聞き飽きたセリフ

 靖人と冬華の後ろ姿を見送りながら立ち尽くす。


「二人とも行っちゃったね」

 二人の姿が見えなくなったあたりで、涼くんが言う。


 正直、私の頭の中には疑問符が浮かんでいた。

 靖人の心境になにかしらの変化があったのは分かるけれど、それがどういった方向性なのかは想像するしかない。もしかしたら、冬華を完全に振るんじゃないかという不安さえあった。


「涼くん。涼くんは昨日の話、聞いてる?」

「そうだね。立ち話もなんだから、とりあえずそこらへんに座ろうか」


 言われて、ショッピングモール内の通路に置かれている、ベンチソファーへ移動する。


「えーと、昨日のことだよね。靖人から聞いてるよ。その様子だと、陽菜ちゃんも千歳さんから相談があったのかな?」

「んー? 相談っていうか愚痴みたいなもんだったかなあ?」

 さすがに、靖人とキスした話を掘り返されてなんて言えない。


「あ、でも靖人は自分から誰も好きにならないようにしている感じがするからどうしよう、みたいな事は言っていたから色々聞かれたけど」

 私自身にも、キスのトラウマ? にも心当たりは全くなかったけど。


「千歳さんも靖人がそうなんじゃないかって勘付いていたんだね。それについては靖人、自分でも気付いていたみたいだよ」

「え!? 本当にそうなの!?」

「うん。自分で認めてたからね。実はさっきまで、そのことについて相談を受けていたんだよ」

 冬華の話は半信半疑ではあったけど、まさか本人が認めるほどの事実だとは思わなかった。

「靖人がそういう話題で相談するのは珍しいね」

「ははは。もちろん、自分からは話さなかったから、少し強引に聞き出したんだけどね。思っていたよりも真剣に悩んでいた様子だったよ」

「それで靖人、どうするつもりなのかな?」

「とりあえず二人で話し合う事を勧めたよ。話し合って二人で決めればいいんじゃないってね。なんか気合入っていたみたいだから、変に空回りしてなきゃいいけどね」

 涼くんは楽しそうに笑う。


 確かに、あんな強引に行動する靖人を見るのは珍しい。それなのに、空回りしている姿は容易に想像できるものだから、涼くんも同じ姿を見ているのかもしれない。

「靖人はかなり前向きに考えている感じだったよ。千歳さんの返事次第だけど、今後は結構、うまくやれるんじゃないかな」


 冬華次第、それなら間違いなくうまくいくに決まっている。

 靖人も前向きに考えているなら、私が心配することは何もなかった。

 もう二人は大丈夫。

 そう思ったら、気持ちがスーっと軽くなるような気がした。


「ねえ涼くん。せっかくだから、このままどこかで遊んで行かない?」

 私はベンチソファーから立ち上がって涼くんに手を差し出す。


 涼くんは急な私の提案に少し驚いてる様子だったが、少し考えてから「よろこんで」と、私の手を取り立ち上がった。


「ねえ、どこいこっか?」

「僕はどこでもいいよ」

