荀粲荀羨 その後の潁川荀氏

潁川えいせん荀氏 荀粲じゅんさん

 既出:劉惔4、何晏4、王衍5


潁川荀氏 荀羨じゅんせん



潁川荀氏は、

魏の後半~東晋期になってくると、

その存在感が薄くなっていく。


ここではその後の荀氏を、

あと二人挙げておこう。



荀粲。荀彧じゅんいくの末っ子。

何晏かあん夏侯玄かこうげん王弼おうひつと言った人たちが

花開かせる清談、その基礎を作った人だ。

ゴリゴリの儒家に生まれながら、

道家に走ったという、変わり種でもある。


かれは傅嘏ふかと並び、

玄談の旗手として知られていた。

そのため、しばしば二人は

激しく議論を交わしていたが、

それによって仲違いする、

と言うことはなかった。


ある時二人は、裴徽はいきの家で議論する。

議論を聞く中で裴徽、二人の見解を整理。

その論に通底するものを解きほぐし、

両者に伝える。


なるほど、そんな着地点が!

ふたりもまた、裴徽の解説を聞き、

大いに喜ぶのだった。




そこから一気に時代が一世紀ほど下り、

東晋とうしん時代はなやかなりしころ。


潁川から京口けいこうにまで逃れてきた荀氏、

荀羨。

なお彼はわずか二十八歳で

徐兗じょえん二州刺史に任ぜられるという、

早熟の天才であった。


その荀羨が北固山ほくこざん

京口の西北、長江に突き出ている山に登り、

長江を臨み、言う。


「ここから仙界にあるという

 蓬莱ほうらい方丈ほうじょう瀛州えいしゅうの三山は見えないが、

 この突き抜ける青空の下に

 広がる景色を見ていると、

 おれでも、空の向こうに行ける気がする。


 あぁ、秦漢の王たちなら、

 きっとズボンをたくし上げ、

 長江に飛び込んだろうにな!」




傅嘏善言虛勝,荀粲談尚玄遠。每至共語,有爭而不相喻。裴冀州釋二家之義,通彼我之懷,常使兩情皆得,彼此俱暢。

傅嘏は虛勝の言に善く、荀粲が談は尚おも玄遠なり。至れる每に共に語り、爭い有りても相い喻せず。裴冀州の二家の義を釋せるに、彼我の懷きたるに通じ、常に兩情をして皆な得さしめ、彼と此とを俱に暢せしむ。

(文學9)


荀中郎在京口,登北固望海云:「雖未睹三山,便自使人有凌雲意。若秦、漢之君,必當褰裳濡足。」

荀中郎は京口に在りて、北固に登りて海を望みて云えらく:「未だ三山に睹さざると雖も、便ち自ら人をして凌雲の意を有らしむ。若し秦、漢の君なれば、必ずや當に裳を褰し足を濡らさん」と。


(言語74)




荀羨

皇帝の娘を嫁に迎えていたり、殷浩いんこう劉惔りゅうたん王濛おうもうと親交を結び、王洽おうこうとも名声をひとしくしたという事で、押しも押されぬトップネームではある。対前燕ぜんえん戦ではいちど快勝をしたものの、その後はかばかしい戦績を上げることもできないまま死亡。上記のセリフからも、なかなか北伐事業が上手くいかずにやきもきしていたであろう気持ちが伺える。あるいは徐兗二州刺史の任を得て、燃え上がっていた頃のセリフだろうか。タイミング次第で、セリフに含まれるニュアンスがだいぶ変わってきそうである。


なお、かれの死以降、目立つ荀氏がいなくなる。一応孫の荀伯子じゅんはくしが宋書に立伝されているが、存在感は非常に薄い。

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