小高い丘の公園で
女子のようにだらだらとしゃべり続け、パンケーキ屋を出るときには午後の二時を過ぎていた。涼が他愛もない話題を、あれこれ際限なく振ってきたせいだと俺は思う。
滞在時三時間。行列が出来ている店に居座る時間としてはかなり長い。第一陣で入店した中では確実に最後の客だった。
会計時に店員の眼が笑っていなかったのは、言うまでもないだろう。
それから俺たちは、駅に隣接するショッピングモールへ行った。
色々な種類の店舗を構えるこのモールで、今回の目当ては大型書店。ここらへんの書店の中ではかなり品揃えがいい。目的がないのに小一時間ウロウロしても、全く飽きがこないほどだ。
俺たちは書店へ向かうのに、両脇が女性用の衣類専門店の通路を歩く。
そして、その店舗の一つから出てくる二人組に鉢合わせた。
「陽菜……冬華……」「靖人……と涼くん……?」
店から出てきた二人組は陽菜と冬華だった。
俺と陽菜は、ほぼ同時に声を上げた。
どうしようもないくらい回避不能な真正面からの鉢合わせ。まるで計ったかのような絶妙なタイミングで冬華と顔を合わせたことに、思考が一時停止する。
冬華は陽菜より一歩後ろに下がり、視線はうつむき加減で下を見ていた。
互いに足を止め、向き合う形で動けない。四人の空気が張り詰めているのを感じる。
さすがに何も言わずに、この場を去るようなことは出来る状況ではなかった。
しかし、この場を切り抜けるための言葉が出てこない。
二人の様子からして、服を見て回っていたのだろうか。とりあえず書店が目的ではなさそうだ。目的が違うのだから、この場は適当にやり過ごして早く書店へ――
そんなことを考えているうちに、最初に言葉を切り出したのは涼だった。
「やあ、二人とも奇遇だね。二人は買い物かな? 僕達は本屋へ向かうつもりだったんだけど、せっかくだから皆でカラオケでも行こうか?」
せっかくの意味が分からない。何故わざわざ共通の目的を作ろうとするんだ。それにこの状況でカラオケって、とても楽しめる様な空気じゃないと思うんだが。
「あ、ごめん。カラオケは午前中に行ってきたから……」
陽菜が申し訳なさそうに言う。
「そっかあ。じゃあとりあえず四人で喫茶店にでも入ろうか?」
涼は間髪入れずに次の提案をする。
だからなんでだよ。さっきまでパンケーキとコーヒー三杯飲んで、こっちは胃袋に余裕はないんだよ。それにこのまま喫茶店に入って、この空気引きずってどうするつもりなんだ、コイツは。
「うーん。私達、さっきご飯食べたばっかりだから、今はお腹に余裕はないかな」
陽菜達も食直後だったようで助かった。
「えっと。じゃあゲーセンかボーリング? あ、ちょっと気になっている映画あるんだけど、良かったら皆で行ってみない?」
涼は次から次へと提案を出し続ける。
陽菜は「えーっと……」と、冬華をチラっと見ながら返答に困っている様子だった。
多分、陽菜は冬華から昨日の話を聞いているのだろう。俺と冬華の様子を、交互に窺うような素振りを見せる。
「ねえ、靖人」
涼はこちらを見据えて声をかけた。
「靖人はどうしたい?」
どうって、俺はとりあえずこの場から――
そう言おうとしたが、声には出なかった。
俺を見る涼の目が、全てを物語っていたからだ。涼は最初から、四人で行動する気など全くなかったのだ。ただ場を繋ぐだけの時間稼ぎでしかなかった。
それは、俺にどうしたいと聞きつつも、お前のやることは一つしかないだろう、と言っているようなものだった。
俺は冬華を見る。
さっきと変わらず、陽菜の後ろで俯いているだけだった。
本当に自分が情けなくなる。
先ほど涼と話していて、冬華と向き合おうと思った。
ちゃんと話をしようと思った。
しかし、不意打ちで本人を前にしたら、逃げることばかり考えていたようだ。
結局俺は、冬華を傷つけることを恐れて立ち止まっていた。
踏み出さなければ始まらない。
「冬華」
言いながら俺は、冬華の傍に歩み寄る。
「二人きりで話がしたい」
そして冬華の手を取った。
「場所を変えよう」
半ば強引に、冬華の手を引き歩き出す。
