第7話:剛力さらら(捕)
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「やっぱり難しそうかのう。あの程度の球も捕れんとはなあ」
遠くで所長の声が聞こえた。
「そもそも、私たち百合ケ丘繊維は女子野球団よ? 男子選手なんて必要ないわ」
「さららクンの言うことももっともじゃ。GHQが本格的にルールを整備しだしたら公式戦には出られんし、そもそも彼を入れたところで8人じゃ。どのみちひとり足りん」
「でも……」
「しかもあの程度じゃ練習要員としても使えないわ。それに未来?から来たとか言ってるんでしょう。
「じゃあ、エージを追い出すっていうの? いくらなんでもあんまりよ!」
渚の悲壮な声が響く。
「渚。あなたお人好しなのはいいけれど、ほどほどにしないと自分が危ないんだよ? 私たちだって生活に余裕があるわけじゃない。百合ケ丘繊維野球団だってまだ公式戦未勝利なんだから、このままだと来年続いてるかどうかも怪しいわよ。そもそもあの男だって、行き倒れてたのを偶然見つけただけじゃない。捨て犬じゃないんだからさ」
「「さらら、エージを暗黒街にほっぽり出すのー?」」
双子の声がハモる。
「そうね。ちょっぴりかわいそうだけど、そうなるわね」
「ちょちょちょちょっと待てい!」
俺は飛び起きた。話の内容は半分ぐらいしかつかめていないが、とんでもなくのっぴきならない事態になっているのは間違いなかった。何が“ちょっぴりかわいそう”だ。
「あ、起きた」と所長。
「気がついたのね! よかったー」渚が心底安心したという表情で息を吐く。つくづくこの子は心根が優しいらしい。「って、ついさっきもこんなことあった気が」
「相談なんじゃが、エージ。実は……」ばつが悪そうにおずおずと口を開く所長を俺は片手で制した。
「暗黒街とかほっぽり出すとかちょっとよくわかんないんだが――」
俺は痛む頭を押さえ立ち上がった。さっきの打球が直撃したであろう額には、濡らした手ぬぐいが当ててある。俺は渚を指さして声を上げた。
「そんなことより渚。何やってんだ?」
自身の処遇も大問題だが、それは一旦置いておく。
「え?」
渚はユニフォームの袖をまくり、大きなタライのようなものに右肘を浸けている。そこまではまだいい。問題はタライからもうもうと立ち上がる湯気だ。
「何って、さっきまで投げてたから腕を休ませてるんだけど」首を傾げる渚。
「ダメダメダメ! 投げた直後に関節温めるなんて絶対ダメだっつーの! 何考えてんだまったく……ええと氷は……ないよな。所長、水とタオル……手ぬぐいみたいなものあるか?」
俺はまくしたてながら手首をつかみ、渚の右腕を湯から引っ張り出した。思いのほか細い彼女の腕は手のひらに吸いつく滑らかさで白い肌が眩しい。職業投手といえど、17歳の女の子の腕だ。
「ちょっと、エージ……」
頬を赤らめた渚がうつむいたとき――
「あなた何勝手に渚に触ってくれてんのよ」
凛、とした声が部屋に響いた。
「あ……悪ぃ。変なつもりじゃなかったんだ」勢いつかんだ腕をあわてて手を離す俺。渚の右腕はそのまま落下し、タライから派手な水しぶきがあがった。
「女子の体にべたべた触るし、野球は下手だし。未来から来たとかいう嘘ついて渚を丸めこんだんですって? あなた、聞くところによると暗黒街で倒れてたのよね」
「「怖いよう!」」
ずいっ、と手ぬぐいをバンダナのように巻いた少女が前に進み出た。背格好は渚と同じぐらいだが、気の強そうな眼光はしっかと俺をとらえて離さない。先ほど俺を「辞めてもらう」「追い出す」「ほっぽり出す」とか散々に言ってくれたのは声から察するに彼女のようだ。
「ええと、君は――確かキャッチャーの」俺は試合を思い出しながら尋ねる。
「そうよ。守備位置は捕手、名前は
唐突に剛力さららがぺこりと90度の礼をした。細身で色白の背格好ではあるが、そのたたずまいは武術家といえば武術家らしい。
「こうみえてさららクンは合気の達人じゃからの」お辞儀したまま微動だにしないさららをよそに所長の説明。
「相手チームは骨の一本や二本覚悟せにゃ本塁には突っこめん。よって我がチームは鉄壁のホームなんじゃ」
「……おっかねえな」
弓道の海老原渚と、合気道の剛力さらら。このチームのバッテリーは武術家コンビということか。