「うーん……涼くん、ボーリングとか行く?」

「ボーリングは得意だよ。陽菜ちゃんじゃあ太刀打ちできないかもね」

「あー! 舐めてると痛い目にあうよ!」

「はは。楽しみにしてる」


 そして私たちは、駅から少し離れたところにあるボーリング場へ向かった。

 平日の昼間でもそれなりに客は入っていたが、その大半がマイボール・マイシューズ・マイプロテクター持ちの人ばかりで、大人数で来ている人はほぼ見受けられない。

 私たちはボーリング5ゲームを投げてから、併設されているゲームセンターでしばらく遊んでから帰路に着いた。


 帰り道、涼くんと二人並びながら駅へ向かう。


「うう……もうちょっとで勝てそうだったのに……」

 私は二枚のスコアシートとにらめっこしながら歩いていた。


「女の子がそれだけのスコア出せたら上々でしょ。本当に負けるかと思ったよ」

「どうせなら勝ちたかった……」


 ちなみに涼くんのスコアは最高187、平均165。やや波がある結果だった。

 それに対して私のスコアは最高172、平均163。そこそこ安定した内容だったが、平均値が2ピン及ばなかったのは非常に悔しい。

 お互いのスコアが拮抗していたので、かなり白熱したとても楽しいゲームだった。

 スコアシートを見ながら、ここのとここのスペア取れなかったのが痛かったなあとか、地味な反省会を自分の中で繰り広げている。


「僕は靖人と何回かボーリング行ったことあるけど、陽菜ちゃんは結構あるでしょ? 靖人には勝てたことあるの?」

「あんなのに勝てるわけないじゃん……」

「ははは、そりゃそうか。僕も調子いい日でも勝てないや」


 なんでもお手の物の靖人は、遊びに行ってもその力を発揮する。

 ボーリングについては平均190以上、3ゲームに一回は200オーバーを出すので、私なんかじゃ勝負が成立しない。

 1ゲーム単位だったらスコアが上だったことは何回かあるけど、まあその程度なんだよね。


「負けちゃったけどとっても楽しかった。また来ようね、涼くん」

「僕で良ければいつでもお付き合いしますよ」



 駅に向かう道のりで、少し狭い路地に差し掛かる。


 私はスコアシートの一枚を涼くんに返し、自分の分を仕舞おうと鞄を開ける。

 歩きながら鞄を漁ろうとしていたので、すれ違う人に肘が当たってしまった。


「あ! ごめんなさい」


 言うと同時に、バシャアっと水が地面に打ち付けられる音がした。

 振りかえって地面を見ると、テイクアウト用のコーヒーカップが転がり、その周りにはコーヒーが広がっていた。どうやら私とぶつかった衝撃で落としてしまったようだ。


「あーあ。まだ一口も飲んでないのにどーしてくれんの?」


 そう言ったのはコーヒーの持ち主と思われる、金髪でいかにも遊んでいる風な男性。ホストのような雰囲気はないから、多分大学生かな? その人の他に似たような雰囲気の茶髪の友達が二人一緒のようだ。金髪大学生がとても威圧的に私を睨みつけている。


