Last Sunday

 全く気にならないと言えば、それは嘘だった。


 俺が冬華と一緒にいる時間が増えれば、自ずと陽菜が孤立する時間が増えてしまうのは必然で、それを何とも思わないわけは無かった。

 だから、涼が陽菜を好きだと言って、陽菜は涼と一緒にいることを選んだのは、俺にとってはこの上ない安心材料だ。心のどこかで、冬華とばかり一緒にいるのは気が引ける思いはあったのだと思い返す。

 それからは別行動することが増えた俺たちだけど、それならそれでいい、そう思うのだった。


 俺と冬華は、特にこれといった進展は全くなかった。

 なにをもって進展とするかもよく分かっていない俺なので、なにかしらの変化はあったのかもしれないけど、それに気付くことはできていない。


 毎日一緒に登校して、帰りはたまに図書館で勉強をして帰った。

 昼食は毎日冬華が張り切って弁当を作ってきてくれたけど、申し訳ないが贔屓目にも味の方の上達はみられなかった。見た目は凄く凝っているのだけども……


 休日の土日も低燃費、低出費で派手に遊ぶような事は無く、図書館で勉強して、近くの公園を散歩したりして過ごしていた。

 そんな日々を送るようになって二週間余り。十一月に入って間もなくの本日土曜日も、いつものように図書館で過ごした。

 明日の予定も以下同文、そのつもりだったのだが、二十二時過ぎに冬華から着信が入った。


『あ、もしもし靖人? まだ寝てなかった? 急で悪いんだけどさ、明日の予定変更していい?』

「まあ、別に構わないけど」

『じゃあ、明日の朝までに集合時間と場所、LINEで送っておくから』

「え? 今、教えてくれてもいいんだけど……」

『これから考えるの! 忙しいからもう切るね!』

「ああ、そう……分かった。じゃあよろしく」

『うん! また明日ね!』


 どこか行きたい場所があるのかと思ったけど、どうやらそういう訳じゃないらしい。

 たまにはどこか行きたい気分だったんだろう。どこに行きたいか聞かれなくて本当に良かったと思う。聞かれたところで、何も案は出てこない。



 そして翌日。

 待ち合わせ場所は午後二時半にスタジアムだった。

 スポーツの試合か何かのイベント? もしくは周辺の公園の散策とかだろうか。いくつかの可能性を考慮しつつ、現地に着いた俺は全く期待を裏切られのだった。


「…………プール?」

「そう。プール」


 確かに冬華はいつもとは見慣れないスポーツバッグを肩から下げている。


「いや……俺、水着持ってきてないんだけど……」

「大丈夫! 全部レンタル出来るから! どうせ靖人、水着持ってないでしょ?」

「まあ……確かに持ってないけど……」


 冬華に連れてこられたのは、スタジアムに併設している施設の室内プールだった。入口の案内図を見る限り、競技用というよりはテーマパークとしての意味合いが強そうなプールのようだった。流れるプールや全長50mのウォータースライダーもあるらしい。


「ほら、行くよ靖人」

 冬華は先に受付の方へ歩き出す。


「いいけど……なんでこんな時期にプールなんて発想に至ったんだ?」

「んふふー。靖人に私の水着姿、見せようと思って」

 物凄くニヤついた顔で言われた。

 

 それから受付を済ませ、一通り必要なものは全てレンタルする。水着が競泳用のものではなく、ハーフパンツタイプのものでデザインもいくつか選択肢があったのは救いだった。

 手早く着替えてプールサイドへ出る。

 冬華よりも早く出てくるつもりだったが、冬華は既にプールサイドで待っていた。なぜか威勢のいい仁王立ちで、手には大き目の浮輪を持っている。


「あ! 靖人! 私の水着姿どう?」


 こちらに気付いた冬華は滑らないように小走りで近寄ってくる。


 冬華は白のビキニに身を包んでいて、色んな意味で眩しかった。目のやり場に困るので、やや視線をずらす。ずらすつもりが、どうも主張の激しい胸元にどうしても目がいってしまうのは男の性なのだろうか。


