山濤4 山濤さんのこと
この辺をインタビューしてみました。
「お宝のような方、なのは間違いない。
だが、あまりにも素朴であり過ぎる。
皆が凄い凄い、といってはいるが、
誰一人として具体的に、
どう凄いのかを言い表せん。
それほど、奥深い方なのだ」
また
「山濤様の清談の腕は、
誰と比較すべきでしょうか?」
すると王衍、答えます。
「あのお方は清談とか、
そう言う世界じゃないよ。
そもそもあのお方の発言に、
問題は、そうでありながら
既に老荘の境地に達していることだ。
こう言う人は、
清談の枠では語れないよ」
王戎目山巨源:「如璞玉渾金,人皆欽其寶,莫知名其器。」
王戎は山巨源を目すらく:「璞玉の渾金なるが如し、人は皆な其の寶なるを欽じ、其の器の名を知りたる莫し」と。
(賞譽10)
人問王夷甫:「山巨源義理何如?是誰輩?」王曰:「此人初不肯以談自居,然不讀老、莊,時聞其詠,往往與其旨合。」
人の王夷甫に問うらく:「山巨源が義理は何如? 是れ誰が輩ならんか?」と。王は曰く:「此の人、初にしても談を以て自ら居せるを肯んぜず、然れど老莊を讀まずして、時に其の詠ぜるを聞かば、往往にして其の旨と合す」と。
(賞譽21)
山濤さんについては、孫子呉子的な発想についても「もともと履修してなかったのに極めていた」的に書かれているので、殊更に学ばずともすでにその境地に達している、という認識にしたいところではある。けどこの時代のえらいひとって四書五経の暗記がデフォルトの世界に生きてる以上、ここで言う「読んでない」についても、一字一句たがわず引用できてしまう、いわゆる人間インデックス状態にはなってないって意味でしかない気もするんだよな。現代人の感覚で言う「読んでない」、つまり一文字たりとも知らない、とは全く次元が違うようにも思うのだ。
まぁ、だからこそ現代人の感覚で敢えて語り、山濤さんを謎のエスパー枠に押し込めてしまうのもまた楽しい。
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