァザールという場所がある。砂漠の中にある小さな寒村であったが、ある時、さる大国が新たな資源埋蔵地を求めて地質調査をしていた。そして、採掘の結果、そこにはかつてない量のガス資源があることが判明した。
村の者たちは歓喜した。これで、この町にも恩恵が与えられる、と。しかし、喜びも束の間、その調査現場で落盤事故が起こってしまう。
重機を含め、調査現場が飲み込まれるほどの大落盤事故。多数の人間が亡くなり、そこには直径100mもの大穴が空いてしまった。
漏れ出る有毒ガス。大国の調査班は、せめてこの周囲が毒ガスに汚染される事だけは避けようとして、止む無く落盤現場に火を放った。
ガスが燃え尽きれば、有毒ガスの放出も止まるはずだ、と。しかし、そこには誤算があった。あまりにもガスの埋蔵量が多すぎたのだ。
一年経ってもその火は燃え続けた。
火山の噴火口が平らな地面に空いたような光景。赤光が煌き、時々爆発をしたかのような炎が立ち上がる。元々そのダルヴァザール周辺に住んでいた者たちは言った。
「まるで地獄の門が開いてしまったようだ」
しかし、それは比喩でも何でもなかった。事実に、地獄の門は開いてしまったのだ。
●
『右上方30度の方角から敵来襲を確認!』
首元でノイズ交じりの無線が入り、男は回想から現実に引き戻された。銃のグリップを握り直し、伸ばしていた人差し指を引き金に掛ける。
測距隊に任せずとも見える。
蝙蝠のような羽を翻し、闇を凝縮したような滑らかな黒い肌をした二足、二椀の化け物が飛来して来ていた。
腕回りなどは人間の胴回りほどあり、頭にはねじ曲がった山羊の様な角を生やしている。
顔は鬼の様で牙が口から突き出している。一見して悪魔とわかるような姿だった。
「敵は一体だ! 持ちこたえろ!」
軍人達は斉射をせず、数人単位でタイミングをずらし発砲をする。
なぜか。
この悪魔の様な生命体は、羽を使って飛んでいるにも関わらず、ジェット機か、はたまたUFOかというような機動力を見せつけていた。
一点に集中して撃って外れては、次弾を撃つまでの間が危険だ。
しかし、奴らはそういった高機動さに加えて、強靭な肌も持っていた。機銃の斉射ではかすり傷程度しか与えられない。
その為、防衛隊は高威力のライフルの装備が標準となっている。しかし、それであっても少々めり込む程度で致命傷は与えられないのだが。
廃ビルの屋上で機銃を掃射する援護隊には目もくれず、敵である悪魔はこちらへ一直線に向かってくる。軍人達の中心にいる少女を狙っているのだ。
ひらりひらりと、こちらの銃弾の固め打ちを交わしながら、獲物に狙いを定めた鷹のように疾駆する。刻一刻と距離は近くなる。
『展開はまだか!?』
ノイズの音がもはや耳障りだ、と男は感じた。こめかみの辺りをじわりと汗が流れていく。
ヒュゥウウと風を斬る音が大きくなってくる。
「(俺たちは持ちこたえる事しかできない)」
悪魔は羽を畳み、まるで水面に突っ込むかのような姿勢で、飛び込んでくる。むくつけき手には禍々しく伸びた爪がある。人体などは、軽く一突きで二人分を串刺しに出来そうだ。
「撃ち方止めェ……! 第一陣引き付けろ……!」
少女を取り囲んで居る隊長格の、押し殺した低い声がする。この悪魔はいやらしく、狡猾だ。決して単なる力押しでは来ない。
『距離、20、10、5……』
もはや近づいてくる悪魔が立てる風鳴りは、暴風の域に達していた。コマ送りで男の眼前を占めていく悪魔の巨躯。悪魔が腕を振りかぶった。
「てッ――!」
渇いた音が連打で炸裂する。銃弾が宙を舞った。悪魔はこちらに腕を振り下ろす事無く身を半回転させると、直近に着地。
すぐ様低い姿勢から太い腕を横薙ぎにする。斜め右上を射撃していた、少女を取り囲む第一陣の軍人達はその速度についていけず、稲穂が刈り取られる様に上半身を持っていかれた。
「ッ」
まだうら若い、入隊したばかりの兵が、目の前で血柱をあげる胴体に息を飲む。
たちまち熱い酸っぱいものが口にあふれかけたようだが、おしとどめた。訓練された兵は、今際の際でも取り乱さない。国の為、人類の為、彼らはよく訓練されていた。