「いいんじゃないかな。似合ってるよ」

「むー。ちゃんとこっち見て言ってよ……」


 腰を屈めてひょいっとこちらの顔を覗き込んで来る冬華。

 ちょっとそのアングルはまずい……つい顔を背けてしまう。


「んふふー。いい反応するね、靖人。まあ、あんまりからかってても時間もったいないから遊ぼ! とりあえずスライダーからね!」


 からかわれるのは重々承知だったが、慣れない状況で冷静に対処することが難しかった。

 ただ、本音を言わせてもらうと、こういうのも悪くはないかな、と思うのだった。


 冬華に手を引かれスライダーへ向かう。


 プール内を見回すと日曜日の昼過ぎだと言うのに、思ったより客入りは少なかった。時期外れのせいだろうか。

 主に家族連れと運動目的のような年配者が多く、若者同士で来ている客はまばらに見受けられる程度。スライダーに言ってみても、並んでいる客は数名程しか居なかった。

 他の設備もマッサージジェットのプールやアロマルーム、ミストルーム等色々あったため、人が一点に集中していないようだ。

 お陰でのびのびと各設備を堪能することが出来た。


 流れるプールでは、冬華は浮輪に乗ってプカプカ浮かんでとても楽しそうにしていた。最初は子供騙しの様な気もしていたけど、たまにはこういう息抜きも楽しいものだな。

 俺もプールなんてくるのはいつ以来だろうか。


 確か中学三年生の時に涼を筆頭とした男仲間数人で、水着女子を見に行こうとかいう下卑た理由で、強制的に市民プールに連れて行かれたのが最後だったか。結局あの時は、真夏の市民プールなんて芋洗い状態で泳ぐこともままならず、本当に水着女子だけを鑑賞して帰ってきたという俺にとっては苦い思い出だ。


 そういえば、陽菜は海やプールには全く行きたがらなかったな。泳げないわけではないはずだけど、何故かは分からない。


 時間が十六時を過ぎた辺りで客足がまた一気に減った。

 日曜は十七時閉店なのと、このプール料金は時間制のためか。気付くと周りには数組しか残っていなかった。



 温水プールといえども、やはり長時間入っていると身体は少し冷える。

 俺達は冷えた身体を温めるために、お湯が張られたホットプールへ移動した。

 先客はいなく、円形のプールで外壁は少し高めに作られているので、入り口以外からは中は見えない。

 ただのお湯なので何の効能もないが、温泉気分で二人だけの空間を楽しんでいた。


「ねえ、靖人。私達が最初に会った時のこと、覚えている?」


 少し、哀愁漂う雰囲気で冬華は聞いてきた。


「最初って中学の入学式の時か?」

「まあ、そうなんだけど、私が言っているのは靖人が最初に話しかけてくれた時の話」

「ああ……うん、なんとなく」


 肯定するように返事をするが、正直あんまり覚えていなかった。


「私は覚えている。今でもハッキリと。陽菜にも話したことないんだけどね。実は私、小学校の時、友達いなかったんだ」


「…………」

 思いがけない言葉で返事に詰まる。


「ちょっと色々あったんだよ。今は理由、聞かないでもらえると有難いかな……それでね、中学入ったら皆知らない者同士だから、いっぱい友達作ろう! って思っていたんだよ。入学前はね。でも、やっぱりすぐは踏み出せなかった。自分からは怖くて、なかなか誰かに話しかけることが出来ないでいた。そんな時、最初に話しかけてくれたのが靖人だったんだよ」


 ああ、思い出した。確かあの時、陽菜が「あの子と話してみたいけど、なんか話しかけづらい」って言っていたから、とりあえず俺がどんな感じか声をかけに行ったんだっけ。


「私にはそれがすごく嬉しかった。他愛もない挨拶と自己紹介程度の会話だったけど、下心を感じさせない温もりと優しさに溢れた言葉だった。だから多分ね、その時から靖人に一目惚れだったんだよ」

 冬華は、はにかみながら笑う。


「別に俺はそんな大した気持ちなんてなかったんだけどな。それに、初めて声をかけに行った理由だって――」


「知っているよ。陽菜に言われたんでしょ。だから陽菜にもすごく感謝している。でも、最初に話しかけてくれたのは靖人だもん。そこは、変わらないよ。だって、その時にどれだけの勇気をもらったか分からない。それからは自然と、誰かに話しかけるのが怖くなくなっていたと思う……いっぱい色んな人に声掛けられたし、ああ、小学生の時とは違う道歩けているなーって実感できた。

 それでも……やっぱり、一番気になっていたのは靖人だった。靖人は陽菜と仲良かったから、気付くと陽菜とばかり話すようになっていた。陽菜と仲良くなったのはね、靖人に近づくためだったんだよ。まあ、結果的に陽菜とは反りも合っちゃったから、陽菜との友情は本物だと思うけどね」


 小学生時代の冬華に何があったのかは分からないが、俺が想像する以上にその闇は深かったのだろう。確かに、最初に見たときはどこか悲壮感に溢れていて、話しかけづらい雰囲気はあった。実際、話してみたら意外と明るく返してくれたので、入学したばかりで緊張していたんだな、程度にしか思っていなかったような気がする。


