第31話 vsジャガーズ【2回裏】フルベース

「また出やがったな! “じゃじゃ馬娘アンルーリー”」

 マウンド上のダガーJが舌なめずりをした。二回裏、先頭打者は4番に座ったジョー。

「もっと隅っこに立ったほうがいいんじゃねえか? 万が一死球でも食らったらかわいいお顔が台無しになるぜ!」

「マジでよく喋るやつだな」俺は呆れて呟く。先ほど渚&ジョーバッテリーに打ち取られた4番ピッチャーはそうとう頭に来ているようだ。

「あら、あなた大学時代私にツーベース打たれたの忘れたのかしら」

「そんなレジャーと試合を一緒に――」

 大きく振りかぶるダガーJ。

「するんじゃねえ!」

 豪腕から投げ込まれたボールは、ジョーの内角へ一直線。

「――――!」

「危ないっ!」

 野球帽が空に舞った。顔付近を通過する威嚇球ブラッシュボールに、ジョーが尻もちをついたのだ。

「悪い悪い、手が滑っちまったぜ」軽薄な笑みを浮かべ返球を受け取るダガーJ。

「ワザと投げやがった、あいつ!!」俺も思わず口が汚くなる。アレックスが難なくキャッチしたところを見ると、ともすればブラッシュボールは彼のサインかもしれない。

「汚いですわ……!」麗麗華もベンチを叩いて怒りをあらわにする。そのとき――

「ピーピーうるせえ! 黙ってろ!」

 声を主は以外にも不動冥子。彼女はゆっくりと打席のジョーを指さした。

「ジョーを見ろよ、普通に構えてんじゃねえか」

 冥子の言うとおり。ジョーは何事もなかったかのように土をはたくと、さらに打席の前に立つ。

「あたしたちはケンカしに来たんじゃねえ、野球をしに来たんだろ」

 な、エージ監督? と冥子がこちらに顔を向ける。

 おまえが言うな――と喉まででかかった言葉を飲み込む。確かに冥子の言うとおりだ。ブラッシュボールも立派な戦術。そんなもののひとつやふたつでいきり立っていては試合にならない。何より、彼女たちは職業野球選手なのだ。

 ――まさか冥子にいさめられることになるとはな。俺は内心舌を巻いた。彼女なりに前回の没収試合を反省しているのだろうか。

「ジョーさん! 頑張ってえ!」麗麗華が必死に声を張り上げる。

「大丈夫、ジョーにはちゃんと見えてるわ」とキリエ。

 1ストライク2ボール。ヒッティングカウントから投じられたのは変化球。ジョーが半歩踏み出す。打席最前で狙うはスパイクカーブの変わり端。そう、これは青島エージ直伝、『変化球は変化したてをぶったたけ!』打法――。

