向秀   荘子を釈す   

竹林七賢 向秀しょうしゅう

 既出:鍾会8、司馬昭2、

    謝安37、劉伶1



嵆康けいこうと鍛冶仕事に精を出したり、

その嵆康が殺された後には出仕して、

司馬昭しばしょうに揶揄された人、向秀。


では、かれはどんな人物だったのだろう。


ひとまずのちの時代のひと、劉惔りゅうたんは、

親友の王濛おうもうが酔いに興じて

踊りだしたのを見て、コメントしている。


「今日のお前は、

 向秀にも劣らないだろうよ」


おっ、これは間違いなく絶賛ですね。

何せ劉惔と王濛、

東晋中後期の文人トップですものね。



そんな向秀のおしごとで有名なのは、

荘子そうじについての解釈だったようである。



荘子と言えば、当時にも

すでに多くの人間が注を付けていたが、

その奥義をとらえた、

と言えるようなものはいなかった。


その中で向秀がつけた注は、

旧注からさらに踏み込んだ解釈をなし、

その解釈は新奇にして妙、

これこそが荘子の意を汲んだものだ、

と、もてはやされた。


しかし向秀、「秋水しゅうすい」「至樂しがく」については

注を残すことなく、死んだ。


この時息子たちは未だ幼く、

父親からの薫陶も満足に得られなかった。

よって、父の業績を継承しきれなかった。


完成しなかったことにより、

一部からの評価こそ高かったものの、

その注は、やがて人々から

見向きもされなくなってしまった。


もちろん、向秀の著述そのものは

残っていたのだが。


ここで登場するのが、郭象かくしょうという人だ。


ケーハクな人ではあるのだが、

才能はバリバリだった。

だから向秀の注釈にも、

アンテナをビンビンに張っていた。


そして向注の存在が、みんなの記憶から

抜け落ちたのをいいことに、

「こいつはワイの注やデ!」

と、剽窃。


ただ、向秀が注を施せなかった

秋水、至樂の二篇の注は自力で行った。


それと「易馬蹄いばてい」についても

自分の注を加えたが、

後の部分には標点を加える程度。


こうして郭注が世に出回ったのだが、

内容はほぼ向注と一緒だった、という。



この辺の話の真偽はさておき、

向注、郭注が素晴らしいもの、

とは、世に知れ渡っていたようである。



先ほど名を上げた劉惔、王濛と

同じ時期の人に、支遁しとんがいる。

かれの名もまた

荘子解釈界では知れ渡っている。


荘子の冒頭「逍遙しょうよう」。

オープニングからいきなり

その難解さでぶん殴ってくるこの章は、

先人たちも様々な解釈を寄せていたが、

なかなか向秀、郭象の注釈を

上回ることができないでいた。


そんな中、支遁は白馬寺はくばじにて、

馮懐ふうかいというひとと荘子について語らい、

その話題が、例の逍遥編に及んだ。


すると支遁、さらっと新解釈を、

向注、郭注の上に書き、示した。


「どうです、これで比較してみては

 下さいませんか?」


そうして示された解釈は、

これまでの人びとが辿り着こうとしても

辿り着けなかった境地にまで達していた。


そうして、以降は支遁釈が

逍遥理解のスタンダードとなるのだった。




劉尹、王長史同坐,長史酒酣起舞。劉尹曰:「阿奴今日不復減向子期。」

劉尹と王長史は坐を同じうせるに、長史は酒に酣じ起ちて舞う。劉尹は曰く:「阿奴の今日は復た向子期に減ぜざらん」と。

(品藻44)


初,注莊子者數十家,莫能究其旨要。向秀於舊注外為解義,妙析奇致,大暢玄風。唯秋水、至樂二篇未竟而秀卒。秀子幼,義遂零落,然猶有別本。郭象者,為人薄行,有俊才。見秀義不傳於世,遂竊以為己注。乃自注秋水、至樂二篇,又易馬蹄一篇,其餘眾篇,或定點文句而已。後秀義別本出,故今有向、郭二莊,其義一也。