「え!? ちょっと、靖人――」
冬華は驚いた様子だったが、特に抵抗することなく俺に手を引かれていた。
「陽菜ちゃんの事は任せておいてよ」
涼はすれ違い際に、俺の耳元で囁くように言った。
俺は特に、何の反応も返さずに前へ歩き続ける。
そしてそのまま、俺と冬華はショッピングモールを後にした。
ショッピングモールを出てから、駅とは反対方向へしばらく歩いた。
「靖人! どこまで行くの?」
俺の後ろから、手を引かれ続けている冬華が声をかける。
言われて俺は立ち止まる。
「え……ああ……考えていなかった」
これから冬華に話そうとしている事を、頭の中でゴチャゴチャ考えながら夢中になって歩き続けていた。つまり、行き先についてはノープランということだ。
「ふふ。なにそれ。靖人ちょっと落ち着いて」
クスクス笑う冬華の姿を見て、少し肩の力が抜けた。そのままスルッと、握っていた手を離す。
しかし冬華は、離れた手をすぐに握り返してきた。
「今日は逃がさないんだから」
ニヤーっと悪戯な表情を浮かべる冬華。
「もう逃げないって」
俺はバツが悪そうにソッポを向く。
「私、あそこ行ってみたい」
冬華はショッピングモールの奥の方を指差した。
その先には、芝生に覆われた小高い丘の展望公園があった。
点在するショッピングモールに挟まれる形で位置している、非常に目立たない公園だった。比較的、駅の近くだと言うのに人気はいつも感じられない。
「あそこでいいけど……このままで行くのか?」
「このままって?」
「いや……手、繋いだままだし」
俺はチラっと握り合っている手を見る。
「さっきは靖人の方から繋いでくれたじゃん」
「冷静になると恥ずかしいものだな」
「ふっふーん。靖人が恥ずかしいとか言うの珍しいなー。うん! このまま行こう!」
今度は俺が冬華に引っ張られる形で歩き出す。
公園は舗装された歩道を少しだけ登ると、開けた芝生広場が広がる。広場には遊具などは無く、ベンチが三つ置かれているだけだった。そして反対側にも歩道があり、登って広場を通って降りると言う構造になっている。
公園下には普通に道が整備されているので、わざわこの公園という坂を登って降りる人はいない。今もすでに、俺と冬華の二人しか居なかった。
二人でベンチに腰を掛ける。
少し歩けば賑わしくなる町並みの中で、ここだけが切り離された別の空間のような静けさがあった。
「で、話ってなにかな?」
そんなウキウキした顔で聞かれても困る。これじゃあ、さっき食べたパンケーキの話題しか切り出せない。
「えっと……そうだな……何から話そうか」
ペースが逆転したせいで、用意していたセリフがリセットされてしまった。
冬華は黙ってこちらを見ながら、話が切り出されるのを待っている。しかし、俺は言葉に詰まって、なかなか口が開かない。
「……………………靖人って、いくじなし?」
「慣れてないんだよ。こういうの」
主導権がまた、遠のいた気配がする。このままじゃ、ダメだな。
「まだ、ちゃんと謝ってなかった。昨日はごめん」
「うん」
「昨日、帰ってから考えた。なんで、あの言葉を引き合いに出したか。なんで、あの言葉に興味を惹かれたか。ずっと考えてた」
「うん」
「俺は今まで、恋愛感情が分からないとか散々言ってきたけれど、どうやらコレ。自分で望んだ結果らしい。自分自身で誰も、好きにならないようにしているみたいなんだ」
「そう……なんだ」
「涼には強い自己暗示だって言われたよ。でも、きっかけや原因は全く覚えてないし、思い出せる兆候もない。でも、このまま思い出せないままじゃ、ちゃんと冬華を好きになれそうにもないんだ。だから――」
「ちょっと待って」
冬華は手のひらを俺の前に差し出す。
「今、ちょっと気になったんだけど聞いてもいい?」
急に制止された俺は、頷きだけで返事をする。
「それって私の事、好きになるつもりでいてくれるってこと?」
「そのつもり……だけど?」
すると冬華はニヤニヤ笑いだした。
「えへへへ。そっかー。それならそれで問題ないかなー。これはこれでアリだよね」
