第9話 ジョゼフィーン・トラックスラー①

 今日は昼まで工場で作業したあと、隣接されたグラウンドで野球団の練習。日中の俺はもっぱら単純労働の力仕事だ。


「男の人がいなかったから助かるよ!」と笑みを浮かべる渚。

「男はそんなにいないのか」ふと思った疑問を口にする。

「渚、俺と初めて会ったとき、復員兵かって聞いたよな? まだ戦地に行ったままの男がたくさんいるってことか? この新東都には、そんなに男性が存在しないのか?」

「そうよ」水で濡らした手ぬぐいで顔を拭きながら渚が答えた。俺と渚は練習のため、グラウンドにボールを運んでいる。縫い直された箇所が目立つボールは、どれも例外なく土の跡が染みついている。

「みんな、戦争でいなくなっちゃった。だから野球もなんでも、私たち女子が中心になってるの」

「――そうか」


 俺は言葉を切った。麗麗華と所長は名字が同じだ、おそらくは親戚関係なのだろう。では、渚の両親は? この工場で寝泊まりしてるほかの子たちの家族は?――軽々しく口にできる質問ではないような気がした。

 次の話題も見つからないまま連れ立ってグラウンドに出ると、メンバーが守備練習をしている。ノッカーは緑の腕飾り、かめちゃんが務めているようだ。


「ぱい・こー・めん!」


 相変わらずの掛け声に豪快なフルスイング。打球は外野の頭の上、スタンド最前列で大きく跳ねた。

「……相変わらずむちゃくちゃな飛距離だな」

「んもう、これじゃ守備練習にならないじゃない」レフトの麗麗華、当然のクレーム。

「ごめんよー」打席から大声で謝るかめちゃん。その横には所長の姿が見えた。

「所長、渚から聞いたぞ。俺に監督させてくれるんだって?」俺は走り寄って声をかける。

「おお、エージ。そのことなんじゃが」


 所長がおほん、と咳払いをした。

「今日はGHQからのお偉いさんが来るんじゃ。エージも紹介せねばらん」

「GHQだって!? アメリカの……連合国の軍人ってことか?」

 この工場はGHQの助成金が出ていると所長が言っていた。スタヂアムや野球リーグ運営にも連合国からの金が出ているらしい。視察も当然といえば当然だ。

「そうじゃ。なんでも選手の補充までしてくれるとかいう話じゃ。おまえさんの初陣となる試合は来月じゃからの、それまでにこっちもメンバーぐらいはそろえにゃならんと思っての」

 そいつは心強い話である。

「へーえ、いい子だといいね!」とかめちゃん。


 数時間後。爆音を響かせ、巨大な軍用ジープが姿を現した。

「……あれか」

 軍人と聞いて、わずかに体が引き締まる。元の世界、平和な日本ではまずお目にかからない人種だ。


 星条旗をはためかせながら疾駆する物々しい軍用車は、スタヂアム外壁の三塁側で停車。ドアが開き、数名の兵士を従えた壮年の白人兵が降りてきた。180センチほどの堂々たる体躯にティアドロップサングラス。豊かなひげをたくわえた口元にはコーンパイプがくわえられている。

「色眼鏡をかけとるのが駐日アメリカ空軍新東都支部、ブラッドリー・ペニー少佐じゃ。新東都を仕切っとるお偉いさんじゃよ」所長が耳打ちして教えてくれる。


「久しぶりだな、ミスター・百合ケ丘。ガールズも練習ご苦労」

 ペニー少佐が太い右腕を差し出し所長の腕を握り締めた。厳つい風体から発せられる流暢な日本語。右肩には猛獣を模したワッペンが光っている。

「百合ケ丘繊維の新素材、軍のほうでもなかなか評判がいい。量産に向け追加の予算申請も通りそうだ、グッド・ニュースだろう」

 喜べ、とペニー少佐が大きな手のひらで所長の背をビシバシ叩いた。

「それはおかげさまで」荒々しい祝福に、咳き込みながら所長が答える。

「しかし、リーグのほうはからきしのようだな」

 手を離した少佐のサングラスがキラリと光る。

「シントート・スタヂアムのほうも我が軍で改修しているのだから、もう少しクオリティの高い試合を見せてもらわないと困るぞ。合衆国ステイツが補助金を出している以上、ガーリー・プロ・リーグは遊びではない」