初、莊子を注せる者は數十家たれど、能く其の旨要を究める莫し。向秀は舊き注より義の解せるの外を為し、析せるは妙にして致せるは奇なれば、大いに暢玄を風ず。唯だ秋水、至樂の二篇を未だ竟えずして秀は卒す。秀が子は幼し。義は遂に零落せど、然して猶お別本を有す。郭象なる者、人の為りは薄行なれど、俊才を有す。秀が義の世に傳わらざるを見、遂に竊かに以て己が注と為す。乃ち自ら秋水、至樂の二篇を注し、又た易馬蹄の一篇、其の餘の眾きの篇に、或いは文句に點を定めたるのみ。後に秀が義は別本にて出でたれど、故より今にて有したる向、郭が二莊にては、其の義を一としたるなり。

(文學17)


莊子逍遙篇,舊是難處,諸名賢所可鑽味,也而不能拔理於郭、向之外。支道林在白馬寺中,將馮太常共語,因及逍遙。支卓然標新理於二家之表,立異義於眾賢之外,皆是諸名賢尋味之所不得。後遂用支理。

莊子の逍遙篇は、舊きより是れ難處として、諸名賢の鑽味さるべき所なれど、郭、向の外にて理を拔せる能わず。支道林は白馬寺が中に在りて、將に馮太常と共に語らんとし、因りて逍遙に及ぶ。支は卓然として新たなる理を二家の表に標し、異義を眾賢の外に立つれば、皆な是れ諸名賢は尋いで之を味したるを得ざる所なり。後には遂に支が理は用いらる。

(文學32)




向秀

ダンサーとしてもなかなかゴキゲン、そして老荘の解釈については抜群、でも本人のキャラは非常に地味だし現実的。これは目立ちませんわ……嵆康には「老子研究なんかバカのやることじゃんwwwww」みたいに笑われていたのだが、いざ完成させてみれば嵆康もその出来の精密さにぎゃふんと言った、なるエピソードも残されている。竹林七賢地味組の中では、みんながわいわいしてる中でにこにこしている向秀、なんだかぐびぐび酒飲んでは突然思わせぶりなことをぼそりと呟く劉伶りゅうれい、という感じだろうか。そうだな、エアロスミスで言うところのジョーイクレイマーとブラッドウィットフォードかな!


郭象

現在注として残っているのは郭象さんのものだけだという事で、実際に両者の注は比較できない。とりあえず元々は謙虚だったが偉くなるにしたがって傲慢になってったそうで、そう言ったところからキャラクター付けされてったのかな、という印象はある。


馮懐

全然経歴が載ってない謎のひと。ただ、この人の息子馮循ふうじゅん琅邪ろうや王氏である王彬おうひんの娘、王隆愛おうりゅうあいを娶った、そうである。そう言う墓誌が残っていて(※)、書道においては臨書テーマともなっているそうだ。墓誌があると家族構成がめっちゃメリメリ分かって素敵だよなぁ……。

※残っている墓誌は王彬の妻「夏金虎かきんこ」という人のもの。

http://www.360doc.com/content/14/0808/11/2362364_400301464.shtml

しかし夏氏なんて姓、初めて聞いたぞ。



逍遥

おおとり(全長数千キロにも及ぶ伝説の鳥)とウズラとの対比にて語られている。


向・郭二家釈

鴻にせよ、ウズラにせよ、自分の領分の中で生きている。与えられたものを全うすることが道に即した振る舞いだ、と言えるだろう。


支遁釈

……とは言ってもさぁ、より高い境地に立って、あらゆるものが見渡せなきゃ真に満たされるなんてことなくない? より広い視座を得る、そうなってこそ道との合一が果たせるんじゃないのかなぁ?



自分が読んだ感じだと、向・郭二家釈のほうが近いかなーという印象です。支遁釈はちょっと踏み込みすぎというか、「下手にいろいろ突っ込んで考えようとすれば考えなきゃいかんことは無限に増える、ならはじめから考えない方がいい」が荘子の語っているところでもあるので、ならはじめから「より高み」とか気にすんな、となりそう。とは言えさらに話はツッコめて「己の領分がどうこう」とかも忘れろよ、とも言ってる気がするんですよね。どうしたもんでしょうね。まあどうでもいいですね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る