第22話 バックルームディール①

 試合は一週間後の土曜日と決まった。


 サンライズナインは徹底した『未来戦術』の反復練習。相手の出方がわからない以上、こちらは未知の戦略といままで培った技術で勝利をつかむしかない。


「ナイスボール!」

 渚の球を受けたさららが大声とともに返球する。

「渚、SFFの精度もなかなかよくなってきたみたいだな」

 さららのキャッチングもいいぞ、と俺はバッテリーに声をかける。


(何しろ、バッテリーが試合を作らない限りはどうしようもないからな……)


 工場のほうも、所長が稼働時間を縮めて練習時間にあててくれている。なんとしても勝たなければならない。決意を固めた俺はナインに告げた。

「ちょっと、トイレ行ってくるわ。引き続き守備練習しといてくれ」

「きゃあー」両耳を押さえて麗麗華がかわいらしい悲鳴を上げる。

「なんでやねん」


 男子トイレ付近は人気がない。俺と所長しか使わないからだ。薄暗い廊下を思案しながら歩く。

(いよいよ俺の運命が本格的に決まっちまうのか……)

 俺はぼんやりとトイレの天井を見つめた。次の試合に敗北したなら、野球団は解散。野球しか能がない俺はどうなるのだろうか? 本当に、暗黒街とやらにほっぽり出されてしまうのだろうか?


 それに、ペニー少佐は『ダークマター・レールガン』とやらで元の世界に戻す方法を考えてくれると言った。もちろん、俺の持つスマホが目的だろうが、こうも関係が悪化した状況でもいまだその口約束が有効とは考えにくい。


 俺が不吉な連想を繰り広げていたとき。窓から人影が見えた。日の日差しに照りかえる金髪。


「ジョー……か?」


 どこかで嗅いだことのあるタバコの匂いがかすかに漂う。

「えっ……ペニー少佐……?」


 俺は首をひねる。軍用ジープの姿はなかったはずだ。少佐が徒歩で工場を訪れるとは思えない。見間違いだろうか。

 用を足した俺は、気がつかれないようにそっとトイレを出て後を覆う。

(スニーカーは“忍び足”って意味だったっけ……)

 大股で歩く少佐が行き着いたのは、工場裏の焼却炉。そこに立っていたのは……

「ジョー……?」

 そこには、見まごうことなきサンライズGM、ジョゼフィーン・トラックスラーの姿があった。

(なんであのふたりがここに……)

 何かを話しているようだがしかし、ふたりの会話は無論すべて英語だ。声を潜めて早口で交わされるネイティブ英会話は、俺のヒアリング力では内容の1割も聞き取れない。

 俺は息を殺し、柱の陰からそっと様子を窺った。


――――


「これが例のモノ……百合ケ丘サンライズナインの全データよ」

「ご苦労だったな、ジョゼフィーン。ム、サンライズだと? こいつはまたこじゃれた名をつけたものだな」

 紙束がジョーからペニー少佐の手に渡った。少佐はサングラスを外し、興味深そうにページをめくっている。

「しかしまったくあきれたわね。こんなものが欲しいの? あれだけ絶対勝つって豪語していたくせに」


 憎まれ口をたたくジョー。しかしペニー少佐の表情は変わらない。

「勘違いするな、ジョー。獅子はネズミを狩るのにも全力を尽くす。それが我々アメリカ人の合理主義だ。それを履き違えていたヨーロピアンが大戦序盤、ジャパンに叩きのめされたのを知らぬわけではあるまい」

「それはそうだけど……」

「それに、我々がこのデータを欲したのは目先の勝利のためだけではない。百合ケ丘野球部のボス、エージ・アオシマ――これは彼がまとめたデータといったな?」

 紙束を掲げて見せる少佐に、ジョーが無言で頷いた。

「Hmm……やはり私が見込んだとおり、このデータは単なるベースボール戦術ではない。精度の高い、しかも斬新な角度から練られた『統計学』だ。異なる価値基準に基づいた指標を統合させ、一見無意味な数字の羅列に根拠が与えられている」

 少佐が感心したように息を吐いた。


「おまえも知ってのとおり、統計学は戦争という非常事態下において大きな意味を持つ。エージ・アオシマは確かまだスクールボーイだったな? 日本でカレッジを出ているとは思えないが」

「そんなことはどうでもいいわ」

 ジョーが声のトーンを一段上げた。


「データはちゃんと渡したわよ。約束どおり、例の件は守ってくれるのよね?」

「ああ、もちろんだ。契約は守る」

 少佐が満足そうに紫煙を吐き出した。

「しかし、おまえが素直に要求をのむというのはプラン外だったがな。少しは聞き分けがよくなったじゃないか、“じゃじゃ馬娘アンルーリー”」


「違うわ」


 いつもの勝ち気な表情に戻ったジョーが、その力強い眼光で少佐を見据えた。

「これはどんなことをしてもスタヂアムは渡さないっていう意思表示よ。彼女たちの――」

 いいえ、とジョーは独りごち、首を大きく横に振った。

「私たち『サンライズ』のスタヂアムには、指一本触れさせないんだから」


――――

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