「はあ。じゃが、こんな状況じゃから選手も満足におりませんで、ただでさえ工場稼働が」

「だろうな」

 少佐が右手を突き出し、弁解する所長を遮った。


「そこでだ、ミスター・百合ケ丘。親愛なる友人である君に、我が軍の新人を紹介したい」

「はあ、GHQの新人さんとな……?」

 いまいち状況が把握できていない所長に構わず、少佐がパチン、と指を鳴らす。

 それを合図に、ジープから新たな人影が降りてきた。

「あれは……」

 所長が息を呑む気配を隣で感じた。それもそのはず、こちらに向け歩を進めるのは、ペニー少佐らと同じ迷彩柄の軍服に身を包んだスラリとした背格好の――女性。


「……女の子じゃないか!?」


 驚いたのは性別だけではない。長身ではあるがその顔つきはどう見ても10代の少女。

 なぜ外国人の女の子がこんな所に?

「ジョゼフィーン・トラックスラーよ。初めまして、ミスター・百合ケ丘」

 戸惑う俺たちに、ジョゼフィーンと名乗る少女ははつらつと右手を差し出してきた。見事な金髪をサイドテールに結び、目は青く澄み渡っている。 その視線が所長から俺に移り、思わず鼓動が高鳴った。

「よ、よろしく。ええと、ジョ、ジョゼ……」

「フフ、日本人には発音しづらいわよね。気軽に“ジョー”って呼んでね!」

 舌を噛みそうになる俺を見て、少女が満面の笑みを見せる。

「“ジョー”って、日本では男の子の名前なんでしょ? 所属はGHQの新東都支部、復興部の都市復旧再建担当よ」

「ほーん、日本文化にも詳しいんだな……って、ええ? GHQ!? 君が? 嘘だろ!?」

 目の前の少女は、百合ケ丘繊維の少女たちと比べると発育のいい体躯をしているものの、そばかすの浮いた笑顔はまだあどけない。屈強な軍人たちのなかではことさら幼く見える。

