第40話 戦闘不能


 辺りは薄暗く、濃い霧がかかっていて何も見えない。

 ここは……いったいどこだ?


「じゃあそろそろ行こうか、お兄ちゃん」


 霧の向こうから、真衣が……何の支えも無しに元気よく歩いてくる。

 真衣の足が……治っている?


 夢ですら一度も見たことがない、夢のような光景。

 もしかして……僕の願いが叶ったのか?

 もしかしてここは……僕の理想郷――【ヴァルハラ】なのか?


 あぁ、良かった……!

 僕は、思わず涙ぐんだ。


 ずっと後悔していたんだ。

 あの日のことを。

 やっぱり僕が一番悪いんじゃないかって、ずっとずっと後悔していたんだ。


 けれど、それはもう無くなった。

 僕の見えない傷も、これでやっと消すことが出来た。

 これで、これで……。


「ヨイ……ショっと!」


 ……え? どうして僕が……車イスに乗せられているんだ……?

 待ってくれ、僕は……!


 慌てて立ち上がろうとするが、車イスから離れることは出来なかった。

 それもそのハズだ。

 僕の両足は……既に無いのだから。


「ゴメンね、お兄ちゃん。あの日、私とケンカなんかしなかったら、こんなことにはならなかったのにね。……でも、安心して。私がちゃんとお世話をしてあげるから、ね?」


 僕と真衣の立ち位置が、立場が……現実の世界とはまるで逆だ。


 これが……僕の望んだこと?

 僕は……妹を世話するのではなく、妹に世話されるのを望んでいたのか?

 それとも……僕が罪を背負ったように、今度は妹が罪を背負って欲しいと望んでいるのか?


 ……違う! 間違っている!

 こんなの、僕は望んでいない!

 早く……早くあの学校へ戻してくれ!

 みんなが待つあの学校へ!


 僕は……僕が望んだ本当の【ヴァルハラ】に、絶対行くんだ……!



 だけど……だけど、僕の足はもう……。



 ◆--------------◆



 僕は獣のように吠えながら、鉛のように重いまぶたをこじ開ける。

 ……最悪だ。これまで見てきた夢の中でも、ワースト一位に入るぐらい最低な悪夢だ……。


 ここは……保健室か?

 薬瓶が保存されている棚はひっくり返したように荒らされ、床にはどす黒く染まったシーツが無造作に転がっている。

 保健室というより、まるで野戦病院だ。


「チッ、残念。そのまま死んでりゃ、俺のハーレムルートが確定したのにな」


 隣に座っていたのは、大道寺だ。

 丸いイスにどっかりと腰掛け、ひどく不満そうな顔をしている。


「……普通ここってさ、ヴァル先生が看病疲れで寝てるとか、綺花か葉月が涙ながらに感動する場面じゃないのか? 寝起きから大道寺って、そりゃナシだろ……」

「うるせーよ。俺の番の時に起きたテメェが悪い」


 悪夢から目覚めたばかりだというのに、最悪な気分が倍増した気分だ。

 僕の理想的なシチュエーションを、コイツは何個潰す気なんだ?


「そのまま目を開けてろ。ちょっとみんなを呼んでくる」

「……なぁ、大道寺。あれから……何日経ったんだ?」


 僕がそう質問すると、大道寺は扉の前で立ち止まり、深刻な顔で黙ったままうつむいてしまう。

 ……どうやら僕は、ずいぶんと長く眠ってしまっていたらしい。


 足を斬られた時の痛みを、歩けなくなったという絶望を、ヴァル先生の悲しげな表情を……ついさっきのように思い出すことが出来るというのに。


「六時間」

「……へ?」

「テメェが寝てた時間だよ。一日どころか、まだ半日も経ってねぇぜ。……ぷっ、くく……!」


 大道寺は耐えきれずに吹き出した。

 うつむいたのは、笑いをこらえるためだったのか。

 ……ちくしょう! 決め顔で聞いただけに余計恥ずかしい!


「何一人でブヒヒンって笑ってるのよ……って、犬飼が起きてる!? 早っ!!」

「えっ、えー!? まだ半日も経ってないんですよ!? ……わっ、本当に起きてる!!」


 騒ぎを聞きつけた綺花と葉月は、両手に抱えていた真っ白なシーツとタオルを放り投げ、僕の所に飛び込んできてくれた。

 二人ともずいぶん早い復活だと皮肉混じりに言うが、目には大粒の涙を浮かべている。

 不謹慎だけど、心配してもらえたことが素直に嬉しかった。


「目を覚ましたようね」


 最後に来たのは、ヴァル先生だった。

 いつもと変わらない足取りと、いつもと変わらない表情。

 ただほんの少しだけ疲れているというか、弱っているような感じがした。


「心からお礼を申し上げるわ、犬飼 剣梧」


 片膝を床に付け、ヴァル先生は深々と頭を下げた。


「えっ!? いや、その、どうも……」


 唐突な行動に動揺し、僕も思わず頭を下げてしまう。


「貴方のおかげで、私はまだ役目と役割を続けることが出来る。それと同時に、深く謝罪するわ。私のせいで、貴方に大きな怪我をさせてしまったことを」

「……感謝だけ受け取っておきます。ヴァル先生を守ったことに、後悔なんてないですから」


 むしろ、謝らなければならないのは……。


「僕の方こそ……すいません。せっかくチャンスを貰ったのに……僕はもう……戦うことが……」


 喉が詰まり、僕は最後まで言うことが出来なかった。


 それを、言葉にしたくない。

 誰も、それを言い出したくない。

 世界の終わりのような、重い沈黙が訪れる。


 僕は悔しさのあまり、シーツが破けそうなほど強く握りしめていた。

 隻腕の戦士は居ても、両足がない戦士など居やしない。


 僕はここで……リタイヤだ。

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