第39話 ファントム・ペイン


 シンと呼ばれた男は、向けられた切っ先を気にもとめず、


「落ち着け。深呼吸をしろ。そして……どうして今ここに来ているのか、ゆっくりと思い出せ」


 冷静に、しかし命令するような口調で言った。


「思い出す、だと……? ふざけるな!! お前さんは、絶対にやっちゃいけないことをやったんだよ!! オレらがここに来られたのは、オレらがここで出会えたのは誰のお陰だ!? いいか、お前さんはヴァル先生に手を……手を……アレ?」


 自分の言葉に違和感を覚えたのか、ジローは大きく首を傾げる。


「待て、どういうことだ? さっきヴァル先生が避けようとした時、オレは……逃がさねぇぞって思って……手を……掴んでいた? なんだ……? 何なんだ、この記憶は……!?」


 フラッシュバックを起こしているのか、ジローは目を覆い隠すようにこめかみを強く押さえる。


「そうだ。先に手を出していたのは……善治郎、お前だったんだよ。それに、梓、穂乃華、お前たちもだ。その感触が、今も手に残っているだろ?」


 シンの言葉に、三人は信じられないといった顔で自分の手を見つめる。

 その手は、僕の血で濡れていた。


「さぁ……ここに来た理由を思い出せ。私たちは、どうしてここに来たんだ?」

「オレらは【ヴァルハラ】を……。あの日の夜に……みんなが……どうして……? ここに来たのは……ヴァル先生を……。殺す……? 誰を……? 先生を……? 絶対にイヤだ……。イヤだ……

。違う……違う違う違う……!! あああぁぁぁーーーー!!」


 見えない『何か』に逆らうように、三人は頭を掻きむしり、地面をのたうち回る。


「……ダメか。まだ記憶が混乱しているようだな……」


 諦めたようにため息をはき、シンは巨大なパドルを高く掲げる。

 すると、学校周辺に濃い霧が現れた。


「ヴァル先生、今日も貴方の勝ちだ。身をていして先生を守らせるなんて、【エインフェリア】としての教育が行き届いてますね。なんて健気で、なんて愚かだろうか。かつての私たちを見ているようで、吐き気がしますよ」


 ヴァル先生を睨み付けながら、シンは侮蔑の言葉を浴びせかけた。

 ここまで人を憎むことが出来るのかと思うほど、憎悪が込められた視線だった。


 シンは、のたうち回っている三人に深紅の爪をかざす。

 すると、爪の先から血のように赤い液体が溢れ出し、三人を包み込んでいく。


 やがてそれは、赤黒い甲冑――『ブラッド・アーマー』へと変貌していった。

 そして、来たときと同じように、ぎこちない動きで霧の中へと消え去っていく。


「沙霧 真(さぎり しん)……。貴方はまだ【ヴァルハラ】を追い求めているの……?」

「ええ、もちろん。生き残っている神々は、貴方を殺したい。そして私は、【ヴァルハラ】へと渡る【ビフレフト(虹の橋)】が欲しい。お互いの利害が一致したからこそ、かつての敵と手を組んでいるのです。……では、いずれまたお会い致しましょう」


 三人の後を追うように、シンもまた霧の中へと消えていく。


「この……逃げるな!!」

「綺花、待って!」


 追いかけようとした綺花を、葉月は嗚咽混じりの声で呼び止めた。


「お願い、待って……。犬飼さんの血が……血が止まらないの……。綺花、どうしたらいいの……?」


 止血したハズの両足から、いつの間にかおびただしい量の血が溢れ出している。

 僕の血で汚れるのにも構わず、みんな必死になってそれを止めようとしてくれている。


 どうして……どうして僕の足が、あんなに離れた所にあるんだろう?

 足が痛い。誰か、僕の足を取ってくれないか?


 足は無いのに……なぜか痛いんだ。

 足の感覚はあるのに……なぜか動かせないんだ。

 無いハズなのに、まだ有るように感じるんだ。

 なんて……酷く気持ち悪い感覚なんだろうか。


 僕はふと、妹のことを思い出した。

 真衣は、ずっとこんな感覚を味わっているのか。

 ほんの数分前まで当たり前に出来ていたことが、この瞬間から当たり前じゃなくなるのか。

 あぁ……なんて辛いんだろうか。


 ごめん、真衣。

 僕のせいで、こんなに辛い思いをさせているなんて。

 治してあげたかった。

 けど、僕はもう……。


「ダメ……! 逝かないで……! もう私を、独りにしないで下さい……!」


 ヴァル先生も、そんな顔をするんだ。

 薄れ行く意識の中で、僕はそんなことを考えていた。



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