 ジョーがチッチッと芝居がかったしぐさで人さし指を振った。

「ほんとよ。合衆国ステイツでは飛び級が認められているの。まだ18歳だけど、大学だって出てるんだから。専攻は都市開発よ。ここをいい街にしてあげるからよろしくね」

「ジャパンではどうか知らないが、ステイツは男女平等主義だ。GHQにも大勢の女性が在籍している」

 少佐がゆったりとした声音で補足する。

「にしたってそんなエリート、元いた世界でも会ったことないぞ。日本語もめちゃくちゃうまいな」

「サンクス! 現地人に褒められて嬉しいわ。私は日本文化に詳しいこともあって新東都に派遣されたの。まずはブシでしょ、ニンジャでしょ、ゲイシャ、テンプラ……」

「おいおい、コテコテの外国人タレントかよ」


 俺は苦笑した。俺がいた世界線でも日本=サムライといったステレオタイプが残存しているのだから、こちらの世界では無理もないことだろう。が、彼女はさらに続けた。

「……『武士道と云うは死ぬ事と見つけたり』『空を道とし、道を空とみる』『歩けばそれ即すなわち武』とかね。どうかしら?」

「!? おいおい、『葉隠』に『五輪の書』かよ……そんなの日本人でもなかなか知らないぞ」

 驚く俺に、ジョーが自慢気に胸を張った。

「甘く見ないでね。ベネディクトの『菊と刀』も読破してるし、そこいらの日本人なんかよりよっぽど日本通なんだから」

「ジョーのブシドー好きには困ったものだ」少佐が口の端を上げて肩をすくめた。

 なるほど超がつくレベルの才女らしいが、半面どや顔でほほえむ姿はいかにも年頃の少女といった感じでかわいらしい。ブロンドのサイドテールが優雅にきらめいている。


「と、いうわけだ。ミスター・百合ケ丘」

 少佐がパイプから口を放し、うまそうに紫煙を吐き出した。

「今後ジョーには復興担当として、都市再建業務を担う新東都の企業を統括してもらう。まずはその実地体験というわけで、A判定の優良企業・百合ケ丘繊維に派遣することが内定した」

「はあ」

「と同時に、リーグ戦の整備も急務だ。幸いジョーには10年以上の野球経験がある。暫定的ではあるが、ゼネラル・マネジャー兼プレーヤーとして野球団にも在籍させてもらおう」


 異存はないな、と少佐は百合ケ丘ナインを見渡した。微笑を湛えてこそいるが、全身から発せられる言葉は有無を言わさぬ迫力があった。


(これでメンバーは8人か……)


 頭数が増えるのは嬉しい申し出だが、野球経験があるとはいえ、一応“職業”女子野球リーグでスタメンが務まるかどうかは未知数。とはいえGHQの進言を断るという選択肢はなさそうだ。しかしそもそも、彼女の受け入れを百合ケ丘の部員たちが納得するだろうか。

 俺は後方に控える渚たちをちらりと見た。渋面のさららに、外国人の少女が珍しいのかきょとんとした双子。渚はうつむき、右手で硬球をもてあそんでいる。

「ベースボールの実力なら心配しないで。カレッジまで野球ひとすじよ」

 ナインの沈黙を察したのか、ジョーが豊かな胸をグッと張った。

「大学では男の子からツーベースを打ったことだってあるんだから」

「しかし、ジョークンが入ったところでウチはまだひとり足りませんのじゃ」

 と心配顔の所長に、

「大丈夫よ。メンバーにはもうひとり当てがいるの」

 満面の笑みでピースサインのジョー。顔を見合わせる俺と所長に、ペニー少佐がパンパンと手を叩いてみせた。話は終わりだ、という合図らしい。


「ということだ、ミスター・百合ケ丘。来月の試合、空軍の兵士たちフライングジャガーズも楽しみにしているぞ。何せ今の新東都には野球ぐらいしか娯楽がないからな。本日はダークマター・レールガンの試射があるからそろそろ失礼するが――」

 よろしく頼む、と帰りかけたペニー少佐がふと足を止めた。

「ところで、百合ケ丘。見慣れない新顔ルーキーがいるようだな」

 少佐が初めて俺に顔を向ける。

「あ、どもっす」

 視線に射すくめられた俺はぺこりと頭を下げた。GHQに不審がられないように、という所長の事前通達により俺は高校の制服ではなく、上下野球のユニフォームを着せられている。

「おお、そうじゃ。こちらも新人を紹介せねばらんの。こちらは青島エージ。ええと……」

「エージか、いい名だ。しかし百合ケ丘、よく男手が見つかったな」


 まだずいぶん若い、復員兵ではないのだろう?と少佐が尋ねる。俺はええと、うーんとともにょもにょ。まさかここで「俺は異世界の住人だ!」と叫んべば有無を言わさず連行されるに違いない。ちらりと所長を見やる。

「ええと、エージは百合ケ丘繊維野球団の、監督ですじゃ」

「ホウ、百合ケ丘野球団にようやく監督がな……グレイト!」

 あごひげを撫でながら満足そうにうなずくペニー少佐。よくわからないが、GHQのお偉いさんまで言質が取れた。とりあえず監督として来月の試合まで首はつながったようだ。


「よい試合を楽しみにしているぞ、エージ・アオシマ」


 少佐が顔をぐいっと近づけた。タバコの甘い香りが漂う。俺はペニー少佐の顔に、サングラスに隠された大きな傷跡を認めた。

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