独り言のように言いながら一人で楽しむ冬華。
「問題ない?」
「うん。靖人があえて、誰も好きにならないようにしてるんじゃないかって、私も少し思ってた。だからさっき、陽菜にも心当たりないか聞いたんだけど、有力な情報はでてこなかったな。靖人自身も自覚しているみたいだし、手詰まりかなーって思ってたんだけど」
えへへへ。と、また笑いだす。
「靖人が私の事、好きになるつもりでいてくれるだけで充分だなって思った。今までちゃんとした意思表示、してくれた事なかったから。だから私の中で、靖人は何がきっかけでそんな考えになったかなんて問題ないんだよ」
「冬華……」
確かに涼の言うとおり、話をすることはとても大切なことだったようだ。
俺は最悪、それなら一緒にいられないと、言われることまで覚悟していた。全くの杞憂に終わってしまったようだが。
「俺は、俺の忘れていた記憶を思い出したいとは思っている。そうしないと、冬華にちゃんと返事が出来ないからな」
「うん。焦らなくていいんだよ。えへへへ」
冬華の表情は依然、緩み切ったままだ。
結局、自前にあれこれ考えていた言葉は、ほとんど使われることはなかった。思い返してみても、言い訳紛いのろくな内容じゃなかったと思う。
だからこれで良かった。
俺は冬華を好きになると決めて。誰かを好きになる感情を思い出すと決めた。
それが冬華に伝わるだけで良かった。
冬華もそれを受け入れてくれたようだ。
フラフラと獣道を歩いていたのが、やっとまともな道を歩き始められるような気がした。
「ねえ、靖人。今度はちゃんとキスしてくれる?」
予想だにしなかった言葉に、心臓が飛び出そうなくらいの衝撃が走った。
まさか昨日の今日で、この話題になるとは思ってもみなかった。
「………………今度ね……機会があれば」
一応否定だけはしない形で返答する。
「えーー!? 私の言う『今度』って、『今』ってことなんだけどー」
冬華は身体をこちらに移動し、顔を近づける。
俺はそれを直視出来ず顔を逸らすが、その距離は結構近い。
頬に微かだが、吐息がかかるのが分かる。
「今はちょっと……心の準備が……」
「男なんだからガツンとやっちゃえばいいでしょ!」
「そういのうは……ちゃんと返事してからでも……いいだろ」
「ダメだよ! 靖人の気が変わらないうちに、出来ることはやっておかないと!」
「それに……恥ずかしいし……」
すると冬華は、スッと俺から身体を離した。
「あー、今のナシだわ。靖人の『恥ずかしい』は一日一回までなんだから、二回もされちゃうと希少価値下がっちゃう」
「俺の言葉に希少価値なんかないよ。あんまり適当な事言っていると、毎日連呼してやるぞ」
「あー、それは嫌だなあ。ま、今回はお預けってことで勘弁してあげましょう」
何故キスについての主導権が、冬華によって握られているかは疑問に残るところだが、今回は諦めてくれるらしい。
出来れば、しばらく諦めていてもらいたい。
毎度迫られるようじゃあ、身体が持たない気がする。
ちゃんと返事をした後がいいとか、心の準備が出来ていなくて恥ずかしいとか、本音ではあるのだけれど、今キスを断った理由は別にあった。
冬華にキスの話を振られてから、冬華が俺から離れるまでの間、激しい頭痛と耳鳴りに襲われていた。
意識が飛びそうなくらいの激痛で、言葉を絞り出すのもやっとの状態だった。
昨日よりも強烈な拒絶反応。キスに対する警告だった。
理由は分からない。過去になにかしら関係があるのだろうか。
それは、今の俺が知るところではない。
少なくとも分かるのは、誰かとキスをしてはいけないと、俺の底に眠る何かが告げている事だけだった。
「今度は、靖人がしてもいいと思えるようになった時、靖人からしてもらいたいかな」
「そうさせてもらうよ」
冬華の言葉にホッと胸を撫で下ろす。
とりあえずこれで丸く収まったはずなのに、言い知れぬ不安だけが込み上げてくるのだった。
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