韓伯3  皮で立つデブ  

韓伯かんはくは相当なおデブさんだったようだ。

人々は韓伯について、

こんなことを言っている。


「あのひとの肘を掴んでみても、

 骨のありかなんか

 わかったもんじゃないよな!」



そんな風に言われてはいるが、

これに対するカウンターとして、

蔡謨さいもさんの息子、蔡系さいけいが言っている。


「骨がない?

 いやいや、あの肌だけで

 十分そそり立てる方じゃないか」



ほほう、気骨のある

おデブさんだったんですね。

じゃあ、どんな気骨の示し方を

していたんでしょう。


こんな話がある。


韓伯が病を得た。


気晴らしに庭を散策していると、

前の路地を、しゃ氏の車が

どかどかと音を立てて通過していく。


謝氏と言えば、この時には権勢全開。

誰もかれもが富貴、と言う状態だ。


その様子を見て、

韓伯は嘆息している。


「これでは王莽おうもうの時と

 そう変わらんではないか!」




舊目韓康伯:捋肘無風骨。

舊きは韓康伯を目すらく:肘を捋せるも風骨無からんや、と。

(輕詆28)


蔡叔子云:「韓康伯雖無骨榦,然亦膚立。」

蔡叔子は云えらく:「韓康伯に骨榦無かると雖も,然して亦た膚にて立つ」と。

(品藻66)


韓康伯病,拄杖前庭消搖。見諸謝皆富貴,轟隱交路,歎曰:「此復何異王莽時?」

韓康伯の病せるに、杖を拄きて前庭にて消搖す。諸謝の皆な富貴にして、轟隱の路に交わるを見、歎じて曰く:「此れ復た何ぞ王莽が時に異ならんか?」と。

(方正57)




王莽

前漢を簒奪した人。大悪人のように書かれている割には曹丕そうひ司馬炎しばえん劉裕りゅうゆうもこの人の制定した禅譲式辞に則って行動している。まぁ王莽のスタイルが周礼を踏まえたものだったってことではあるんでしょうけど。王莽が禅譲待ったなしの情勢下にあった時、前漢の要職はほとんどが王莽の親族が占めていましたよ、とか、そう言うお話である。いけない、韓伯さん、そのたとえはいけない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る