第10話 ジョゼフィーン・トラックスラー②


「私たちは招かれざる客ってとこかしら」

「どうやらそうらしいな」


 俺とジョーは肩を寄せ合い、わずかに空いた扉の隙間から中を覗き込んでいた。触れ合った肩からは温かな体温が伝わってくる。ジョーの桃色の唇から甘い匂いが漂い少し落ち着かない。

 食堂では俺とジョー以外の百合ケ丘ナインが集まって相談中。


「ジョーってかわいいねえ。髪は黄金色だし、目なんて空色だよう」とつるちゃん。

「…………」

「どうかしらね。暗黒街で倒れてた男の次はアメリカ人の女の子よ?」

 所長も次々とわけわかんない人入れるなんてどうかしてるわ、と悪態を吐くのはもちろん剛力さららだ。

「渚、あなたはどう思うの? エージとジョーをすんなり受け入れるの?」

「――そうね」思い詰めたような表情の渚。

「しかもあなた、復興担当のジョゼフィーン・トラックスラーっていえば……」

「大丈夫よ。野球が好きな人に悪い人はいないと思うわ」

 さららの言葉を、渚が力強く断ち切った。

「なんだそりゃ」算盤を弾くキリエが手を止め呆れたように呟いた。


「招かれざる客、ってことは似たもの同士よね、私たち」

 こちらを振り向いたジョーの言葉に、えっ、と俺は視線で問い返す。

「エージ、あなた百合ケ丘繊維の新人監督だっていったわよね。ここに来る前はいったいどこにいたの?」

「どこって……」いきなり核心に切り込まれ狼狽する俺。

 それ、とジョーは俺の足元を指差す。俺の両足、異世界から履いてきたままのスニーカー。

「そんなシューズ、ステイツでも見たことないわ」

 化学繊維ケミカルファイバーみたいだけれど、と俺の靴をべたべた触るジョー。

「そういえば、ついこの間も同じ――」

 ジョーが口を開きかけたとき、食堂の扉が勢いよくと開いた。肩を寄せ合ったまま固まるジョーと俺。目の前には仁王立ちでこちらを見下ろす剛力さららの姿が。

「とりあえず、一緒に練習してみましょうか」

All right望むところよ

 挑発的な態度のさららとは対照的に、満面の笑みでサムズアップのジョー。


 俺たちは再びスタヂアムへと出た。傾きかけた夕日がグラウンドを照らしている。

(俺も監督として、この助っ人外国人の実力を見ておかないとな……)

 招かれざる客を自称するジョーだが、俺にとっては貴重なプレーヤーだ。なんとしてでもモノになってくれないと俺の首が危うい。


 現在、百合ケ丘繊維で足りていないのは遊撃手と三塁手。内外野どこでも守れると豪語するジョーはショートを選んだ。ノッカーは渚。


「じゃあ、行くよ――」

 小気味良い金属音が響き、打球が飛んだ。


「Come on!」

 いい反応を見せたジョーが打球方面に食らいつく。しかし打球は三遊間を裂く絶妙なコース。

 回り込んでいては間に合わない――が、ジョーは長い腕を伸ばし左手一本で難なくキャッチ。そのまま体をひねる回転を生かして、ファーストの八重ちゃんへストライク送球してみせた。

「フーッ、的が大きいと投げやすいわね。さすが力士スモーキンだわ」

 八重ちゃんに親指を立てて感謝の意を表すジョー。

「…………」

「なかなかやるわね」さららも感心したように呟く。

「逆シングルか! 大したもんだ」


 メジャーリーガーを彷彿させるプレーに俺も舌を巻いた。元いた世界でも、日本式野球においてまず徹底させられるのは「正面での捕球」である。逆シングルでの捕球は百合ケ丘ナインには新鮮だろう。

「日本人は正面で待ちすぎなのよ。ミスを怖れちゃだめ、もっとのびのびプレーしなきゃ。楽しまないと合理的じゃないわ」

 ジョーが景気よくグラブを叩いた。

「確かに珍しい捕り方ですわ。でも、トンネルしちゃったらどうするのかしら?」とレフトの麗麗華。

「あら、そんなの当然じゃない!」


 ジョーが外野陣をビシッと指さして声をあげた。

「私がミスしたら、あなたたちが、捕るのよ」


「わたくしが?」麗麗華がきょとんと首を傾げ、縦ロールがふわりと揺れた。

「そう。仲間を信頼しないとね。One for all,All for Oneよ」ジョーが力強いピースサイン。

「へーえ、これが欧米式の合理主義ってやつか」

 その後もジョーは、渚の痛烈な打球をらくらくとさばいてみせた。欧米人特有の長い手足に恵まれた体躯。本来のこの時代にはそぐわない自由なスタイルは遊撃手を任せるのにうってつけである。


 そして――


「ここよっ!」鋭い打球音が響き、一二塁間を痛烈なゴロが引き裂いた。

 守備ばかりでなく、バッティング練習でも豪快な打球を飛ばすジョー。大学でも野球をやっていたというジョーだが、彼女は飛び級だ。何歳も年上の野球部員に揉まれてきた経験は、部活動とはいえ伊達ではなさそうだ。

「渚! 野球も楽しいでしょう?」汗をぬぐったジョーが、バッティングピッチャーを務める渚に笑顔で話しかける。

「何、ふたりは知り合いなのか?」

「ええ」意外な事実に驚く俺、答える渚。しかし笑顔のジョーに対し、彼女の表情はどこか冴えない。

「そうよ。GHQによって日本古来の武道が禁じられた後、私がベースボールをすすめたの」

 ブシドー・フリークとしては、武道の禁止には最後まで反対したんだけどね、とジョーが寂しそうに笑う。

「『また戦争の引き金になったらどうする』ってGHQの老人がうるさいのよ。彼女たちの武道と大人たちの戦争なんてなんの関係もないのに」

「そういうことだったのか」俺は押し黙る渚を見て納得した。

(つまり、渚から弓道を取り上げたのがジョーたちGHQということか……)

 俺はジョーと渚、ふたりの少女を見比べつつ思案する。大型ショートが入って内心喜んでいた俺であるが、彼女たちを取り巻く事情はどうも一筋縄ではいかないらしい。


「野球は合衆国ステイツの国技だけれど、日本人にも通ずるところがあると思って渚に野球団入りをすすめたのよ。ちょうど合気道の剛力さらら、力士の八重もせっかくの力を発揮する場所がなかったのよね」

「“ちょうど”ってことはないでしょうよ」

 さららがフン、とそっぽを向いた。


 軍国主義を復活させかねない武道を禁じ、力を持て余す若いアスリートにアメリカ由来のベースボールを覚えさせ興行を行ない、市民の娯楽兼ガス抜きとして運営。野球団はGHQの半管理下に置き、成績を残した企業には助成金で活動を援助する。俺のいた史実とは異なるが、なかなか理にかなっている。


「私はまだ納得してないからね」と、横を向いたままのさららが言い放った。こいつは納得できないことだらけだな。

「あら、ミス・ゴーリキ」

「それと、もうひとり連れてきてくれるっていう話。今度はまともなのが来るんでしょうね?」

 金髪をかき上げるジョーに、鋭い視線を向けるさらら。

「今度はって、それ俺もまともじゃないほうにカウントされてる?」

「ええ、もちろんよ。期待しといてね!」

 夕日をバックにジョーのサムズアップ。視線を外したさららがはあ、と溜息を吐いた。

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