第38話 僕らの先生


 僕は、光を求めるように手を伸ばす。


「ヴァル先生……。こっちに……こっちに戻ってきてよ……。そこは危ないんだ。そこに居ちゃ……ダメなんだ……」


 気がつけば僕は、そこに向かってふらふらと歩き出していた。

 ヴァル先生を、返して欲しかったから。

 僕の日常が……また壊れてしまうような気がしたから。


「って、オイオイ。急にどうしたんだよ、ヴァル先生? 戻ってきたって、いつも学校で会ってるじゃんよ?」


 ジローの言葉を聞いて、ヴァル先生は神妙な顔で俯いた。

 そして、ゆっくりと重い口を開く。


「……そう、あの時の記憶が無くなっているのね。私も、何が起こったのか未だに整理が付けられていないわ。けれど貴方たちは、あの日の夜に――」


 初めに気づいたのは、僕だった。


 何の音もなく、何の気配もなく、まるでうごめく影のようにそれは現れた。

 ヴァル先生の死角に忍び寄り、影は膨らむように大きくなる。

 影は――線の細い男は、背丈の倍以上もある巨大なパドル(カヌー用の櫂)を振り上げる。


 初めに気づいたのは、僕だった。

 そして初めに動いたのも、僕だった。


 振り下ろされる、巨大なパドル。

 その先端には、血のように赤い爪が付いている。


「危ないっ!!」


 隙を突かれて反応が遅れたものの、ヴァル先生は抱いていた三人を突き飛ばしながらそれを回避する。


 ――いや、しようとしていた。

 突き飛ばしたハズの三人が、ヴァル先生の腕や服、それに足を掴んで離さない。


「えっ……? 貴方たち、いったい何を……?」


 予想外の事態に、さすがのヴァル先生もフリーズしてしまう。

 避けようとしたのに、助けようとしたのに、その生徒たちに拘束されているのだから。


 初めに気づいたのは、僕だった。

 コイツらの狙いは、最初からヴァル先生だったんだと。

 そして初めに動いたのも、僕だった。


 返せ。その人は、僕の恩人だ。

 返せ。僕の日常を。


「返せ! その人は、僕らの先生だ!」


 振り下ろされた深紅の爪が切り裂いていったのは――ヴァル先生の帽子と、覆い被さるように庇った……僕の両足だった。


「あぁ……」


 思わず、ため息がこぼれた。

 それは、ヴァル先生を守れたことに対する安堵だったのか、それとも両足が無くなったというショックからなのか。


 痛みは無い。

 けれど、おびただしい量の血が溢れ出している。

 ヴァル先生の白い軍服が、赤く染まっていく。

 あぁ……汚してしまってごめんなさい。


「くそっ、あと一歩の所で……!! 貴様のせいで台無しだ!! 貴様だけでも殺す!!」


 線の細い男は怒り狂い、今度こそトドメを刺そうと巨大なパドルを振り上げる。

 絶対にそんなことはさせないと、僕は少しでも多く覆い被さろうと両手を広げた。


 あぁ……僕はまた親しい人を庇って死ぬのか。

 次は、どんな所に行くんだろうか……?


 覚悟を決めた、その時――予想外の人物が目の前に割って入る。


「犬飼はどうでもいいが……女に手をあげるんじゃねぇ、このクソ野郎がッ!!」


 大道寺はまるであやとりのようにヒモを四重に束ね、深紅の爪を弾き飛ばす。


「止められただと!? ……そうか、絶対に切れない魔法のヒモ、<軍神スレイニプル>か。だが、その程度では私を止められんぞ!!」


 線の細い男は、大道寺の脇腹に強烈な蹴りを入れ、力ずくで退かす。

 武器ではなく生身を狙うなんて、僕らよりも全然戦い慣れている。


「なら、これはどう!? 百雷!! サクイカヅチ!!」


 <雷神トール>が激しく放電し、今度は綺花の残像たちが割り込んでくる。


「くっ……次は<雷神トール>かっ!?」


 男は後ろに跳びながら巨大なパドルを振るい、残像たちを掻き消す。

 その隙を狙って綺花と葉月、それに戻ってきた大道寺が立ちはだかってくれた。


「犬飼さん! 今、止血します! だから……だから気をしっかりもって下さい……!!」


 今にも泣き崩れてしまいそうだったが、葉月は嗚咽を漏らしながらも文字を刻み込み、ルーンを発動させる。

 聞いたことがない呪文だったが、意識がぼんやりとしているせいでうまく聞き取れなかった。


 ……なんだろう、凄く冷たいな……。

 見ると、僕の両足が完全に凍り付き、血が止まっているようだ。


「犬飼が……犬飼の足が……!! うわあああぁぁぁーーーーー!!」


 悲痛な叫び声を上げながら、綺花は突撃していく。

 いつものキレイなフォームは見る影もなく、まるで泣きじゃくりながら走る子どものようだ。


「悪いが止まってもらうぜ!」


 ジローが割って入り、小さな黄金の盾で綺花を攻撃を防ぐ。

 ……やっぱり、アイツらは敵だったのか……?


「それは……まさかオレらと同じ、【流るる神々】……? どうしてお前さんたちがそれを持っているんだよ……?」

「うるさい!! 関係ない!! アタシは……アンタたちを絶対に許さない!!」


 綺花の怒りに呼応するように、<雷神トール>は落雷のように激しく放電する。


「……お前さんの気持ちはよく分かる。だがな……」


 ジローは黄金の剣を抜き、その切っ先を……線の細い男の喉元に突きつけた。


「まずは、オレらに話をさせてくれないか?」


 ジローだけではなく、残りの二人も――梓は朱色の弓を、穂乃華は水しぶきがそのまま固まったような水晶を男に向けている。


「シン……なんであんなことをした? お前さん、今、ヴァル先生を殺そうとしただろう!?」

「沙霧(さぎり)、黙ってないで答えろ。どうして先生を殺ろうとした? 返答次第じゃ、身体中に穴を空けてやるぞ」

「シンさん、お願いです。穂乃華は、こんな終わり方はすっごいイヤです……」


 どういうことだ?

 アイツらは、仲間じゃないのか?

 それとも、仲間割れしているのか?

 アレは、作戦通りの行動じゃなかったっていうのか?


 いったい、何が起きているっていうんだ……?


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