俺が妙なところで納得していたとき、さららがようやく顔を上げた。
「それで、あなたが暗黒街の住人じゃないっていう証拠はあるの? そして未来から来たとかいう証拠も――まあ、そんなものはないでしょうけど」
挑戦的な視線が痛いほど突き刺さる。切れ長の瞳にスラリとした鼻梁。目尻には薄く朱が差している。固く引き結ばれ、意志の強さを感じさせる薄い唇。眼光に圧倒された俺は思わず顔をそらし弁解する。
「暗黒街とかいう件はすまない、俺もこの街――この世界に来たばかりでまだよくわかってないんだ。だからそれは証明できない」
「でしょうね」勝ち誇ったような顔でさららがフフン、と鼻を鳴らす。
「でも、未来から――こことは違う世界から来たっていうことだけは事実だ。信じてほしいんだ」
「そっち!? よりによってそっちのほうを言い張るの!?」
不信感を募らせるさららに、証拠もある、と俺はユニフォームの尻ポケットに手を入れた。
「これを見てくれ」
俺が取り出したのは――ただのスマートフォン。素っ裸ではなく、制服と通学カバンが一緒にこの世界に飛ばされたのは不幸中の幸いといっていいだろう。
「何それ? それがどうかしたの」と黒い筐体を眺める渚。さららは相変わらず怪訝な表情だ。
「板チョコレイトみたいだねえ」
「GHQがくれるやつ」
興味津々な双子。
俺はスマホの電源ボタンに触れ、数度タップしたのち皆に掲げてみせる。次の瞬間、所長があんぐりと口を開けた。
「な……なんじゃこれは!?」
驚愕の声も無理はない。
小さな画面の中には、独特な二段モーションから白球を投げ込む少女の姿。変則ピッチャー・海老原渚の投球ムービーが再生されている。先ほどの試合中、ベンチから撮影したものだ。
麗麗華がパチンと手を叩いて顔を輝かせた。
「これ、活動写真よ! お母さまと昔見たことがあるわ」
「でも、こんな小さい機械で……!?」
「でも、ベンチにキャメラなんてなかったよね」
「しかも総天然色だよう!」
「エージ、これはいったい……?」所長が目を見開きながら尋ねる。
「これはスマホ……いや、携帯電話……携帯型高機能情報端末……って言っても通じないよな。とにかく俺がいた世界では、日本人ならひとり一台こいつを持ち歩いてる」
無論、電波のないこの世界ではネットも通話もできないので、スマホとしての機能は一割も発揮できない。が、カメラアプリだけでもこの世界の住人の度肝を抜くには十分だろう。先ほどまで辛辣な舌鋒を飛ばしていたさららも、呆けたように6インチの画面に見入っている。
「さらに、これをこうすると――」
俺はシークバーをタップした。先ほどのムービーがスローモーションで再生される。
「まあ……! まるで魔法だわ!」
麗麗華が信じられない、といったふうに口に手を当てた。
「おもしろーい! ねえエージ、もう一回やって!」
手を取り合ってきゃっきゃとはしゃぐ双子。
「エージ。まさかおまえさん本当に……」所長がおそるおそる俺に向き直る。
「ああ。これで信じてもらえたかどうかはわからないが、俺は70年後の世界からやって来た。ただの野球オタクの高校生。青島エージだ」
俺は改めて、7人の少女たちの前で名乗る。
「なんでこの世界に来ちまったのか、どうして暗黒街とやらで倒れていたのかはわからない。でも、掃除洗濯スコアラー偵察要員ブルペンキャッチャーグラウンド整備ボールボーイなんでもやる。だからしばらくここでみんなと過ごさせてほしいんだ」
お願いします、と俺は深く腰を折った。これは決してファンタジーではなく、宇宙のどこかに確実に存在する平行史実だ。スキルもギルドもダンジョンもありはしない。ここで放り出されたら、俺に生きていく術はないのだ。
「ねえ、エージ」
「なんだ、渚。気になることがあったらなんでも聞いてくれ」
黙って聞いていた渚が、言いにくそうに口を開いた。
「そっちの世界の人は、みんなエージみたいに野球があまり上手じゃない……の?」
「いや、俺だけだ」こんなに野球好きの野球音痴はな。
俺は満面の笑みでサムズアップ。どうしたものか、と腕を組んだ所長が大きなためいきをついた。
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