第2話:XXXX年・新東都

「――――! ――――!」


 遠くのほうで声が聞こえた気がした。

 ゆっくりと目を開けると、目の前には少女の姿。俺は仰向けで倒れているらしい。


「イ、イツカ――?」


 では、なかった。少女は、さっきまで一緒にいたはずの幼馴染ではない。

 俺を見下ろす少女は深い藍色の髪を後ろで縛り、長いまつ毛が頬に陰を落としている。大きく見開かれた瞳は少々潤んでおり――


「気がついたんだ、よかったー」


 少女が大きく安堵の息を吐いた。俺はゆっくりと体を起こす。

 痛む頭を押さえつつ、周囲を見渡してみる。いやに空気がきれいだ。入道雲が日差しを照り返す、あまりにも広すぎる空。どこかから立ち上るひと筋の煙。手のひらに小石が食い込み俺は顔をしかめた。どうやら土の地面に倒れていたらしい。土?


 ここは、どこだ。

 少なくとも、バッティングセンターでは、ない。


 俺は記憶をたどるが、必死で思い出そうにも最後の記憶は白球のどアップだ。なぜイツカはいないんだ。ここはいったい――まさか。そこまで考えた俺の頭に、ひとつの突拍子もない可能性が浮かんだ。

 まさかここは、異世界か。異世界というやつか。俺は混乱する頭で思案した。うだつの上がらない現実をリセットし、培ったスキルでバラ色ライフが満喫できると噂の異世界――


「本当によかった! 全然目覚まさないから心配したんだよ」


 少女の言葉に俺は現実に引き戻される。


「い……今は、何年なんだ? その前に日本なのか……? というか、ここはどこだ?」

「ふふっ」目の前の少女が噴き出した。

「あなた、知りたいことがたくさんあるのね。それになんだか、空想科学小説みたいな台詞」

「え、うん」一瞬冷静になる俺。

「俺もこういう台詞を口にすることになるとは思わなかったよ、我ながら」

「今は昭和21年だよ。どう、驚いた?」

 少女が笑って首をかしげた。

「和暦が通じる……っておいおい昭和21年!? じゃあここは異世界じゃなくて、70年前の東京……」

「本当に驚いている……」

 異世界ではない。ここは70年前の東京だ。

 それなら目の前の少女と言語が通じるのも、彼女の髪が緑やショッキングピンクでないことにも納得できる。異世界召喚ではなく、俗にいうところの「タイムスリップ」したということか。


 俺は頭を抱えた。うーんと唸った。目の前の少女はきょとんとした瞳で俺を見つめている。


「ここは異世界じゃなかったのかー」


 地味だ。残念ながら、非常に、地味だ。世界といい時代といい、


 ドラゴンや騎士はもちろんいないし、侍や忍者もいないだろう。昭和21年だと? 現代人の知識を存分に生かせる天下分け目の合戦もない。というか、人類史最大の戦がさっき終わったところじゃないか。そもそも第2次世界大戦下で俺の日本史知識が役に立つとは思えないが。


「昭和21年……ということは西暦1946年……ええと、ここは終戦1年後の東京ってことか……」


 俺の苦悩を知ってか知らずか、少女は不思議そうな表情で俺を見返す。

「え、違うよ。戦争が終わったのは昭和18年」

 へ? 俺は少女の無垢な瞳を見つめ返す。いくら勉強が苦手な俺だってそのくらい――

「あと、『とうきょう』ってなんのこと?」

「?」

「今は戦争が終わって3年後の昭和21年。そしてここは日本の『新東都』だよ」

「シントート――だって……?」

 俺は立ち上がってあたりを見わたす。外国人を載せたジープが焼け残ったと思われる工場や家々の間を疾駆する。路上で何かを売っているおっさん、焚き火を囲む子どもたち。歴史の教科書で見た「戦後の日本」そのものだ。しかし。


「ここが東京じゃ、ない……? 戦争が終わって3年後の新東都……??」

「そ。お兄さん、ひょっとして復員兵? 久しぶりに日本に帰ってきたの? お腹空いてない? 今からウチおいでよ」


 俺は呆然としつつ、もう一度目をこすってあたりを見回してみる。一様に背が低い木造住宅街には、高層ビルなど無論見当たらない。呆然としている間にも、すたすたと歩く少女は見慣れぬ異世界の街に溶け込もうとしていた。


「あ……助けてくれてありがとう」

 まだ礼すら言っていないことに気がついた俺は、慌てて追いかけつつ声をかけた。

「俺は青島エージ、たぶん17歳だ。あっでも17歳っていうのは俺がいた70年後の未来の話なんだけど……」

「エージ? いい名前ね。未来とか70年後とかっていうのはよくわからないけれど」

「そうだよな、何しろ俺にもよくわかってないんだ。――君は?」

 少女が振り向いた。カチリ、と彼女の足元で金属質の音がする。思わず目をやった俺は、彼女の靴に金属製の歯を認めた。


「私の名前? 私は海老原えびはらなぎさ――」


 俺の視線に気がついた海老原渚はわずかにほほえみ、こう続けた。


「ポジションはピッチャー。右投げ両打よ」

 異世界の少女は、ボロボロの野球用スパイクを履いていた。

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