第14.5話 未来戦術『クイックモーション』
百合ケ丘繊維の朝は早い。そして一日は忙しい。
朝起きて繊維工場で働いて――GHQからの新繊維受注がかかっているから大忙しだ――午後は新東都スタヂアムで練習。何せ俺のクビがかかった試合まであとわずかしかない。やれることは徹底してやるしかない。
「渚、なかなかうまくなってきたな、『クイックモーション』」
俺は投球練習中のエースに声をかけた。ランナーがいるときは投球動作を簡略化し、素早く(クイック)投げ走者を釘づけにする――文字にすれば至極単純だが、これでも向こう30年は開発されない『未来戦術』なのだ。この世界で有効なのは間違いない。
「ありがとう、エージ。でもクイックだといまいち力が入らないのよね…」
渚が思案するように腕を宙で振った。
「そうだよな。ただえさえ渚は二段モーションで動作が大きいからな」
俺もあごに手を当て考える。確かに見かけだけなら形になっている渚のクイックだが、普段よりも目に見えて球威が落ちている。
多くは打者のタイミングを外すために用いられる二段モーションだが、渚の場合はそれだけでなく、自分の投球リズムを計るバロメーターでもあるということか。
「“後の先”よ、渚」
と、そこにマスクを脱いだ剛力さららが歩み寄ってきた。
「ゴノセン?」
「…………」
俺がわけがわからず首をひねっていると、守備練習を中断した八重ちゃんも走り寄ってきた。
「…………」
「………………」
「ああ、そうね。ちょっとやってみるわ」
「今のでなんのコミュニケーションが取れたんだ!?」
驚く俺を尻目に、3人が元の位置に散る。さららがマスクをつけ、ミットを軽く叩き真ん中に構えた。再びクイックから直球を投げ込むと――
――スパン。
「おっ……!?」
俺は目を見開いた。これは、普段と遜色ない威力のストレート……
「ありがとう、八重、さらら」
「ちょちょちょっと待て、説明してくれ。センノゴだかゴノセンってなんだ? クイックと何か関係あるのか……?」
「“後の先”っていうのは――エージみたいな一般人には難しいでしょうけど、武道でよく用いられる概念ね。先に動かずして相手の先を取る……といえばわかりやすいかしら」
と、さららの解説。なるほど。要はカウンターに近いものらしい。だから八重ちゃん、渚、さららの武道家3人が瞬時に理解できたということか。
「渚の脳内では、制止状態からすでに“一段目”の投球モーションが開始されている」
「そして、俺たちが実際に見ているモーションは実は“二段目”……だからクイックでも二段のときと変わらない球が投げられたっていうことか」
俺も納得すると同時に感心していた。確かに弓道とは対人戦ではなく、己の勝負。ベストの軌道を常に強烈に頭に描き、その軌跡をトレースすることが求められる。渚には精神力や動体視力だけでなく、並外れたイメージトレーニング力も備わっているらしい。
「とはいえ、かなり頭使って疲れるからほんとはやりたくないけどね!」
と朗らかに笑う渚。
「エージ。私たちの野球、古臭い戦術ばかりだって馬鹿にしてるかもしれないけど――」
「そんなことねえよ」さららの舌鋒に思わず苦笑する。
「いや、渚のクイックには本当に感動したよ。武道にもまだまだ学ぶところがありそうだな」
「『未来戦術』にだって負けてないでしょ」誇らしそうなさらら。
ああ、と俺は強く頷いた。今の百合ケ丘繊維にあるのはジョー、冥子、そしてセイバーメトリクスという新戦術だけじゃない。彼女たちのポテンシャルを引き出せるかどうかも俺の手腕にかかっているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます