王経   死にゆく母子  

魏晋ぎしん交代期に王経おうけいという人がいた。

彼は若い頃貧乏暮らしだったのだが、

仕官して二千石の禄を

得るほどにまでなった。


ちなみに二千石は太守クラスである。


そこで、母が王経に語る。


「お前は元々寒門の人間。

 それがここまで出世したのです。

 これ以上の出世は

 望まないようにしなさい!」


が、そう言うわけにもいかなかった。

ついにかれは尚書しょうしょにまで出世。

皇帝陛下とじかに接することすら

ある官職だ。


そこで彼は、高貴郷公こうききょうこう曹髦そうぼうにつく。

曹髦が殺されれば、

当然王経も捕まるし、

家族も連座で殺される。


連行される日、王経、

母に向けて号泣しながら、言う。


「母上のお言葉に従っておれば、

 このようなことには

 なりませんでしたものを!」


ともに捕まった母氏、

しかし、悲しむそぶりは見せない。


「お前は孝行息子であり、

 お国の忠臣でした。


 孝にして忠であるならば、

 どうして私に

 逆らったことになるでしょう?」




王經少貧苦,仕至二千石,母語之曰:「汝本寒家子,仕至二千石,此可以止乎!」經不能用。為尚書,助魏,不忠於晉,被收。涕泣辭母曰:「不從母敕,以至今日!」母都無慼容,語之曰:「為子則孝,為臣則忠。有孝有忠,何負吾邪?」


王經は少きに貧苦し、仕えて二千石に至らば、母は之に語りて曰く:「汝は本は寒家の子、仕えて二千石に至らば、此にて以て止むべきか!」と。經は用う能わず。尚書と為り、魏を助け、晉に忠せずば、收むるを被る。涕泣し母に辭して曰く:「母が敕に從わずんば、以て今日に至れり!」と。母は都べて慼容無く、之に語りて曰く:「子為らば則ち孝、臣為らば則ち忠。孝有り忠有らば、何ぞ吾に負かんや?」と。


(賢媛10)




ヤバい、これ注と併せて読むとめっちゃ泣ける。


というのもこの王経さん、曹髦が司馬昭しばしょうにケンカ売ろうとしたのを懸命に止めたそうなのである。にもかかわらず曹髦は挙兵、あっさり殺されてしまう。その後捕まった王経と母については、母のこんな言葉も残っている。「あの時諫めたのは、お前が人臣としての死に場所を得られないのではないか、と思ったからです。いま、お国のためにお前と共に死ぬことになった。ここに何の恨みがありましょう」。


魏晋交代期のエピソードは滅びの美学がそこかしこに埋められていて危ないな。最後のほうでこんなどでかいもん喰らうとは思ってもみなかった。

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