「ここよっ――――!」

 ジョーの迷いないスイングが白球をとらえた。空に吸い込まれる金属音。思い切り引っ張った打球が三塁ベースを直撃する。

「フェア!」

 審判が大きく両手を広げた。ベースに当たって不規則なバウンドとなった打球は三塁手のグラブをかすめ、外野へと転がっていく。初ヒット。

「やったぞ!」俺は両腕を掲げてガッツポーズ。

「やりましたわ!」

「ジョー、すごい!」

 チーム初ヒットに沸き立つサンライズベンチ。一塁上のジョーに、本日初めての笑顔が咲き誇る。 

「冥子!」

 俺は、ネクストサークルで両手の包帯を巻き直す冥子に声をかけた。

「作戦どおり……頼んだぞ」

 チーム初ヒットでノーアウトの走者。ネクストは強打者の冥子だ。これを生かさない手などない。

「わかってるよ! ぐだぐだ言うなよ監督、野暮だぜ」

 冥子に「キッ」と睨まれた俺はすごすごとベンチ奥へ引っ込む。怖ぇよ。

「あいつ、頭に血がのぼってなきゃいいけど」

「大丈夫。監督知らなくて? こういうときの冥子さんは冷静なのよ」

 俺はベンチで右肩、右胸、左肩を触る。ブロックサインを確認しても、冥子のフォームはいつものように、大きく上段に構えられたまま。

「チッ……クソがッ!」

 ダガーJがセットポジションから剛球を投げ下ろす。――が、しかし。瞬間、冥子が獲物を狙う鷹のように荒々しい構えから滑らかにバットを寝かせた。

「WHAT!?」驚愕の表情のダガーJ。コツン、とボールが当たる。

 さらにコンタクトと当時、冥子は一塁へ向かうべく足を半歩踏み出す。強打と見せかけて一転、虚を突いた冥子のドラッグバント。インパクトの瞬間引かれたバットによって勢いを殺された打球は、一塁線に転々とする。

「うまい!」握った拳に力が入る。牽制球に備えていた一塁手のチャージが遅れた。冥子が俊足を生かし悠々と一塁に到達する。無死一塁二塁。

「なにィ……“ゼロファイター”がセーフティバントだと!?」マウンドのダガーJが忌々しげに吐き捨てる。マスクを脱いだアレックスも意外そうな表情だ。

「日本人め、スコアレスの二回から汚い手を使いやがって!」

 なおも激昂しマウンドでわめき散らすダガーJ。

「ふいー、冥子ちゃんも足速いやあ」と感心するかめちゃん。

「うふふ、あちらさん、そうとう頭に来てらっしゃるみたいね」麗麗華が優雅に微笑む。

「ああ。これで頭に血が上れば儲けもんだ」

 俺も同意した。まさか敵よりも先に得点圏にランナーを送り込むとは、嬉しすぎる誤算である。

 次打者、剛力さららがゆっくりとボックスへと向かう。審判と捕手に深々と一礼。

「――コントロールがいきなり乱れてきたな」

 やはり、連続ヒットで頭に血が上っているのか。ダガーJは3球続けて明らかなボール球。さららはピクリとも反応しない。

「さらら、じっくり見ていけ! 落ち着いていけ!」

 俺はベンチから大声を出す。続く4球目もワンバウンドの明らかなボール。

「フォアボール!!」

 ストレートの四球でさららが出塁、ジョー・冥子がひとずつ進塁する。

 ――ノーアウト満塁フルベース

「さららでかした!」

「やった!」「満塁だよう!」

 一塁上でさららが汗を拭った。ベンチが沸きあがる。俺は歓喜するナインを眺めながら努めて冷静に思案した。

 彼女たちの力と『未来戦術』をもってすれば、得点パターンはいくらもである。とりあえずは――

「渚、打てる球は狙っていけ」

「わかったわ」

 渚の肩を叩いて送り出す。

 渚はピッチング同様、バッティングも弓道で鍛えた集中力で異様なコンタクト率を誇る。非力で長打こそは少ないものの、並外れたバッティングコントロールから三振をとるのはダガーJといえども困難だろう。

「ヘイ、ダガーJ」さすがにマウンドに駆け寄るアレックス。

「なんだよ、いちいち来んじゃねえよ」明らかに不満そうな顔を浮かべるダガーJ。

「――それだけ減らず口が叩けるなら問題なさそうだな」鉄仮面のまま、アレックスがダガーJの胸をミットで叩く。

 フウと大きく息を吐き、ジャガーズベンチに視線をやるダガーJ。ペニー少佐は渋い顔でコーンパイプをくわえたままだ。

「わかった、わかったよ――」


 アレックスがホームベースに戻り、ダガーJがマウンドで構える。と――

「ナメやがって……!」二塁上の冥子がギリリと八重歯を見せる。

 ランナーを無視した、豪快なワインドアップ。繰り出されるは外角低めの直球。

「あいつ、一段と速くなりやがった……!」明らかにギアチェンジしたダガーJに、目を見開くサンライズベンチ。

 ――キィン。

 しかしその初球、渚のバットがファストボールを叩いた。

「…………!」

 渚の打球は痛烈なピッチャー返し。しかし長身ダガーJ、体勢を崩しながらワンバウンドで捕球した。

「まずい捕られた! ――だけどっ」

 ダブルプレーは仕方ない。しかしそれは想定内だ。

 大量得点で勝とうなんざムシのいいことはハナから考えちゃいない。ダブルプレーで二死を献上してでも、三塁のジョーには確実に先制のホームを踏ませる。そのための7番・渚だ。

