王済1  漱石枕流    

王済おうさい

 既出:武帝8、武帝18、王渾2、

    王渾4、王渾5、陸機1、山濤1

    庾敳3、衛玠4、王愷1



王済と仲良しの文人に、孫楚そんそがいる。

子孫に孫綽そんしゃく孫統そんとう孫盛そんせいなどがいる、

と書くと、世説新語マン的には

あぁ、となる家系のひとだ。


では王済とそんな孫楚、

どんなやり取りをしていたのだろう。


有名なのは、やはり「漱石枕流」だろう。


孫楚は若いころ隠遁を志し、

そのことを王済に話す際

「石に枕し、流れに口注ぐ生活をしたい」

と語ろうとし、うっかり言ってしまった。


「漱石枕流」


王済、思わずツッコむ。

おいおい、なんだよそりゃ。


すると孫楚も返すのである。


許由きょゆうだよ、許由。

 汚らわしい事を聞いたら、

 耳を洗わねばなるまい?


 石は……ほ、ほら!

 石で、歯を研磨せねばならんよな!」



またあるとき、この二人が、

しょくの地の人の美点について語る。


王済は言う。


「呉はなだらかな土地が続き、

 また水は清く、穏やか。

 なのでそこの人たちもおおらかである」


孫楚は言う。


「蜀の地は険しい山々が連なり、

 その合間を、川がしぶきを上げて流れる。

 なので豪放磊落、英雄の多き土地だ」



後日、孫楚の妻が亡くなった。

喪が明けてから、孫楚、

妻を歌った詩を、王済に見せた。


それを見て、王済が言っている。


「感情ゆえに文章が生まれるのか、

 文章ゆえに感情が生まれるのか。


 わからん、わからんが、

 この詩から伝わる悲しみから、

 改めて、君の奥方への思い、

 その、重さが伝わってきたよ」




孫子荊年少時欲隱,語王武子「當枕石漱流」,誤曰「漱石枕流」。王曰:「流可枕,石可漱乎?」孫曰:「所以枕流,欲洗其耳;所以漱石,欲礪其齒。」

孫子荊は年の少なき時に隱らんと欲し、王武子に「當に石に枕し流に漱ぎたるべし」と語らんとせるに、誤りて曰く「石に漱ぎ流れに枕すべし」と。王は曰く:「流れは枕なるべく、石は漱がるべきか?」と。孫は曰く:「流れを枕す所以、其の耳を洗わんと欲す。石に漱ぐ所以、其の齒を礪かんと欲す」と。

(排調6)


王武子、孫子荊、各言其土地人物之美。王云:「其地坦而平,其水淡而清,其人廉且貞。」孫云:「其山嶵巍以嵯峨,其水(水甲)渫而揚波,其人磊呵而英多。」

王武子と孫子荊は各おの其の土地の人物が美を言う。王は云えらく:「其の地は坦にして平にして、其の水は淡にして清ければ、其の人は廉にして且つ貞なり」と。孫は云えらく:「其の山の嶵巍なるを以て嵯峨とし、其の水(水甲)は渫にして波を揚ぐらば、其の人は磊呵にして英なる多し」と。

(言語24)


孫子荊除婦服,作詩以示王武子。王曰:「未知文生於情,情生於文。覽之悽然,增伉儷之重。」

孫子荊は婦が服より除からば、詩を作し以て王武子に示す。王は曰く:「未だ知らず、文の情にて生まるるや、情の文にて生まるるやを。之を覽すに悽然たれど、伉儷の重は增したり」と。

(文學72)




王済

武帝ぶていさまのところで紹介した時は「度の外れた贅沢が原因で疎まれたんじゃねえのこの人」と語ったが、一般的には武帝に疎まれたから、度の外れた贅沢行動で韜晦するようになった、とのことである。贅沢モノの狂宴ならば彼を紹介しないわけにもいかんでしょうという事で、金谷会に参加はしていないけどここに登場していただくことにしました。


孫楚

とにかく剛直、人に頭を下げることができない、と書かれている。それでも栄達はしている。敵を作るのも相当うまかったようだが、天寿は全うしている。

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