韓伯2  呉隠之を見出す 

劉裕りゅうゆうの時代に、いまの香港ホンコンあたりの

統治役として辣腕を振るい、

大いに尊敬を集めた役人がいる。

かれの名は、呉隠之ごいんしと言う。


そんな呉隠之と、兄の呉坦之ごたんし

二人は丹陽たんよう郡、つまり

建康けんこうのやや南あたりに住んでいた。

そこで母のどう氏の死に目に遭う。


その悲しみぶりはすさまじい。

母を思い出すたび、

弔問の客があるごとに、

大いに泣き叫び、転げまわる。


道行く人たちも、その二人の様子に

涙をこぼさずにはおれなかった。


この時に丹陽尹たんよういん

丹陽郡の長官を務めていた韓伯かんはく

そこには彼の母のいん氏も共にいた。

ちなみに、あの殷浩いんこうさんの姉である。


呉隠之たちの慟哭を耳にするごと、

殷氏は韓伯に言う。


「伯よ。もしお前が

 人事部に進むようであれば、

 彼らをよく取り立ててやるのですよ」


韓伯自身、

彼らのことはよく知っていた。

なので実際に人事部に入った時、

彼らを取り立てる。


この時兄の呉坦之は

慟哭のあまり死んでしまったのだが、

呉隠之は大いに名を

馳せることとなった。




吳道助、附子兄弟,居在丹陽郡。後遭母童夫人艱,朝夕哭臨。及思至,賓客弔省,號踊哀絕,路人為之落淚。韓康伯時為丹陽尹,母殷在郡,每聞二吳之哭,輒為悽惻。語康伯曰:「汝若為選官,當好料理此人。」康伯亦甚相知。韓後果為吏部尚書。大吳不免哀制,小吳遂大貴達。


吳道助、附子の兄弟は丹陽郡に居在す。後に母の童夫人の艱に遭い、朝夕に哭臨す。思の至るに及び、賓客は弔省せるに、號び踊ること絕だ哀しかれば、路人は之が為に落淚す。韓康伯は時に丹陽尹為れば、母の殷の郡に在り、二吳の哭を聞きたるが每、輒ち悽惻を為す。康伯に語りて曰く:「汝の若し選官を為さらば、當に好く理を此の人に料るべし」と。康伯は亦た甚だ相い知る。韓は後に果して吏部尚書と為る。大吳は哀制を免ぜざるも、小吳は遂にして大いに貴達す。


(德行47)




呉隠之

世代が違うから世説新語に全然登場できていないが、劉裕世代の役人としては最上位の評価を受けていた人。宋書でも沈約しんやくがわざわざ「呉隠之の忠義や善政はしんのために為されたものであり、宋書に載せるのは違うと思い、外した」と書くほどにその名が高まっていた。そんなかれのところにやってきたのが五斗米道ごとべいどう盧循ろじゅん。かれに軟禁を食らった呉隠之は盧循の破滅と共に中央に戻り、そこで多くの人びとからの尊敬を受けつつ亡くなった。とりあえずこのひと潔癖すぎて正直近くにはいてほしくない。

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