 ダガーJの巨体がゆっくりと前のめりに倒れる。喉から手が出るほど欲しかった先制の1点目、俺たちサンライズがもらった!

 ――だが。俺の想定は早くも覆る。前方に姿勢を崩したダガーJは、倒れ込む勢いそのままキャッチャー・アレックスにダイビンググラブトス。

「なんだって!?」

 迷いのないストライク送球を受けたアレックスがホームを踏み、ジョーがフォースアウト。

「グラブトスであのスピード、そして正確性……!」キリエが目を丸くする。

 アレックスはそのまま三塁へとバズーカのような豪送球。俊足を誇る冥子も難なく刺された。2アウト。

「クソが!!」

「なんて鉄砲肩なのー!」と驚愕の声はつるちゃん。

 余裕をもってボールを受けた三塁手がファーストへとボールを回す。バッターランナー・渚までが倒れ――3アウト。

「Hell Yeah!!」雄叫びをあげ、ダガーJがグラブを大きく叩きマウンドを降りる。

「嘘だろオイ……」

 大大大チャンスから一転。たったワンプレーで3人の走者を失った俺は、未だ目の前の事実が信じられず呆然とするばかり。渚も一塁付近で立ち尽くしている。

「1-2-5-3の『トリプルプレー』だと……!?」

 俺は思わずベンチに拳を叩きつける。鈍い音がベンチに響いた。


 無死満塁。なぜ渚に様子を見させなかったんだ。渚が出塁すれば二神姉妹にだって回せる。大量点も難しくはなかったはずだ。


「ちきしょう……」

 俺に芽生えた一瞬の慢心を、ジャガーズバッテリーは見逃さなかった。守備陣はアマチュアだとあなどっていたが、ダガーJ&アレックスも確かに“野手”には違いないのだ。

 グラウンドではピンチを切り抜けたバッテリーがハイタッチ。興奮して顔を上気させるダガーJと対照的に、アレックスは仏頂面を崩さない。小声でダガーJにアドバイスを送っているようだ。

「あいつら最初からコレを狙ってたんだよ」放心したようにキリエが口を開いた。

「いやいや、いくらなんでもそんなわけねーだろ。わざわざピンチにして計算通り打ち取るなんて……」

「いいや、キリエの言うとおりだ」

 グラウンドから戻ってきた冥子が後を継いだ。

「あの野郎、さららをわざと歩かせて満塁にしやがった。だいたいあたしが出た時点で一塁埋まってんだから四球出す必要なんてねえってのによ、クソッ」冥子がベンチに帽子を叩きつけた。

「ジョー&冥子、頼みの綱であるふたりでチャンスを作り出す。そうして私たちの期待を絶頂まで持っていく」キリエが眼鏡のブリッジを押し上げ冷静に解説する。

「その後、ワンプレーで絶望を突きつけ、戦意をへし折るおつもりでしたのね」と麗麗華。

「ただ勝つだけじゃない――俺たちを徹底的に叩きのめすということか」

「ええ。ダガーJは本当にイラついてたようだけど……キャッチャー・アレックスのほうは大したものよ。彼の性格を把握した上で手綱を握っているわ」

 ジョーが感心したように口を開いた。

 ベンチに重苦しい雰囲気が充満する。依然、両軍スコアレス。膠着状態が続いていた。


【二回裏終了】百合ケ丘サンライズ0-0フライング・ジャガーズ

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