第11話 不動冥子(三)
それから3日後。俺は騒々しい物音で目を覚ました。
何かが割れる音。硬質なものがぶつかり合う金属音。そして、
「はひー」初老の男性の悲鳴。
「所長? どうしたんだ、大丈夫か!?」
俺は布団から飛び起き、声のしたほうへと走った。と――
「離せっつってんだろ!」
食堂から荒々しい声が聞こえる。勢いよく扉を歩くと、心配そうに一点を見つめる少女たちの姿と――所長と激しく揉み合うひとりの少女。
「――――ッ!!」
俺の姿を認めた少女が暴れるのをやめた。褐色の肌を包む、ところどころ破れた濃紺のセーラー服。アッシュグレーの髪の隙間からは野犬のような瞳が覗いている。両手の拳はなぜだか汚れた包帯でぐるぐる巻きにされていた。まるでボクサーのバンテージだ。
「こらー、暴れるんじゃない。ひぃ」
弱り切った声を出す所長の顔には幾筋ものひっかき傷。おそらくこの少女につけられたものだろう。
「あきれた。さすが
俺たちは状況がよく飲み込めず、野犬のように暴れる少女と所長を代わる代わる見比べた。
「えーと、彼女は
GHQめ、冥子クンを置いたらそそくさと帰ってしもうて、と所長が小声で悪態をつく。
「新東都……拘置所だって!?」
「ええ。メーコ・フドーは私たちGHQによって、新東都郊外『暗黒街』で保護されたの。私が推薦してこちらに身柄を移してもらったわ」なぜか偉そうに胸を張るジョー。
「暗黒街!?」「まあ、暗黒街ですって……」「暗黒街だって、こわいよう」
双子が不安そうに肩を寄せ合う。だからそんなにヤバイとこなのか、暗黒街ってのは。
「フーッ」
不動冥子は相変わらず、狂犬のように臨戦態勢を解かない。
「おいおいマジで犬みてえだな」
ぽつりと呟いた俺の横で、ずいと前にでたのは――
「さらら、危ない!!」
女房役の剛力さらら。と、その姿を認めた冥子が牙をむき出し猛ダッシュ。
「ガルルル!」
その勢いのまま拳を振り上げ、さららにむかって突進する。椅子を蹴り上げ、思い切りセーラー服が跳躍した瞬間――
「――はっ!」
「うわっと――!?」
気合一閃。冥子の体が不思議な軌道を描いたかと思うと、轟音とともに床に叩きつけられた。片腕一本で狂犬の突進をいなしたさららはそのまま
「動くと肩が外れるわよ」
「チッ、おかしな技を使いやがって……」
忌々しげに吐き捨てる冥子。
「おかしくないわ。これは合気よ」
組み伏せられた冥子が忌々しげにうめいた。猪突猛進タイプの“ゼロファイター”など合気道の達人・剛力さららの相手ではないらしい。
「ジョーさん、うちは身寄りのない少年少女の保護施設じゃなくってよ」
冥子がおとなしくなったのを見て、露骨に顔をしかめる麗麗華。
「それは俺も耳が痛い」
「や、野球部のメンバーも足りてないって言ってたからちょうどよかったわい!」
所長はいやに不動冥子の受け入れに前向きだ。俺のことは半日で放り出そうとしたくせに……。
(拘置所からきたのか……おおかたGHQから百合ケ丘繊維に、受け入れ助成金でも入るんだろうな)
そこまで考えた俺はふと気がつく。
「まさか……ジョー、こないだ言ってた『当て』ってこの子のことか?」
「ザッツライト」
満面のピースサイン。
「マジかい」
「これで3人連続……」さららが大きな溜息を吐いた。
「渚クン、すまんがこれから寮と工場を案内してやってくれるか。それからじゃな……ん? あれ?」
ふと、ポケットに手をつっこんだ所長の動きが止まった。どうしたことかと皆の視線が集まる。
「あーん、ワシの財布がない」
情けない声を出しながら、所長がポケットをまさぐっている。俺も反射的にスラックスに触れた。――肌身離さず持ち歩いているスマホがない。
皆の視線が自然と招かれざる客――不動冥子に集まる。さららが訝しげに技を解いた。
「メーコ、あんたひょっとして……」
と、ジョー。しかし冥子は動揺する素振りを欠片も見せず、アッシュグレーの髪をバサリとかき上げた。
「あら、お探しのものは――ひょっとしてこれか?」
ニッと笑うと、牙のような八重歯が光った。冥子はそのまま、芝居がかったしぐさでロングスカートの端をつまみあげた――と、その中から何かがドサドサと床に落ちる。
財布、硬式球、緑と白のブレスレット、ベルト、そしてスマホ。
静寂のなかで、ストンと俺のスラックスがくるぶしまでずり下がった。
「きゃー」麗麗華が両目を押さえて叫ぶ。
「ごめん麗麗華、まったく気がつかなかった……」呆然とする俺。
「あなた、スッたのね!?」
「なんだこりゃ、板チョコレイトか?」詰め寄るさららを意にも介せず、冥子はスマホに興味津々だ。
「いつの間に――!」手首に触れた双子も驚愕の表情を浮かべる。スラれたことすら気がつかなかったらしい。
「そうカッカすんな、ほんの挨拶代わりだよ」八重歯をのぞかせ得意げな冥子が財布を放った。慌てて受け取る所長。
「暗黒街の“スリの天才”とはこのあたし、不動冥子のことだ。覚えときな!」腰に手を当てて冥子が宣言。
「なんだかこの人怖いよう」再び抱き合う双子。
「9人そろったはそろったけど……」
「前途多難だな」
俺とさららはそろって大きな溜息を吐いた。
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