愍度道人 心無義     

愍度道人びんどどうじんという僧侶がいた。

かれは江南こうなんの地に渡らんと

計画するにあたって、

一人の中原の僧侶と一緒に

渡航後の計画を練る。


「こちらで用いているような内容で

 教えを説いても、おそらく

 向こうでは通用すまい。

 食うものを得るのも難しかろう」


そこで、共に「心無義しんむぎ」を考案。


これは、旧来の教義が

「より高く、奥深い知恵」

を求めるのに対し、

「あらゆるものを知る知恵とは、

 結局のところ、虚に帰っていく」

と言った内容を説く。


まーずいぶんとまた、

老子ろうしと相性の良さそうな内容である。


後々、この中原僧は渡航せず、

愍度道人のみが江南入りした。

そして道人、心無義を説く。


更に数年後、

ひとりの中原僧がやってきた。

かれは過日の、愍度道人と

心無義を立てた僧と

知り合いであるという。


そしてかれは、愍度道人が

心無義を説いているのを聞き、言う。


「かのお方より、

 ことづてを承っております。


 心無義なぞ、

 もとより成り立つ義理ではない!

 件の義理をそなたと立てたのは、

 あくまで飢えをしのぐための

 一時しのぎのたわごとよ!


 どうか、仏のみ心に適わぬ義理を

 これ以上は伝えぬようになされよ!」




愍度道人始欲過江,與一傖道人為侶,謀曰:「用舊義在江東,恐不辦得食。」便共立「心無義」。既而此道人不成渡,愍度果講義積年。後有傖人來,先道人寄語云:「為我致意愍度,無義那可立?治此計,權救饑爾!無為遂負如來也。」


愍度道人の始めて江を過らんと欲せるに、一なる傖の道人と侶と為り、謀りて曰く:「舊義を用い江東に在らば、恐るらくは食を得るを辦ぜざらん」と。便ち共に「心無義」を立つ。既にして而して此の道人は渡を成さざれば、愍度は果して積年講義す。後に傖人の來たる有り、先の道人に寄りて語りて云えらく:「我が為に愍度に意を致すべし。無義は那んぞ立つるべかるや? 此の計を治むらば、權に饑を救いたるのみ! 遂に如來に負くを為すを無かりたらんなり」と。


(假譎11)




愍度道人

だいぶ戒名が悲惨な末期を推測されますね、と思いながら調べたら、「すごい賢い人です」以外伝わってないし高僧伝ではむしろ「敏度」って書かれてて賢さが割り増しになってた。何やねんほとんど真逆やないですか文字が……。


このエピソードからすると、玄学と仏教が合流する直前のお話、という感じがしますですね。この両者が合流する画期が支遁しとんなのは間違いないのだろうけど、先人たちにもすでにその傾向はあったのだろう。康僧淵こうそうえんとか竺法深じくほうしんとかはそう言う文脈で解釈できるのかしら。そして、更にその先人が愍度道人である、みたいな。この辺は高僧伝を読むともうちょい掴めるんでしょうかねー。

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