 しかし、陽菜と仲良くなった理由が俺だと言うことには驚いた。

 冬華から告白されてしばらくしてから、ずっと疑問に思っていたことがある。

 なんで、俺のことを好きになったのだろうと――

 その答えが今の話ならば、冬華は四年以上も俺のことを想っていたということなのだろうか。


「靖人はさ。関わりの少ないその他大勢には無関心だったけど、意外と身近な人には気を配れるし、とても優しかった」


 冬華は立ち上がって俺に跨り、馬乗りの形で向かい合う。


「ちょ……ちょっと待て! なんのつもり――」


 ただでさえ水着という肌の露出が高い格好で、密着されるのは本当にまずい。だというのに、冬華は俺の両肩を押さえ、身体を近づけてきた。


「ふふふ。いいんだよ? 逃げても」

「冬華……近い……」


 出来るだけ状態を逸らし、顔を背ける。しかし冬華は、さらに顔を近づけてきた。


「だからね、靖人は私にも優しかった。今の私があるのは、陽菜との友情と靖人の優しさのお陰……本当にありがとう」


 冬華は優しく微笑んで、さらに顔を近づける。


 いや……ちょっと待て……キスはお預けじゃなかったのか……

 このままだとまた拒絶反応が――――

 不思議と全くなかった――――

 前に感じた激しい頭痛もない、冬華を突き離そうと抵抗することもない。

 それどころか――このまま、受け入れていいとさえ感じる。

 俺になんの心境の変化があったのかは分からない。

 ただ、先に進むには――――


 唇が控えめに軽く触れ、すぐにその距離を離す。


「うん! もう大丈夫だね!」


 冬華は満面の笑みで言うのだった――



 ――――――――――




「もうそろそろ閉店時間だから着替えて帰ろう」


 気付くと冬華はホットプールの入り口部にいた。


「ああ……」


 俺の返事を聞いた冬華は、スッとプールサイドへ消えて行く。

 しかし――俺は、湧き上がる怒りで、なかなか立ち上がれずにいた。


「あのー。そろそろ閉店になりますので……」

 しばらくすると、見回りに来た従業員に声を掛けられた。

「すみません……すぐ出ます……」

 俺は、奥歯を強く噛みしめながら立ち上がる。



 帰り道、お互いに会話は全くなかった。

 冬華はどうか分からないが、俺は自分の感情を抑えることに必死だった。

 電車の中では空席があるにも関わらず、出口の端で向かい合うように立っている。二人とも車窓から外を眺めているだけで、目を合わせることもない。

 たまに横目で冬華の横顔を窺った。

 口元は緩く吊り上がっていたけれど、目元に覇気はは感じられない。

 今、冬華が何を考えて何を思っているかは分からない。

 そもそも俺は自分のことで精一杯で、他を気にしている余裕なんて全くなかった。


 冬華の家の近くの駅に着く。

 冬華は静かに電車を降り、こちらに振り返った。


「そろそろ、あの時の返事、聞かせてよね!」


 振り絞ったような言葉と笑顔で俺を見送る。

 そしてまた、電車は静かに動き出した。




 自宅の最寄り駅に着いた俺は、下車と同時に走り出した。

 頭の中がグチャグチャで、何を考えているか良く分からなくなっている。だからなんとなく走りたかった。何も考えられないくらい、ただガムシャラに走っていたかった。

 土手を越え、遊歩道に差し掛かってもまだ走り続ける。

 足がもつれてバランスを崩したので、転ばないよう体勢を整える。

 一度止まった足はもう走り出してはくれず、息も上がって呼吸が苦しかった。

 ただ、この息苦しさが逆に心地よいと感じてしまう。ランナーズハイもこんな感じなのだろうか。


 遊歩道沿いにある広場のベンチで休息を取る。


 思いっきり走り続けたせいか、少し気持ちは落ち着いていた。

 しかし依然と、感情の渦は激流となって俺の中を蠢いている。


「自己暗示……か。解けてしまったら、まるで呪いの様だな……」


 誰も好きにならないようにしているらしい俺は、その全てを思い出していた。

 自分でも薄々気付いていはいたけれど、やはり暗示のトリガーはキスだった。

 さっき、冬華とキスすることによって、俺の感情の全てが解放された。

 俺自身が抑え込んでいた感情は、恋愛感情だけに留まらず、怒りや悲しみといったものまでも、日常生活に不都合がないレベルまで抑制されていたみたいだ。

 今は、この感情が制御出来ない。


 ただ、今なら分かる――

 何故俺は、キスに拒絶反応を示し、感情の解放を恐れていたのか。

 何故、今のタイミングで、その全てを解放することを受け入れたのか。

 小学生の頃――陽菜にキスをした時、俺は何を想っていたのか――

 忘れいたはずの全てを――


「クソっ!!!!」


 強く握った拳を、ベンチに叩きつける。


 俺はどうしたらいい――俺はどうしたらいい――

 俺は――どの道を選べばいい――


 忘れていたものを思い出せば、すぐに答えが出せると思っていた。


 しかし、実際はそんなことはなく、思い出した感情によって、どうすればいいのか余計に分からなくなっている。

 冬華にキスをされた直後、湧いてきた怒りは自己嫌悪や罪悪感からだった。


「冬華…………」


 名前を呟き、空を仰ぐ。

 空には暗雲――星の輝きは見て取れない。


 そういえば、このベンチは冬華に告白された日、陽菜と一緒に夜空を見上げ場所だったか。

 何故かは分からないけど、ここに陽菜の温もりを感じたような気がする。



「どおおおおおすりゃいいんだよおおおおお!!!!!!」



 いても経ってもいられなくて、生まれて初めて、思いっきり叫んだ。

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