褚裒1  顯處視月牖中窺日

褚裒ちょぼう 全6編

 既出:謝安2、庾亮13

    庾亮17、何充1



褚裒と孫盛そんせいが、中原人と江南人の

学問スタイルについて論じていた。


褚裒が言う。


「中原人の学問は

 精緻さ、広範さを求めている」


孫盛が言う。


「江南人の学問は

 スマートな答えを望む」


ふたりの会話を聞いていた支遁しとん

こうコメントした。


「聖人、賢人はそもそも言葉を要さぬ。

 これらは凡俗の者の話であろう。


 中原人の書への取り組み方は

 明るいところで月の模様を

 確認しようとするようなもの。


 江南人の学問は

 部屋の窓から太陽を

 覗き見るかのようなものだ」




褚季野語孫安國云:「北人學問,淵綜廣博。」孫答曰:「南人學問,清通簡要。」支道林聞之曰:「聖賢固所忘言。自中人以還,北人看書,如顯處視月;南人學問,如牖中窺日。」


褚季野は孫安國に語りて云えらく:「北人の學問せるに、淵綜廣博なり」と。孫は答えて曰く:「南人の學問せるに、清通簡要なり」と。支道林は之を聞きて曰く:「聖賢は固より忘言せる所なり。中人より以て還ぜるに、北人は書を看、顯處にて月を視るが如し。南人は學問し、牖中より日を窺うが如し」と。


(文學25)




支遁さんなんかカッコイイこと言ってるけどいまいち何言いたいかわっかんねえな? 明るいところで月を見る=いろいろな情報に埋没した中で探求目的を見てみても結局詳細なんぞわかりようがない、まではいいんだけど、太陽のほうが。太陽が照らし出しているものに目も配らず太陽だけ見てもしゃーないやろ、みたいな感じなのかしら。まーどっちみちその手の難癖は聞いていて気分のいいもんではない。この辺が支遁さんの超一流に加われなかった要因か。


褚裒

郗鑒ちかんの部下として東晋キャリアをスタートさせ立身。娘を明帝の息子に嫁がせてみると彼が皇帝となった。ただ本人はそういう立場で中央にいるとやばいと思ったようで、北府の責任者としての立場を貫いた。そしたらまー部下が好き勝手するわ命令がうまく行き渡らないわで、後趙に出征した北府軍はズタボロに。散々な結果に泣きながら死んだ。

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