「ねえ? どーしてくれんのかって聞いてんだけど?」


 グイっと上半身を前のめりにし、手を伸ばせば触れられそうな距離まで詰め寄ってきた。

 私はそれに圧倒されて一瞬、頭が真っ白になる。

 全身に冷や汗が流れた。出来るだけ頭をフル回転させ、次の行動へ移す。


「ご、ごめんなさい! べ、弁償しますね!」


 鞄から財布を取り出そうとすると、その大学生は強引に私の右手首を掴んだ。


「いいよ、弁償なんて。それより君さあ、めちゃくちゃ可愛いから、ちょっとこれから俺たちに付き合ってよ。それで許してあげるからさあ」

 そう言った金髪大学生の、とても悪意の感じる笑顔に全身が硬直する。どうしていいか分からず、声も上げることもできない。


 すると涼くんが掴んでいた金髪大学生の手を叩き落とし、私の前に身体を被せた。


「僕達これから帰るんですよ。コーヒーの代金はお支払いするので、それで勘弁してもらえないでしょうか?」

 涼くんはいつものようなニコニコした笑顔で大学生に言った。


「あ? お前なんだよ? こいつのカレシ?」

「いえ、友人です」

「カレシじゃねえなら固いこと言わないでさ。ちょっとその子貸してくれよ」

「出来ませんね。代金はお支払いするのでお引き取りください」


 涼くんは金髪大学生の威圧的な態度に、臆することなく立ち向かっている。

 涼くんの手を引いて逃げることも考えたが、いつの間にか金髪大学生の友達が私の背後に回っていた。退路は断たれてしまう形となる。


「ふーん。なんかお前気にくわねーわ。ここじゃ人目につくからちょっと場所変えよーぜ」


 すると私の背後にいた金髪大学生の友達が、私の両手を後ろで縛るように拘束する。


「まあ、黙って付いてこいや」


 私の置かれている状況を把握した涼くんは言われるがまま、歩き出した金髪大学生の後を付いていく。



 連れて行かれた先は、ほとんど人目に付かないようなビルの隙間の路地だった。

 恐らく叫び声さえもビルにかき消されて、周りにほとんど届かない。

 私は手を後ろで拘束されたまま震えていた。あまりの恐怖に涙も滲んできている。

 それでも、涼くんは冷静に大学生と対峙していた。


「なんか俺もさあ、中途半端に引けない状況だから、おとなしくその子渡してくれれば手荒なことはしたくないわけよ。で、そこんとこどう思う?」

「中途半端に引けないのは僕も同じですね。ただでさえこんな目に合わせてしまっているんです。僕は彼女を無事に家に帰したいと思うだけですよ」

「はあ? お前分かってねーな。場合によっては手荒な手段とるぞって言ってんだけど」


 すると手の空いていた茶髪大学生の一人が、涼くんの後ろから両脇をホールドする。


「まあ、言うより身体に分からせてやった方が早いか」


 そう言って、金髪大学生は涼くんに強烈なボディブローが炸裂した。


「涼くん!!」


 もがいて涼くんの元へ掛けようろうとするも、私を拘束している大学生の力が一層強くなる。


「がはっ…………ゴフっ……ゴホっ」

 涼くんは膝をつき、腹を抱えながら苦しそうに咳き込んでいる。


「な? もういい加減諦めろって」


 金髪大学生は見下した目で言葉を吐き捨てる。

 涼くんは息を荒くしながらも、立ち上がり言った。


「はぁはぁ…………分かってないのはあんた達の方だ! 僕は何をされてもここは引かないし、絶対に彼女を傷つけることはさせない!」


 普段見ることはない涼くんの声を荒げた立ち向かう姿に、私は完全に目を奪われていた。

 このときだけは恐怖も忘れ、全身の震えも止まっていたと思う。


「言うじゃねえか色男。けど……今のはさすがにキレたぜ!!」


 金髪大学生が涼くんの左側から思い切り蹴り飛ばし、その勢いでビルの壁に打ち付けられる。そしてそのまま、壁にもたれかかるようにして動かなくなった。


 私はその姿を唖然として見つめている。


「あ、そーだ。ねえ、君。君が俺達と是非一緒に遊びたいって言うならそれで問題解決だよね? 本人の意見は主張すべきだから、こいつが何言っても無駄ってことで。って言ってもこいつ、動かねーんだけど」

 金髪大学生は高笑いをした。


 確かにそうだ。私がこの人たちと一緒に行くと言えば、涼くんはもうこれ以上痛めつけられなくて済むはずだ。

 でもその先の自分の状況を考えると、言い表せない恐怖が再び私を襲う。

 結局私は、口を開くも言葉を発せられずにまた震えだしていた。


 すると涼くんはズボンのポケットからスマホを取り出し、画面を金髪大学生に向けた。


「あ? なんだそれ?」


 金髪大学生がその画面に目を向けると、だんだん表情が荒々しいものになってきた。


「てめえ……サツに電話なんかしていやがったのか」


 涼くんは壁にもたれかかった状態で、右手を差し出したまま不敵に笑った。


「ちょっとした操作で、簡単に緊急信号送れるようになっているんですよね。今のスマホって。ここまで歩いてくる途中に、ポケットの中から発信させてもらいました。もちろんこれは通話中。今までの会話も届いているんじゃないですかね? GPSで端末の位置情報も分かるようになっているから、直に駆けつけてくれる頃合いだと思うんですけど……」

