第23話 バックルームディール②

「盗み聞きっていうのは……」

 あんまり気持ちいいもんじゃないな、と俺はスマホをポケットにしまいその場を後にした。といっても、内容は一割も聞き取れなかったのだが。


 夕暮れのグラウンドに俺はひとり立ち尽くしていた。今日、ナインには練習を早めに切り上げさせ休養を取らせるようにしている。今頃八重ちゃんを中心に夕食の準備をしている頃だろう。


「『ヒット・エンド・ラン』は……1900年代の戦術はさすがに子供だましすぎるか。相手の戦力がわからない以上、塁に出たらかき回すしかないな……とすれば足があるつるちゃん&冥子がカギだよな……だとすると1番2番にはおけないから少し離すか……」


 俺がぶつぶつ呟きながら歩いていたとき。工場の焼却炉横、手洗い場の近くで人影が動いた。

(あれは……冥子?)

 人影は確かに濃紺のセーラー服、不動冥子だった。

(あいつ、食事の準備もしないで……)

 俺が説教をくれてやろうと近づこうとしたとき。

 彼女の足元に白いものが落ちているのが目に入り、足が止まった。

「これは……包帯?」

「……誰だッ!?」

 気配に気づいた冥子が振り返り、目を見開く。彼女は両手を水に浸していた。その手にはいつも巻いているバンテージ代わりの包帯がなく……

「どうしたんだ、冥子」


 練習でケガでもしたのか? と近寄った俺は言葉を失った。その両の手のひらが無残に焼けただれていたからだ。


 言葉を失った俺の前で、冥子が足元の包帯を拾い上げた。そのまま水をはったタライに浸すと、俺の存在など無視して洗いだす。ぎゅぎゅっと絞り水気をとった冥子がようやっと口を開いた。


「暗黒街ってのはな、戦争孤児の集まりなのさ」

「戦争、孤児――」

「そうだ。先の戦争で親が死んだり、家が焼けちまった子供たちが集まって住んでるってこと」

 もちろん、法も何もありゃしねえ。盗み、暴力、詐欺、そっちは日常茶飯事だがな。GHQの“人狩り”だって酷いもんさ。百合ケ丘繊維に連れてこられたあたしなんて全然いいほうだよ、ほかの連中なんて――


 そこまで言いかけて冥子は口を噤んだ。乾いた唇をゆっくりと舐め、言葉を探している。

「だから、エージ。雪村との試合、悪かったな」

「あ、ああ」

 冥子の暴力行為で没収試合になったときのことを言っているのだろう。彼女の口から謝罪の言葉が出てくるとは予想だにしていなかったが、なぜ、今なのか。なにが「だから」なのだろうか。


「あたしは、もうあんな無法はこりごりなんだ。戦争だってそうだ、あんなの無法の極みだ。わかるか、エージ」

 冥子の視線が下、自らの両手に落ちる。無残にやけただれ、硬くこわばりひきつった皮膚。

「あたしの傷は目に見えるだろ。包帯で隠しちまえば見えやしない。でも……百合ケ丘の連中だって、目には見えない、ここに傷を持ってるはずなんだ」

 冥子が胸をドンドンと叩く。


「大丈夫だ、冥子」

 俺はようやく口を開いた。そして両手で冥子の手を包む。彼女の目が意外そうに見開かれた。

「俺たちは今、野球をやってる。ルールのない殺し合いをしてるんじゃない。冥子が言いたいのは、そういうことだろ?」

「あたしにだって、自分が何言いたいかわからねえけど――」

 多分そういうことだと思う、と呟きを、俺は確かに聞いた。

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