悪魔はもう一度腕をふりあげる。恐怖を植え付けるように、精神を嬲るように、ゆっくりと、しかしなめらかに確実に、むしけらを潰すように。
男が属する軍人達第二陣のライフル斉射が放たれるが、振り下ろされる死神の鎌は止まらない。
ヒュッと音がした。
それは――、終わりの音だった。
光条が一閃し、黒光りする悪魔の太い腕が、肩の付け根から吹き飛んでいた。重暗い日が続く世の中に於いて輝きがあるとするなら、《それ》だけだ。
『展開完了――』
異形が地獄の門から世界に湧き出たと同時に、少女の中に降り立った天使達。
開いてしまったパンドラの箱の中に遺されていた希望。最早半数以下になってしまった人壁を作っていた軍人たちは、急ぎ撤退していく。
無意識の睡眠下でのみ異形との戦闘能力を持つ人格を得る少女たち。
『COMANDO:≪無意識の天使≫、出ます――!』
今、軍人たちの命が花と散った中から、その花びらを吹き飛ばして広がるのは、光の翼だ。
栗色の髪は肩の辺りで切り揃えられ、内巻きに巻かれている。白いブラウスの上には淡いピンクのジャケットを羽織り、下には、ブラウスとセットアップのふわりとしたスカート。足元はフリルのついた白い靴下に古めいた先の丸い革靴を履いている。小さな可愛らしいお嬢さん、と言った感じだ。鼻のあたりのそばかすがまた素朴な感じで愛らしい。
しかし、その背で燐光を飛ばしながらはためく、背と同じぐらい大きな白い羽や、凛として悪魔を穿つ視線、刃物のように研ぎ澄まされた表情は、少女が常ならざる者であると雄弁に語っていた。
少女は、血でぬかるんだ裏路地の地面に片膝をつき、バットプレートを肩に当て、容赦なく射撃する。
光条が、悪魔の残る片腕も吹き飛ばす。
絶対の強者とは得てして、反撃を予想していないものだ。大抵は反撃などされる前に獲物を捻り潰してしまうのだから。だから、うろたえる。
異形の悪魔もまた、両腕を吹き飛ばされ、呻きながら錯乱していた。意味もないとわかっているだろうに怒声の様な吠声を上げ、突進してくる。
少女は至近からの巨体の突進に対し、前進を臨んだ。
「tho' the darkness hide thee,《暗闇があなたを隠し》」
バレルを握り、ライフルを振りぬくと、それは光に包まれ長剣へと変化した。
「Though the eye of sinful man thy glory may not see,《罪人があなたの栄光を見なくとも》」
少女は英詞を歌いながら疾駆する。白レースとフリルの靴に血が跳ねるのにも構わず、ぬかるんだ泥道を駆け抜ける。踏みつぶさんと伸びてくる大樹のような足を、長剣で一閃する。
「Holy, holy, holy《聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな》」
少女が巨体の股の間を抜けていく。悪魔が足をついた瞬間、ずるりと膝のあたりから斜めに足がずれ落ちていく。それでも悪魔は片足で力任せに振り向いた。
少女も長剣を振りぬいた勢いを殺さず、身を回し、敵に正対する。
「Only thou art hol――,《あなただけが聖なるお方で――》」
ビシャっと液体が少女の顔に直撃した。緑色をした、悪魔の血だった。
それに特段毒などは含まれていないようだった。しかし。単純に開けている目に粘度の高い液体をぶちまけられたらどうなるか。
人間の知覚は視覚が八割を占めているという。こういった戦闘中にそれをふさがれたらどうなるか。それは即ち、"死"であろう。
「っ――」
顔をぬぐいながら後ずさろうとする少女。しかし、悪い事は重なるようだ。元々じめじめとした地面は、軍人達の流した血でさらにぬかるんでいた。
平時なら、目が見えていたら、そんな事はなかったかもしれない。しかし、一つが狂いだすと全てが狂いだす。少女は足を滑らせた。
悪魔の口の端が、少し歪んで吊り上がったような気がした。あるいは、錯乱をしたフリをしてチャンスを窺っていたのかもしれない。
この悪魔はいやらしく、狡猾だ。決して単なる力押しでは来ない――。