 そう言って通りの方をチラっと見た。


「ちっ……シラけた真似してくれるじゃねか…………おい、放してやれ」


 金髪大学生が言うと、茶髪大学生は私の拘束を解放した。


「行くぞ……」


 そうして大学生三人組は、通りの方へ去って行った。



 私と涼くんの二人は、そのまま路地に取り残される。

 緊張と恐怖の糸が切れた私は、力なくその場に座り込んだ。


 涼くん! 涼くんの元に行かないと! きっと怪我をして動けない。だから私が動いて助けないと――

 心の中で葛藤するも、脱力感のせいでなかなか身体が思うように動いてくれない。


 すると私の目の前に手が差し伸べられていた。


「大丈夫? 立てる?」

 顔を上げると涼くんが優しく微笑んでくれていた。


「うん……大丈夫」

 私は、その手を取り立ち上がる。


「涼くんこそ大丈夫? 怪我、してない?」

 声が震えた。色んな感情が入り乱れて心の中がぐちゃぐちゃだ。


「僕は平気だよ。気にしなくても大丈夫」

「ごめんね……私のせいでこんなことになっちゃって」

「陽菜ちゃんのせいじゃないよ。ただ、運が悪かっただけだって」

「でも……私がもっと気を付けていればこんなことには……」

「そんなに自分を責めないで。今、二人とも何事もなく無事だったんだから、それだけでいいじゃないか」

「うん……ありがとう……」

 涼くんと話すことで、心の中は少しずつ平穏を取り戻してきている。


「とりあえす帰ろうか」

「うん、帰ろう」

 私は、溢れだす涙を必死にこらえていた。



 翌日。私はいつも通り冬華と登校した。

 昨日の事はお互い話題には出さなかったが、冬華の機嫌の良さを見るだけで、なんとなく雰囲気で察するものはあった。


 教室に入ると、一つの机の周りに人だかりが出来ていた。


「どうしたんだよ、その腕」

 翔太くんが机の中心の人物に問いかける。


「いやあ……昨日、自転車で派手に転んじゃって」

「折れてんのか?」

「んー……まあ……ポッキリと……」

「冬の球技大会どうすんだよ! 涼はうちのクラスのエースなんだぞ!」


 それを聞いた私は、慌てて人だかりの中に割って入る。


「あ、陽菜ちゃん。おはよう」

 人だかりの中心にいた涼くんは、いつもと同じ笑顔で私に朝の挨拶をした。


 しかし、いつもと同じはずの涼くんの左腕は、全体に包帯が巻かれて三角巾で吊るされている。


「涼くん! ちょっと来て!」


 私は涼くんの右腕を強引に引っ張って、教室の外へ連れ出した。



 勢いのまま涼くんを引っ張り続けて、結局屋上庭園まで来てしまった。

 朝のこの時間は誰もいない。


「陽菜ちゃんどうしたの? こんなとこまで連れ出して」

「どうしたのはこっちの台詞! 左腕! 全然平気じゃなかったじゃん!」


 涼くんは自分の左腕を見つめる。


「ああ、これはあの後自転車で派手に転んで――」

「嘘! そんなわけないじゃん!」

 声を荒げる私を見て、涼くんはふぅっと小さくため息をついた。


「残念、誤魔化されてくれないんだね……そうだよ。痛みが残っていたから、あの後念のため病院に行ったんだ。そしたらちょっとね……折れていたみたい」

 本当になんでもないように、涼くんは笑顔のまま話していた。


「ごめん……ごめんね……私のせいでこんな大怪我させちゃって……」

「だから陽菜ちゃんのせいじゃないよ。少なくとも、僕が好きでやった結果だ。陽菜ちゃんが気にすることじゃない」

「でも……やっぱりそんな風に思えないよ……本当に私……どうしたらいいか……」

 次第に、涙が零れ落ちて止まらなくなっている。私は両手で顔を覆った。


「仕方ない……少し、言い方を変えるね」


 そう言ってから少し間が空き、涼くんは再び口を開いた。


「誰にでもね、こんな身体張ってまで守ろうなんてさすがの僕でも出来ないよ。僕にとって、陽菜ちゃんは特別だからこそここまでやれたんだ。腕一本くらいで君を守れたなら、僕にとっては本望なんだよ」


「え……? それってどういう――」


 私は両手を顔から外し、涼くんを見た。


 何回も言われた。

 何人にも言われた。

 そんなうんざりするほど聞き飽きた台詞を、涼くんは私に言った。


「佐倉陽菜さん。あなたのことがずっと好きでした」


 それは、なんの飾り毛もないストレートな告白だった。

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