第33話 vsジャガーズ【3回裏】ホットコーナー

 冥子は廊下を黙々と進んでいく。ちょっとしたアドバイスを求めて声をかけてきたのかと思っていたが、彼女の歩みは止まらない。


「おい、どこ行くんだ冥子?」


 外の晴天が嘘のように薄暗く冷え冷えとした廊下。冥子は答えない。俺たちは突き当りの男子トイレまでたどり着いた。

「どうしたんだ、何か答えてくれないとわからないだろ?」

「…………」

「もう八重ちゃんの打席が終わっちま――」


 俺は言葉を失った。口の水分が急激に蒸発していく。振り返った冥子が、俺の額にコルト・ガバメントを突きつけていたのだ。


「エージあんた、ボールに細工してるだろ」


 彼女は俺の目をまっすぐにとらえた。

「ほかの連中は騙せたかもしれねえが、あたしの目は誤魔化せないよ。ボールの動きがおかしいことくらいこの不動冥子にはお見通しさ。

 ――ボールにグリースかなにか仕込んだのか? ああ?」


 俺の背中を冷たい汗が這う。


 彼女のポジションはサード――右投手の球筋が内野で一番よく見える守備位置。加えて、銃弾飛び交う暗黒街を生き抜いて鍛えられた動体視力。

「そのとおりだ……冥子の言うとおりだ。みんなに内緒にしていてすまなかった」

 観念した俺は頭を下げた。シノギの力をナメていたのは、完全に俺の失態だった。

「不正をしたことは謝るよ……だけど、だけど! 相手は男でしかも軍人なんだぜ? そ、それに、連中だって俺たちのデータを盗んでたんだ。な、おあいこだろ?」

 先にルールを犯してきたのは相手だ。無言を貫く冥子に、俺は懇願するようにまくしたてた。

「俺は今日の試合に勝って、百合ケ丘繊維とジョーを守らなきゃいけないん――」


「“俺は”だって?」


 冥子が俺の額に銃口を押し当てた。カチャリ、と頭蓋骨を伝って響く金属音。安全装置を外した冥子がゆっくりと唇を舐めた。

「がっかりしたよ。“みんなで”戦ってきたと思ってたのはあたしだけだったんだね」

「違う冥子、そういう意味じゃ――」

 俺は正しいことをしているはずだ。なのに、なぜこいつの真っ直ぐな目を見ていると声が震えてしまうのだろう。

 つきつけられた拳銃のせいだけじゃない。冥子の、まっすぐで悲しい瞳のせいだ。

「あたしの仲間を戦争で殺した奴らにはヘドが出るよ。そりゃ確かさ。でも、相手が男だろうと、不正してようと、どこの国の生まれだろうと――通さなきゃいけない“筋”ってもんがあるだろう」

 あたしはそれを野球に、サンライズに教わったんだよ。そう言いきった彼女の目から涙がこぼれた。冥子は軽く鼻をすすすると、ゆっくりと腕を下ろし、拳銃を床に投げ捨てた。

「エージ、お前言ったじゃねえか! あたしはもうそんなのこりごりだって。あたしらが今やってんのは、ルール無用の殺し合いじゃねえって! それなのに、なんで――」

「…………冥子、俺は」

「あたしらは今、ドンパチしてんじゃねえ。野球を……野球をやってんじゃねえか」


 冥子は汚れたユニフォームで涙を乱暴に拭くと、俺の目を見ずに呟いた。


「見損なったよ。撃つ気にもなりゃあしないね、エージなんか」


【三回裏終了】百合ケ丘サンライズ0-0フライングジャガーズ

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