悪魔は剣山の様な歯がぞろりと生えそろう口を見せつけるように開ける。少女を一飲みにするか、噛み千切るつもりだろう。
悪魔と天使の闘いから退避していた軍人達からどよめきの声があがる。ちらりと、悪魔がそちらを見た気がした。まるで、その姿は、
『お前たちの心をへし折る為に、ここまで舞台をあつらえてやったのだ』
と言わんばかりだった。
悪魔が片足で地面を蹴り、少女へ翔んだ。すぐさま廃ビル屋上の援護隊が機銃を放つが、悪魔はやはり、気にも留めない。
少女の周りで人壁を作っていた軍人達の退避先からではライフル射撃は届かない。
少女は血のぬかるみに尻もちをつき、目は悪魔の血で塞がれ、せめてもの牽制にと、剣を光銃に持ち替え後ずさりながら乱射はするが、悪魔は軽い羽ばたきと首を振っただけでそれを回避する。
動きを見てからなら、ある程度は予測をして対応する事も出来る。
しかし、音がしてから対応していたのでは全てが遅い。少女が持つ銃の光も心なしか弱まってきている。そして、少女の背は廃ビルに付いてしまった。
悪魔の牙が少女の頭に到達する。
瞬間。渇いた炸裂音がした。
ライフルの弾丸が悪魔の目を直撃し、悪魔の顔が大きく振られた。さすがの悪魔も悲鳴を上げる。
少女は間一髪抜かるんだ地面を転がり、銃を構えた。少女は音を待つ。
「敵十二時の方向、仰角30度!」
少女の背後で、男の低く通る声がした。悪魔が空中で姿勢を制御するために羽ばたく音がする。
大体の位置と音がしたならば、軌道は計算出来る。あとは撃つだけだ。
「――Only thou art holy,《――あなただけが聖なるお方です》」
少女の小ぶりな唇から歌がついて出る。光銃の引き金が引かれ、反動が少女の肩を叩く。
「Kyrie eleison.(主よ、憐みたまえ)」
光条が悪魔の頭をぶち抜き、爆散する。辺りの廃ビルを緑色の血が穢した。
少女は、引き金から手を放すと立ち上がる。軍人達の血だまりの中を転げまわり、悪魔の返り血を身に受けたその姿は、
赤と緑が混ざり合った茶色で染め上げられていた。
背中の羽を広げたまま、少女は灰色の空を見上げている。心なしか、空の色が薄まったようにも見えるが果たしてどうだろうか。
しかし、そうしていると、地上に落とされた天使が郷愁に駆られているようで、なんとも絵画的に見える。
『状況終了』
ノイズが走り、首元に通信が入る。少女の護衛の第二陣に属していた男は、上官の命令を待たず、一人退避場所から突出していた。
ギリギリの所で、ライフルの射程圏内に敵を納め、射撃した。後でお叱りを受けるだろうが、この少女を助けられてよかった。そう男は思っていた。
軍指令部に関しては、この天使たちをお高い戦術兵器としか見ていない節がある。また軍属達も、この天使たちの事を、個人名では無く、識別コードで呼んでいる。完全にモノ扱いだ。
幾らでも作りだせるのだから、そういう考えに至るのも無理はないのかもしれないが……。
少女が背中の羽を光の花びらのように散らしながら振り返る。
「また会ったな、人の子よ」
目をこすりながら、少女は泰然と微笑んだ。ようやく目もぼんやりと見えてきたのだろう。
彼女のあいさつは、春の夜、満開の花を付けた木の下を、散歩しているときに出会った。そんな気軽い挨拶だった。
胸の内に沸いた感情を握り潰して、男は機械的にうなずく。
「アンリエッタ特務少尉もお変わりなく」
男は折り目正しい卸し立てのシャツの様な敬礼をすると、少女の脇に控えた。
「少尉のお力によって、今宵も、不肖私め生きております」
傍らに直立不動で立つ男がそう言うと、クスクスと少女・アンリエッタは笑い、本陣に向かって歩き出す。
「して、伍長、君は昨夜何を食べた?」
「は、私めの昨日の夕食は――」
付いていく男は、自分が昨夜に食べた夕食の話を、淡々と事務連絡のようにしていく。
戦場でしか目覚める事の出来ない天使は、自分が眠りに着くまで、しばし日常の話をせがむのだ。
彼女が目覚めた時、その男が、最早判別のつかない姿で足元に転がる、その日まで……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます